2-2


 「出かけたい、どこか遠くへ。

 そう…今度の連休にでも、静かなところへと」



 数回のコールのあと、新年の挨拶もなしに、いきなり電話口でそんな自身の願望について語ってきた犬彦に対して、戸惑ったような様子も感じさせずに話の相手は、手に持っていたグラスをテーブルに置くと、穏やかに返事をした。

 犬彦がいきなり絡んでくることにはもう慣れっこだったので、むしろ、これは新年初絡みだなぁ…と、ほのぼのとめでたい気持ちになった。



 「そうか、それは素敵だね」



 「バカか、この正月ボケが!」



 しかし、親切にも相手の願望に合わせてせっかく同意の相槌をしたというのに、その思いやりのある言葉は、即座に犬彦によって吐き捨てられた。

 (犬彦は長年の付き合いから電話口の口調だけで、相手が今ほろ酔い状態であることに気付いてムカついたのだ。…こっちは会社で仕事をしているのに、こいつはこんな時間から酒なんか飲みやがって…!)

 しかも忌々しげに電話の向こうから、続けて「フンッ…!」と、機嫌悪く吐かれた悪態が聞こえてくる。


 新年早々、まったくやれやれだ…と思いながら、実家である本家へ帰省していた栄治郎は、犬彦に聞こえないようにそっとため息をついた。

 まあ、こんな犬彦の態度は、いつものことだけれど。


 (この話の流れからして用件は、きっと今年初の、犬彦のおねだりだな)



 「察しの悪い奴だな、お前は!

 こんなド新年から会社に出勤してせっせと仕事をしている可哀相な俺のために、連休中のホテルの予約を押さえてくれって言ってんだよ、自分だけ正月休みを満喫している悪徳経営者めが!」


 (ほら、やっぱり)



 「えっ、犬彦…お前、いま会社にいるのか?

 どうして、本当なら全員、正月休暇中のはずだろう?

 そんなに業務上、逼迫した状況にあるのか?

 江蓮はどうしているんだ?」


 

 「…江蓮は、いま父親と一緒にいるんだよ」



 「ああ、なるほど…」



 こちらもまた長年の付き合いから、いま犬彦が、江蓮の名前を口にするときの声色が微妙に弱々しかったことに、しっかりと栄治郎は気付く。

 そしてすぐに犬彦の現在の様子…さらに、そのメンタルの落ち込みっぷりを理解した。



 「わかった、今度の連休だな。それでどんなホテルがいいんだ?

 他に希望は?」



 「とにかく静かなところがいい。

 鬱陶しいものは何もなくて、江蓮と二人だけでのんびり過ごせるようなホテルが…。

 特別な観光とかはしなくていい。

 もう…人間がいないところへ行きたい…」



 「(これはこれは、ストレスの末期症状だな)ふむ、それなら個別に一棟貸切ができる温泉宿とかの方がいいかもしれないね。

 その条件でこれから秘書に場所を当たってもらうから、また後で折り返すよ」



 それだけ話すと、電話は切れた。

 スマホをデスクの上に戻した犬彦は、フーッと息を吐いてから意識を切り替え、また目の前にある残務処理へと戻っていく。


 言いたいことを言って、栄治に八つ当たりをしたら、気分が少しはスッキリした。

 あとは、栄治からの電話を待つばかりだ。

 

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