閑話 獅子王の後継者

「寂しくなりますね」


 ふと、執事の有村が口にした。


 つい先ほど、冬茉が花冠学園に向けて出発した。本来なら見送りをしたいところであったが、誰かに勘づかれる恐れがある。使用人の中に裏切り者がいる可能性を考慮して窓から眺めるだけで我慢した。


 次に会えるのは夏休みだ。たった数か月の辛抱だが、その期間は儂にとって恐ろしいほど長く感じる。


「ですが、本当によろしかったのですか?」

「……何がだ」

「真実を伝えなかったことです。冬茉様は会長の孫であり、獅子王の後継者となれる可能性がある唯一の方です。本人に伝えなくてよろしかったのでしょうか?」


 不安そうな有村の顔を一瞥し、儂は重々しく息を吐いた。


 儂――獅子王源一郎には息子と娘がいる。


 息子のほうは子供の頃から優秀だった。花冠学園を首席で卒業した後、グループ内の会社で経験を積ませた。いずれは会長の座を譲るつもりだった。


 それに対して娘のほうは昔から問題ばかり起こしていた。些細なことで大喧嘩になると、儂を蹴っ飛ばして家から飛び出していった。


 行く当てもなく飛び出したあの馬鹿娘は路頭に迷った。そこで手を差し伸べてきた男と恋に落ち、程なくして結婚した。


 この男がまたどうしようもない奴だった。ギャンブル大好きで計画性の欠片もない男だ。箱入りだった娘はあっさりとその色に染まってしまった。


 大喧嘩はしたが、それでも娘には違いない。表向きは出ていった娘など気にしていないように振る舞っていたが、動向は見守っていた。正直、何度も連れ戻そうとした。だが、貧乏生活の中でも幸せそうにしていたので放っておいた。本当にまずい事態になれば手を差し伸べるつもりでいた。


 あの馬鹿夫婦は子供を授かってもギャンブル三昧の日々を送っていた。連敗が続くと店が悪いとかほざいて各地を転々としていた。


 馬鹿娘に呆れながら、時間は流れた。


 そろそろ会長の座を譲ろうと考えていた矢先、突然の病魔が息子を襲った。


 幸いにも一命は取り留めたが、会長を継ぐことができなくなった。息子夫婦の子供は後継者となるための条件を満たしていない。正確にはまだ幼い孫娘に可能性があるものの、条件を満たすまで儂が元気でいられる保証がない。


 こうして獅子王グループは後継者問題に悩まされることになった。


 グループ企業のトップを集めて行う【獅子王会】で養子を迎えるよう説得された。気は進まなかったが、儂もそうするつもりだった。


 あの情報が入ったのはそんな時だった。


 馬鹿夫婦の息子がすこぶる優秀らしいという情報だ。実際に調べてみると、これがまた本当に優秀だった。


 名前は西田夏蓮――現在の冬茉である。


 ただ、儂は迷った。


 無理やり連れて行ったら孫の人生を潰してしまうかもしれない。獅子王グループ会長の座など望んでいないかもしれない。そもそも、苦しい生活と知りながら助けなかった儂を恨んでいるのではないだろうか。


 迷う日々の中、事態は急変した。


 あの馬鹿夫婦はギャンブルで大負けすると、違法な金貸しに手を出したのだ。これだけでも許しがたいのに、あろうことか冬茉を金貸しに売って逃亡した。


 迷いは消えた。


 冬茉を保護するよう有村に指示を出し、逃げ出した馬鹿夫婦を捕獲した。違法な金貸しもきっちりと潰しておいた。


 馬鹿夫婦には武力――ではなく厳しく説教をして、最終的に冬茉を儂に任せる形で決着した。今は所有しているマンションで軟禁状態にしてある。


 子供を売って逃げるなど人としても親としても失格だが、あれでも法的には親だ。サインが必要な書類が出てきた際に使っている。


「儂だって祖父と名乗り出たい。だが、真実を知らせるほうが危険だ」

「それは……理解できますが」

「グループ内外で不穏な動きがある。影武者を立てるのが最も安全だった。それはおまえも認めていたではないか」


 儂とて孫である冬茉に真実を伝えたかった。


 しかし今は状況が悪い。


 養子の話が持ち上がったことでグループの連中が動き出した。自分の子供や息のかかった者を儂の後継者にして、獅子王を乗っ取るつもりだろう。


 元々獅子王を狙っている外部の連中も多く存在する。後継者問題で揺れている今は獅子王を崩す絶好のチャンスだ。


 だから冬茉には真実を伝えなかった。その上で、上手くこちらの望む方向に誘導した。冬茉が「勝ち組」に憧れていたことは馬鹿娘から聞いていた。追加条件などと面倒な言い回しをしたが、あれは後継者となるための条件だ。


 花冠学園のセキュリティは信頼できるが、入学する生徒は別だ。その対策として影武者を用意した。


 安全面を考えて冬茉には真実を話さず、後継者が別にいると伝えた。うっかり冬茉の口から洩れてしまう可能性を考慮してのことだ。


「頭ではわかっているのですが、あまりにも冬茉様が可哀想で」

「……確かにな」


 本人は気にしない素振りをしていたが、親に捨てられてショックを受けない子供などいない。内心では大いに傷ついているだろう。


「だが、信じるしかないだろう。冬茉ならきっと乗り越えてくれる」


 冬茉はこの半年で一度も弱音を吐かなかった。


 劣悪な環境で育ち、親に売られるという不幸に見舞われたのに、それでも前を向いてひたむきに努力する姿に目頭が熱くなった。


 今となっては冬茉以外を後継者にするつもりはない。名付け親になったことで余計に愛着が湧いた。


「儂とて心苦しいが、ここを乗り切れば冬茉は自らの望みを叶えられる」

「……そうですね。冬茉様には是非とも課題をクリアしていただきたいものです」


 儂は大きく頷いた。


「クリアしてもらわなければ困る。獅子王としても、勝ち組を目指す冬茉自身のためにもな。課題をクリアすれば正式に後継者と認められ、誰も文句を言えなくなる」

「冬茉様は優秀な方です。卒業は可能でしょう。問題となるのは――」

「嫁選びだろうな」


 獅子王の後継者となるためには課題をクリアする必要がある。


『花冠学園の卒業式で花束交換をすること』


 この課題は獅子王の初代に由来している。初代は花冠学園の卒業生であり、最初に花束を交換した人物でもある。以降、これが後継者になるための条件となった。


 クリアするには学園を無事に卒業することも含まれる。あの学園では花を集められなかった生徒は容赦なく退学処分になる。実際、毎年結構な数の生徒が退学になっている。


 冬茉の場合はさらに過酷だ。

 

 獅子王との関係を知られぬためにも推薦できなかった。そのため、超高難易度である一般入試に合格しなければならなかった。


 あの入試を突破できるほど成績優秀で、素行にも問題ない。卒業は無事に出来るだろう。


 そうなれば残る問題は花束交換だ。


「本来、嫁選びは卒業に比べて簡単なはずだ。獅子王の名に寄ってくる者は多い。その中から相手を選ぶのは難しいが、多くの女子生徒が集まるのであまり難しくない」

「ですが、冬茉様の場合は違います」

「うむ。冬茉の場合は事情が異なる。一般入試で入学した冬茉は学園内で地位が低い。嫁選びは難航するだろう」


 恐らく苦戦するはずだ。


「候補となる相手は儂の時と比べて遥かに少ないはずだ。だからこそ、見極め役にはしっかりと見定めてもらいたい」

「今回は影武者に見極め役を委ねたのですよね?」

「真実を多くの者に話すのは危険だからな」


 獅子王の嫁選びには必ず見極め役が存在する。見極め役は後継者を守り、後継者の相手となる女子生徒の性格をチェックする役目がある。


 儂の時はここにいる有村がその役目を担っていた。


 卒業後、有村は儂の右腕として活躍してくれている。あれから数十年共にしてきた有村は儂にとって最高の仲間だ。


「今回の見極め役も冬茉の仲間になってもらいたいものだ」

「ええ、是非そうなってほしいものです」

「……そういえば、名は何と言ったかな」

「南野蒼葉君ですよ。親は地方で小さな会社を経営しています。会社の規模から考えても花冠学園の生徒は誰も彼を知らないでしょう」


 影武者として選択したのはそれなりに容姿の整った男だ。


 獅子王の名前を使ってこの男を推薦し、花冠学園に入学させた。儂の推薦ならば間違いなく入学の挨拶をすることになるので、あの影武者を獅子王の後継者と勘違いするだろう。


「馬鹿娘と冬茉のことを秘密にしておければ簡単だったのだがな」

「会長がうっかり漏らさなければ」

「あの時は冬茉の存在を知って興奮していたのだ!」


 ジト目の有村にそう言った後、儂は窓から外を眺める。


 あれは大失態だった。冬茉の存在と成績を知った儂はついつい獅子王会でその存在を仄めかしてしまった。そのせいで獅子王を狙う連中が後継者を排除しようと動き出し、このような状況になってしまった。


「そういえば、あの影武者を選ぶのも苦労したな」

「今回は本当に苦労しました。信頼がおけるというのは絶対条件でしたから」

「理由は金か?」

「はい。彼の両親が経営している会社の経営が上手くいっていないようです。資金提供を条件に役目を引き受けました。家族を大事にしているようですし、必ず役目を全うしてくれるでしょう」


 ふむ、と相槌を打つ。


「この者の母には話を通してあるのだな?」

「ご安心を。会長の指示にすべて従うと」

「ならば結構」


 影武者選びは特に気を使った。


 裏切らないことは絶対だが、何よりもネックだったのは母親のほうだった。獅子王会に出席するグループの重役の多くが馬鹿娘を知っている。

 

 幼い頃しか知らないだろうが、問題は名前を知られているという点だ。


 今回、南野という男を影武者に選んだのは彼の母が儂の馬鹿娘と同じ名前だったからだ。素性を辿られた際の対策はしっかりしておかなければならぬ。


「ただ一つ、気がかりな点が残っている」

「彼が冬茉様と同じ中学校に通っていたという点ですね」

「偶然とは恐ろしいものだな。それで、問題はなかったのか?」


 鋭い視線を有村に向ける。


「先日、冬茉様の名前を伝え顔写真を見せたのですが何の反応もありませんでした。たった一か月ですし、中学ではクラスも違いました。接点はなかったのでしょう」

「同じ学校に通っていたと伝えたのか?」

「言う必要はないかと」

「まあ、そうだな。あえて思い出させる必要もないだろう」


 半年間で冬茉は生まれ変わった。見た目も違うし、名前だって違う。これで過去の姿と重ねるのは不可能だ。


 あの馬鹿夫婦が引っ越しばかりしていたせいで交友関係はイマイチわからないが、問題ないと判断していいだろう。


「その南野という者には冬茉の行動を観察し、仲良くなった女子生徒をピックアップしてもらう」

「来年、冬茉様は性格チェックという名目で対象と仲を深めるわけですね」

「そういうことだ」


 冬茉は勝ち組になるという目的のために全力を出して口説くだろう。

 

 最後は相手次第だ。


 とはいえ、この条件を満たさなければ一族の長老連中とグループの連中が納得しないだろう。是が非でもクリアしてもらわなければならぬ。


 先々のことを考えて再び息を吐く。


 期待しているぞ、冬茉よ。


 見事に課題をクリアした暁には相応の役職を用意しよう。獅子王グループの会長という最もおまえにふさわしい役職を。この立場になれば紛れもなく勝ち組だ。


 成長した孫の姿を見る夏に想いを馳せ、儂は仕事に着手した。

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