1 江蓮 【はじまり】

 

 「今度の連休、旅行にいこう」



 俺にとっては一年のあいだで一番忙しいイベントだった年末年始も終わり、やっと全部がコンプリートと思ってホッとしたらすぐに学校が始まり、あーなんだかなぁ、慌ただしいイベントモードからこうやって穴に落ちるみたいにストンと、いつもの平凡な日常に戻ると脱力感ハンパないなぁ…なんて思いつつ日々を送っていた、ある日の晩ごはん中、犬彦さんがいきなりそんなことを言い出した。


 突然サプライズイベントをぶっこんでくる犬彦さん、恒例行事とも言えるいつものアレである。



 「旅行? どこに行くんですか?」



 また学校が始まったというダルさがやばくて、今夜なんか、THE手抜き料理の豚キムチをメインおかずとして作り(キムチと豚バラをごま油で炒めるだけで出来ちゃうから、晩ごはん作りのやる気が出ないときの、俺のレギュラー料理だ)それをもそもそ食べていた俺のしょんぼりテンションは、犬彦さんの言葉によって、一気に爆上がった。


 犬彦さんとふたりで旅行…そして犬彦さんとふたりだけでのんびり過ごすのって、なんかすごい久しぶりな気がするぞ…!


 怒涛の年末年始、俺と犬彦さんがふたりだけで過ごす時間というのは、ほとんどなかったと言って間違いないだろう。

 その理由は父さんがうちに帰省していたことで、一時的に三人家族になったもんだから、これまで通り犬彦さんとふたりだけで過ごすタイミングがなかっただけじゃなく、年が明けてからの俺と犬彦さんは、ほとんど別行動をしていたからだ。


 さすがに元旦は、俺と犬彦さんと父さんの三人で一日中いっしょに行動していたけれど、次の日…なんと二日から犬彦さんはもう仕事に行きはじめてしまったのである!

 俺と父さんが見送るなか、新年二日目の朝の太陽の光を浴びながら、玄関から出ていくスーツ姿の犬彦さん、…大人って大変なんだなと思いつつ、その背中をみつめる俺、そしてとなりに立つ父さん。


 当然、犬彦さんは夜になるまで会社から帰ってはこない。

 こうして俺は、新年二日目以降、父さんと二人だけで行動することになった。


 父さんと俺の二人だけがうちにいるとか、父さんと二人だけでテレビを見るとか、食事をするとか、なんというかこう…犬彦さんとだったら別になんとも思わない普通の日常の一コマなのに、その相手が父さんにチェンジしただけで、なんともいえない違和感というか変な感じがした。

 別にそれが嫌なわけじゃないんだけど。


 でも、犬彦さんが仕事にいっているあいだ中、俺と父さんはずっとうちにいたわけじゃなくて、むしろほとんど外出していた。

 せっかく日本に帰ってきているからということで、父さんと俺は、親戚のところへ挨拶まわりをしていたのだ。


 父さん側と、亡くなった母さん側、それぞれの親戚のところを日替わりで挨拶にいく。

 これまた久しぶりに会う、おじいちゃんおばあちゃん、親戚の人たちは、みんな俺と父さんの顔を見て喜んでくれるし、お年玉やお菓子もくれたりして、楽しかったし俺も嬉しかったけれど、それでもけっこう疲れた。

 それぞれの家が電車で片道二時間くらいかかるような場所にあるし、大人たちがずーっとしゃべっているのを、ただひたすら同じテーブルで聞いてなきゃなんないし。


 そんでもって俺は毎回、こういう親戚の集まりに顔を出していると、いつも変な錯覚を起こしてしまうのだ。

 ぼーっと大人たちがしゃべっているのを聞きながら(俺と年齢が近い従兄弟とかもいないんだよね)なんでここに犬彦さんがいないんだろう、犬彦さんがお仕事お休みの日に来ればよかったのに父さんってば気が利かないなぁ、とか自然と考えてから、あ…そうだ、犬彦さんは親戚じゃないんだ、血がつながってなかったんだ、って思い出してしまう。


 そして、そこで気づくのだった。


 いくら犬彦さんが会社で重要なお仕事をしているからと言っても、さすがに正月の二日目から会社に行く必要はきっとない、おそらく犬彦さんは、ぼーっと無意識のうちに犬彦さんのことを血のつながった兄弟みたいに思ってしまう俺とは違い、自分は元から他人であることをしっかりと自覚していて、俺と父さんの実の親子が、親戚たちと水入らずで過ごせるように、自分からフェードアウトして距離を取っているんだと、…今だけは。


 そう思うと、なんだか嫌な気分がした。


 父さんのことも親戚の人たちのことも、もちろん嫌いじゃないけど、早く正月が終わって、今まで通りの犬彦さんとふたりだけの平凡な日常に戻りたいと思った。


 そして…俺にやさしくしてくれる父さんや親戚の人たちに囲まれながら、そんなことを考えている自分に、嫌悪感を覚えた。


 正月だからって、楽しくていいことばかりじゃない。

 こうして憂鬱な気持ちになることだってある。


 ただ、そんな複雑な気持ちの中でも、親戚巡りのなかでちょっと面白いなと感じたことがひとつあった。


 父さん側も、母さん側も、それぞれの親戚たちはもちろん、父さんが長期で海外に出張しており、日本の学校に通っている息子の俺とは、別々に暮らしてことを知っている。

 では、未成年である高校生の俺が、誰の保護下で暮らしているのかというと…なんと、それぞれの親戚たちは別々の勘違いをさせられているのである!


 息子の俺が知る限り、父さんという人は、どちらかというと口数が少ないほうで、落ち着きがあり、実直な性格をしていることもあって、誠実な人物であると周囲から思われている。(はずだ)


 しかしそんな父さんは涼しい顔をして、父さん側の親戚には「江蓮は、亡くなった妻側の親戚の従兄弟で、社会人のお兄さんと同居させてもらっている」と話し、母さん側の親戚には、いまの説明を『父さん側の親戚』に置き換えて話している…つまり、俺と暮らしている犬彦さんの出自を「相手側の親戚の従兄弟」なのだと、堂々と嘘ついているのだ!


 犬彦さんというひとが、どんな人柄のどういう人物か知らない親戚たちにむかって、血のつながりのない他人に預けていると正直に話すのは、面倒だし危険だと父さんは考えているのだろう。(やっかいなことになりそうだもんな)

 そんなふうに危惧する気持ちは、俺にもよくわかる。


 しかし犬彦さんは当然として(だって犬彦さんはああいうひとだから)自分の父親までもが、善意の目でみつめてくる大人数を前にして、こういう嘘を堂々と吐ける人だとは高校生になるまで俺は気づかず、なんとなくニヤニヤしながら大人たちの会話を聞きつつ、黙って出されたおやつを食べていた。


 まあ、そんなこんなで、父さんが5日にまた日本を離れるまで、俺はほとんど犬彦さんといっしょに過ごすことがなかった。

 やっと日常が落ち着いて、いつもの犬彦さんとの二人暮らしに戻ったと思ったら、最悪なことに学校がはじまったもんだから、それまでの俺のなんだかぐったり感は計り知れない。


 でも、今の犬彦さんによる新イベント発表によって、俺のやる気テンションは向上した。

 ワクワクしながら旅行の行き先をたずねると、犬彦さんは缶ビールをひとくち飲んでから続きを話してくれる。

 

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