2-3
こうして幾分かストレスが発散された犬彦…もとい赤間部長は、持ち前の集中力を発揮して、ここからはずっと営業部フロアで一人、ひたすら業務に没頭した。
そのうち、あっという間に日が落ちて、夕方を迎える頃、ついに待っていた栄治郎からの電話がかかってくる。
そろそろ帰り支度でもしようかと考えていた犬彦は、その手を止めると、すぐに電話に出た。
「待たせたね犬彦」
耳にあてたスマホのむこうから、長年聞き慣れた栄治郎の声が流れてくる。
不愛想な犬彦は黙ったまま、いい報告が栄治郎の口から伝えられるのを待った、さて栄治は自分と江蓮のためにどれほど素晴らしいホテルを予約してくれただろうか?
しかし無言のうちにも含まれた犬彦のウキウキ気分は、あっさりと栄治郎によって吹き飛ばされてしまう。
「すまないが結論から述べよう、お前の理想に合う宿泊施設はもう満室で、どこもダメだったよ」
「あぁ…? …なんだと?(怒)」
「いや、そんなドスのきいた声で凄んだって状況は変わらないよ。
いろいろなホテルを当たってくれたんだけどねぇ、やっぱり直前過ぎてもうどこも埋まっていたらしいんだよ」
「んなこと分かってんだよ! なんのためにお前に頼んだんだと思ってんだ、こんなときのための汚ねぇ金持ち経営者なんだろうが! お前、闇のコネとか持ってんだろ、それを使って秘密のリッチなホテルに俺と江蓮を泊めろ!」
「なんだね闇のコネとは? 何を想像しているんだ犬彦、そんなのないよ。
まあ、それなりにはね、私がいくつか持っている会員権とかを使って、お前の希望に沿えそうなホテルを少し強引に押さえることもできなくはないんだけど、場所が遠かったんだよ、宮崎とか沖縄とか北海道とか。
今回の旅行は江蓮と静かに過ごしたいと望んでいるお前に、そこまで遠いところへ行く気はあるのかい? あと残っているのは、すべて人で溢れた観光地のど真ん中の場所だけ、ホテル自体もアミューズメント施設とつながった大規模なものだし、すごく賑やかで楽しいとは思うけどね」
ごちゃごちゃと老若男女であふれた騒がしい観光地…だと?
人混みに揉まれる江蓮と自分の姿を想像したら、鬱陶しさで犬彦の背筋はゾッとした。
せっかくの休日を消費してまで、そんなところ絶対に行きたくない、休日とは心身を休めるためにあるのだ、今の疲弊し切った自分にとって、江蓮以外のすべての物事がストレスである。
「ただひとつだけ、お前の希望に合いそうな宿泊施設があることには、あるんだが…」
うんざりした気持ちとガッカリが合わさったところに、やけに思わせぶりな栄治郎のそんな言葉が追随してきたものだから、犬彦のイライラは右肩上がりになる。
飢えた熊のように自分のデスクまわりをウロウロ歩きながら、犬彦の口調はどんどんきつくなった。
「おい、もったいぶってるんじゃねえ、はっきり言え」
「うーん、だけどお前や江蓮の好みにあうかどうか分からなくてね。
なにせ、山梨県の奥深い山の中にあるロッジだから」
「ロッジだと? キャンプ場か?」
「雰囲気は似ているけれど、少し異なる。
このロッジがある場所は、私の個人的な私有地なんだ」
「私有地? つまりはお前の別荘ってことか?」
「いや、別荘と呼べるほど立派なものではないんだ、なにしろ山小屋とも言える規模のロッジだからね。
なぜ私がそのようなロッジを所有しているかと言えば、色々な諸事情があって譲り受けたんだよ、そのー…負債の返済の一環として」
「フン、借金のカタに取り上げた建物ってことだな」
「相変わらず言い方が悪いね犬彦、きちんと法的に譲り受けたんだよ、せめてもってね」
「だが、お前がいくら金を貸してどれほど焦げ付いたのかは知らないが、そんな山の中の土地、貰ったところで得はしないだろう、むしろ税金取られるだけ損するんじゃないか? アホか栄治」
「確かに、その土地や建物に資産価値はほとんどない。
ロッジ自体も減価償却され切ってるしね」
「それならただのゴミじゃねーか」
「いや、そうとは言い切れない。
資産的価値はなくとも、個人的な趣味の一環として保有するには悪くない立地にあるんだ」
栄治郎の個人的な趣味の一環として有意義な立地にあるロッジ…だんだん話の全容が見えてきた犬彦は、悪態をつくのを止めて黙り込む。
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