江蓮のふしぎな考察録5 -黄金の骸殺人事件ー
桜咲吹雪
プロローグ
俺と犬彦さんを取り囲むようなかたちで、まわりの人々は固唾を飲んだまま、こちらをみつめている。
みんなから一斉に視線を向けられていると、まるで俺と犬彦さんこそがお芝居の主役になったような気分へと陥りそうになる。
だけどそれらの視線は、恐怖だったり怯え、怒りといったようなネガティブな色に染められていて、主役に向けるべきものとはまったく違うのだった。
俺は思わずドキドキしてしまい、俺の正面に立つ犬彦さんの背中…コートのはじっこを、ぎゅっと掴むと立ちすくんだ。
しかし、そんな周囲のギスギスした空気のなかでも、やっぱり犬彦さんは一切怯むような様子を見せない(当然か)ものすごく堂々としている。
こんなときでも犬彦さんの様子は、コンビニの冷蔵コーナーで、どの飲み物を買おうかなって選んでいるときと、まったく変わらない、超平然とした態度でいる。
だから、こうして犬彦さんの一部に触れていると、自然とその落ち着きが臆病な俺にも伝わってきて、俺の心も強くなれるような気がした。
周囲の人々は当然、犬彦さんの背後に隠れている俺なんかより、平然としまくっている犬彦さんの方へと視線が釘付けになっているようだった。
人々は全員があれから黙り込んだまま、犬彦さんをじっとみつめている。
だけど、そんな沈黙を破るようにして、やっとある人が口を開いた。
「やっぱりそうだ、…どう考えてもおかしい。
あ、あなたしかいない、みんなを殺したのは…あなたなんだっ!!
殺人鬼は、あなただったんだ!!」
それまで黙っていたのが嘘みたいに、その人は犬彦さんのことを指さすと、絶叫に近い声でそんなふうに糾弾してきた。
もしかすると、周囲の人たちは皆、同じ考えを持っていたのかもしれない。
ただ、みんなの代弁者に過ぎなかったであろうその人が、犬彦さんのことを『殺人鬼』と名指しした途端、サッと顔色を変えて、中央に立つ犬彦さんから全員が一歩ずつ退いた。
人々の目は、ますます恐怖と怒りで染まっていく。
…あーあ。
ぐるりと辺りを見回して、そんな周囲の様子を確認してから、俺は犬彦さんの背中のうしろでため息をついた。
やれやれ…こういうシチュエーションになると、いつも真っ先に犬彦さんが犯人扱いされちゃうのって、なんなんだろう。
割れたお皿のそばに猫が座っていたら、自動的に犯人だと思われちゃうみたいな…そういうカンジ?
ため息をついてから俺は、目の前にあるいつも見慣れた犬彦さんの背中をみつめた。
犬彦さんのうしろに立つ俺からは、当然、犬彦さんが今どんな顔をしているのか見ることはできない、…まあ、いつものポーカーフェイスだろうけど。
今、殺人鬼だと名指しされた犬彦さんは、どんな顔をして、どんなことを考えているんだろう?
怒っているだろうか、それとも呆れてる?(めんどくさい…と思っているのは確実だろう)
まあ、とりあえず…このあとどうなるんだろう?
ここに集まっている人たちの中で、とにかく例の…『黄金の骸』が、犬彦さんではないという絶対の答えを知っている俺は、たぶん本当の犯人はあの人なんじゃないかなぁ…と思っている人物へ、ちらりと視線を向けてから、ロッジに置いてきた鹿肉ジャーキーのことを考えた。
だって、おなかがすいてきたから…。
ぼんやりと古い壁時計へ視線を向ける。
奇跡的にそれはまだ動いていた。
もうすぐ15時が近い、おなかがすくのも当然だ、もうすぐ世間一般で言うところのおやつタイムが来るじゃないか。
うちに帰る前に犬彦さんと残ったおやつを食べて、車に積む荷物を減らしたいんだけどなぁ…。
でも…この雰囲気だと、まだまだみんなの推理タイムとその盛り上がりは、すぐには終わらなそうだよな…。
どれだけポジティブに考えても、当分、俺と犬彦さんはこの廃墟ホテルの中から解放してもらえそうになかった。
もう一度こっそりため息をついてから俺は、殺人鬼だと名指しされた犬彦さんの背中を眺める。
この物語の結末を、俺はまだ知らない。
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