Report07
3時半、お昼時も終わり昼休みを終えた司書達が次々とカウンターに戻ってきた。司書の一人、三谷綾はいつも図書館にいる一人の少年を見つけると小さな声で彼を呼んだ。
「今日も学校サボってるの?」
「勉強するならここの方が良いし」
そっけなく返事を返す少年の態度はいつも通りで、目の前の分厚い本に向かったまま顔を動かさない。
「昨日シャーデンさんとなにかあったの?」
シャーデン、彼は初めて聞く横文字の名前に最初は何のことを言っているのか分からなかったがすぐに老人のことだと思った。
「あのじいさん外人なんだ」
「いっつも深く帽子かぶってるから分かりにくいよね。ずいぶん昔に仕事でこっちに来てからずっと帰ってないんだって」
「そうなんだ......」
それ以上彼は口を開かない。いつも図書館で静かに本を読んでいた少年が、昨日、怒気を孕んだ叫びを上げ老人にぶつけていたのだ。注意をしたときに内容までは聞かなかったが三谷には少し心配だった。
「まあ君ぐらいの時には沢山やんちゃしてるくらいが丁度良いのかもね」
「なんだよ、それ」
「君のこと想ってるのよ」
少年の瞳が揺らぐ。
「大体今の子達は昔に比べたら大人しくて良い子ばっかりだけど......君はちょっと大人しすぎるのよ〜それに......」
今まで彼自身も忘れていた両親との最後の会話が頭をよぎる。
周囲にいる大人に優しくされたこと自体が久しぶりで少し照れ臭かった。実際、それ自体はあったのかもしれないが、彼がその優しさを受け止めることができたのは彼の両親が亡くなった日が最後だった。
「三谷さんは司書っぽくないよね」
「なっ、失礼な!これでも中高6年間図書委員だったんだぞ。部活はバドミントンだからバリバリ体育会系だったけど......」
三谷と少年の目があったのはその時が初めてだった。
弱々しい表情と薄く笑った少年の顔は別人のように感じられ、普段のなんにでもめんどくさそうに軽口を吐き一蹴する態度とは違う一面を見て一層優しい口調を作る。
「本当になんかあったら言ってね。他のスタッフも君のことは心配してるんだから」
いつの間にか手元の本を閉じていた少年はいたずらっぽく笑う。
「なんかをいつも持ち込むのは三谷さんたちの方だろ」
♢
22時55分、彼はT市のタワーの入り口に立っていた。T市は歓楽街で夜遅い時間でも明かりをつけている建物が多く存在するが、タワーの周辺に飲食店などは無く閑静な空間が広がっている。タワーは旧S町のシンボルであり、かつては観光用に双眼鏡などが置かれていたがT市に合併統合された際に役割を失った。本来ならばチェーンがかけられ民間人は入れないが、チェーンは真ん中で断ち切られ扉の鍵も外されている。
少年は前を向き、階段を登る。上の階から風を感じ、ゆっくりと足を進めていくと屋上に出るための扉が開け放たれていた。
「来たぞ、じいさん」
屋上の手すりに手をつき背中を向ける老人に声がかけられる。その言葉に返事は無く、老人は風に揺られるコートをはためかせ地上を見下ろしていた。
「僕が何を作ったのか、この目で確かめに来た」
沈黙。風が吹く音だけが耳に届く。
地上では暗闇の中にネオンライトが煌びやかな世界を作り出す。
光の海を見つめる老人が背を向けたまま口を開いた。
「あの美しい光を作り出しているのは誰だと思う?」
老人から一つの問が出される。
「悪いが今日はあんたの問答に付き合う気は無い。あんたが何者だとか、何のために僕に依頼をしたのかもこの際どうだっていい。あんたがイカれた野郎だってのは理解してる。僕はただ、僕が何を作ったのかを見に来ただけだ。それ以外に用はない」
少年は首に下げた銀色のケースを手に取り老人に突きつけた。
「こんなものもいらない。だから教えろ、僕は一体なにを作らされた」
昨日とは違い静かに言葉を紡ぐ。しかし強い言葉とは裏腹に老人を睨む彼の首筋には冷や汗が流れる。
「君が作ったものは灯火だよ」
背を向けたままの老人が口にした。
「君が作ったのは灯火、既に消えていた私の中に再び火を灯す種火だ」
「だから僕は......!」
答えを急ごうとする彼の言葉を遮るように、老人は振り返りそれを制止した。
「君は32年前に世界で起きた戦争を知っているか?」
32年前、この国から遥か西の海諸国の国家間で起こった大きな戦争。それはその少し前に起きた戦争の勝利国同士が、敗戦国のいくつかを植民地の領土として分けるために起こした人類史の中でも最も醜い戦争だと言われていた。
当然彼も知っている内容であり首を縦に振る。
「あの戦争は結局どちらの国も大きな被害を出して痛み分け、植民地化する予定だった国もどちらのものにもならず誰も得をしない最悪の戦いだったというのが、世界の歴史だ」
老人はそこまで口にした途端、突然両手を広げ叫んだ。
「だが、真実は違う!当時、あの戦争を終わらせたのは今立っているこの国の人間だ!」
今まで一度も感情を見せてこなかった老人の大声で彼は驚いた。
「この国はあろうことか、どちらの国の情報部にも戦力や兵器を寄与すると連絡をし、時間と場所を一つの植民地の国に指定し軍を動かした!」
老人の怒りだった。それは当然、彼に向けられたものではない。しかし老人が抑え込んでいた感情は、この国で生まれ育った彼の心を貫いた。
「どちらの国の戦力も、底をつきかけていた状態での支援宣言だ。すぐに二国ともこの申し出を受け入れた。当然、二国は同じ時間に同じ場所で出会えば罠だと気づいただろう。しかし、それはどちらの国が仕掛けたものでもない、気づいた時には空から無数の爆弾が落とされていた......」
「そんな馬鹿なことがあるかよ!?それにもし、それが本当ならウチは相当恨みを買うはずだ......!」
黙って聞いていた彼が耐えきれず割って入る。
「いいや、当時のこの国には相当、口が達者な者がいてね。もともと疲弊していた二国の軍は、残ったほとんどの戦力をその地に移して空爆で失った。報復するような戦力はもう残っていなかったのさ」
「なんだよそれ......」
「なによりそのやり取りの全てが公表されていない、秘密裏に行われた作戦だったのだ」
ここまで話を聞いていた彼の中に幾つかの疑問が生まれた。
「それで、結局のところあんたは何者だ、どっちかの国の兵士だったのか?」
老人は息を整えいつもの調子に戻る。しかし、老人はその質問には答えず別の質問を返した。
「その戦争で最も被害が大きかった国はどこだと思う?」
一瞬の沈黙。しかし、彼はすぐに答えを出す。
「戦いの舞台になった植民地の国だ」
「その通り、ではその国の名は?」
また沈黙。しかしそれもそのはず。彼はそれだけ大きな戦争で取り合っていた国の名を知らなかったのだ。当然一度でも聞けば記憶に残るような大きな戦いだ。しかし知らない。今まで生きてきた人生でその国の名を知る機会が無かったのだ。
「その国はね、あの時の空爆で世界から消されたのだよ」
老人の言葉を聞いた彼の体がビクりと跳ねる。
「あの日の炎は一日たりとも忘れたことがない。巨大な榴弾は二国の戦車を貫通し台地に刺さり爆ぜた。10000......いや、もっと無数の爆弾は、木を燃やし、草を燃やし、家も人も台地諸共全てを海に沈めた。世界ではあれ以来地図上にあの島国を載せていない、恐らくは当時のこの国の人間の手腕だろうな」
「まさか、あんたはそこの......!?」
老人は黙ったまま上を向き肯定も否定もしなかった。しかし言葉にする必要が無いほどに、その姿は悲しみを纏っていた。
「我々に銃口を突きつけていた兵士は、通信といがみ合っていてね、その時何が起きているのか理解するのは簡単だったよ」
徐々に老人は涙に震え、噛み締めるように言葉を漏らす。
「たった一夜にして全てが奪われた!人々が積み重ねた歴史も!営みも!全て!」
老人の顔は深く帽子を被っているためよく見えない。しかし口元は明らかに昨日まで見ていた無表情なそれとは違い悲しみに皺を寄せていた。
「どうやって生き延びたんだ......そんな激しい空爆、普通生きてられるはずがない!」
「さあな、運が良いのか悪いのか......できることなら私もあの場で死にたかった。しかし気づけば海の上を漂い、通りがかったどこかの国の船に乗り、しがみつくように生きていたらこの国に転がっていた」
老人は語りながら振り返り、最初に立っていた手すりのあたりまで歩き始めた。
「当時、この国の軍事部で指揮をとっていた者の名はミチシゲマトウという名だった」
先程の話を聞いて俯いていた彼は、え?と声を上げ老人の方を見る。
「ミチシゲは裏切った。マトウはクズだ。と、銃口を向ける兵士は苛立って一人ずつ家族を殺していくんだよ。......息子は私の方を見て涙を流しながら、声を上げることもできずに頭を撃ち抜かれた」
老人は影に立てかけていた黒い'ナニか'を持ち上げる。大きさは1メートルと少しあるそれは先が細く筒のようになっており、老人の持っている部分には複雑な機構とレバーのようなものが付いていた。そのシルエットを見た彼には瞬時にそれが銃だと理解できた。
「じいさん?」
彼の困惑など意にも介さず老人はレバーを操作しながら会話を続ける。
「今夜、あのビル群のどれかに、どういうわけか退役軍人数名が政界の人間達と集まる催しがあるらしくてね。しかもその中にはマトウの名を持つ者がいる。この情報を掴んだのが今から2ヶ月前だ」
説明をしながら老人はさらに影の中へ手を入れ、何かを手に取りながら話をする。
「とうの昔に燃え尽きて灰になっていた私は、復讐するなんて気概は持ち合わせていなくてね。マトウがまだ生きていると知った時にも何も思わなかった」
影の中から銀色の塊を取り出し、老人は彼の方を見る。
「しかし、そんな時に私は君を知った」
老人の手の中で金属塊が鈍い輝きを反射させる。それは、彼が作り上げたものだった
「は?」
「この国は私が生まれるよりも遥か昔の世界大戦時に壊滅的な被害を受け、軍事力を捨てて久しい国だというのが表向きな姿だ。しかし、私はあの炎をこの目で見て!この身に受けたのだ!」
螺旋状の金属部分が銃のグリップへと差し込まれ、カチャンという甲高い音を鳴らす。銃のグリップ部分を見ずに作られたとは思えないほど金属塊は正確に固定されていた。
「君の作り上げた灯火は、私の燃え尽きた灰にすら火を灯し燃やしてみせた!あの日の'炎'さえも焼き焦がす!私にとっての、光だ!!!」
老人がボルトを引き撃鉄を起こすと、金属塊に内蔵されていたガララアイトがバチバチと鈍い音を鳴らし始める。グリップと金属部の隙間からは紫色の粒子が漏れ出ており周囲を怪しく照らしていた。目の前の光景に圧倒されている彼に対して老人は、背を向けたまま静かに声をかける。
「君はまだ子供だ。昨日も言ったが、君が何を作ろうと今から起こることの責任は全て私のものだ」
老人はそう言うとしゃがみ込み、銃を床に固定させ遥か遠くのビル群に銃口を向けた。
「待っ......」
彼の制止が最後まで紡がれることはなく、老人は引き金を引いた。
♢
轟音と共に訪れた光が視界の中を埋める。
衝撃は凄まじく、立っていた彼の体は屋上入り口の壁へ背中から叩きつけられた。
10秒以上目の前を照らしていた光が消え始めると老人は立ち上がり振り返る。その場で座り込む彼を前に老人は片膝をつき目線を合わせた。
「じいさん......」
体を打ちつけた時の痛みが酷いのか、虚な目をして意識がはっきりとしない様子の彼を見ると、老人は帽子を脱ぎ両手を彼の肩に回した。苦悶の表情を浮かべる彼を抱き寄せると老人は震えながら語り始めた。
「本当に、ありがとう......。私に目的をくれて......ありがとう......」
老人の涙で肩が濡れる感覚を受け、朦朧としていた意識が覚醒し始める。
「あ、あぁ......うぁ、あああああああああ......!」
肩越しに地獄が見えた。
数分前まで無数のネオンライトが作り上げていた不夜城は炎に包まれ、ビル群が建っていた周辺には大きなクレーターが口を開けていた。
「あぁ、懐かしいな......。あの頃のジャイロは今の君と同じくらいの歳だった」
「う"あ"ぁ"ぁ"ぁ"......あ"あ"......!!!」
目の前の地獄が彼の脳に刻み込まれ、涙が溢れ出す。自分の作ってしまった'兵器'によって目の前の景色が生み出されていると、彼の情緒を押し潰す。
嗚咽混じりに咳き込む彼を介抱する老人が、震える頭に手を置きながら言葉を紡いだ。
「時間だな」
そう言うと老人は、少し距離を離して目を合わせる。
初めて見えた老人の目は薄い青色で、彼と同じ国の出身ではないことが理解できた。
しかし、最も目を引く部分は目の色ではなく、乾いた泥玉のようにひび割れ始めていた老人の肌だった。
「......?おい!?じいさん!!!」
涙を流しながら老人の左肩を掴むとそこから老人の体はボロボロと崩れ始めた。
「'5'は私には多いと言ったが、'2'でも私には多すぎたらしい。もっとも、たった'ひとつ'あれば十分だったんだ。こんなに素晴らしいことはないよ。......これは復讐という道を選んだ私への報いなのだろうな」
「何を言ってるんだ......分からない、分かんねえよ!」
「ガララアイトのエネルギー伝達力は既存の電気エネルギーなどの比ではなくてね、並の金属ではその衝撃を抑えきれない......はは、昔はよくそれを掘っていたから詳しいんだ......」
言葉を交わす老人の体は、風に吹かれるだけでサラサラと砂になり飛んでいく。
「すぐにここは特定されるだろうが君の指紋や痕跡が残りはしない、全て処理は済ませてある」
「あぁ!あぁ......行くな......!行くな!!!」
老人の体のほとんどが消えたところで、彼は飛んでいく老人の体だったものを掴もうと手を伸ばす。しかし、それは虚しく空を切る。
「私を救ってくれて......」
老人が最後の言葉を紡ぐも、途中で喉が砂へと変わり声は消える。しかし老人は口を最後まで動かし続けソレを伝えると微笑み、消えた。
タワーの屋上には一人の少年と銃だけが残され、静寂が訪れる。
「......ふざけるな。誰を救うだって......?」
再び顔を上げると、遠くで燃える街が滲む。涙は止めどなく流れ落ち、床を濡らした。ぐちゃぐちゃになった顔をさらにしかめ、彼は叫ぶ。
「僕は誰一人救ってなんかない!!!」
彼は握りしめた拳を背中越しに感じていた壁へ叩きつけた。拳から伝わる痛みが、より一層自分は生きているという事実を突きつける。
「なんでお前なんかが生きてるんだ!何人だ......何人死んだ......?お前は何人殺して生きてるんだ!!!」
「全部、僕が殺したんだ......」
Report07_ありがとう
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます