違和感
シルティの話を聞き終わったエドガーは、現実を受け入れられない様子だった。顔を両手で覆って震えながらため息を吐いあとで彼は完全に押黙ってしまった。
そして不思議なことがあった。エドガーに話をするうちに、シルティの心の中に拭いきれない不安な気持ちが湧き上がってきたのだ。
(エドガーは本当に自分の意思であんな行為に及んだの……? それに、私が臥せっている間に誘拐事件をおこしたなんて……)
正直、目の前に座るエドガーの様子を見ても、そのようなことができる人間ではないと思う。
一度違和感を覚えると、不自然だと思う部分がたくさん思い浮かんでくる。
そう。例えば、セドリックと居るときだけなにかに操られているような――、
「シル」
思考の海に沈み込んでいた意識が浮上する。ハッと我に返ったシルティは、ふるふると
「はい。なんでしょう」
淑女の仮面を貼り付け、泰然とした姿に戻った。
「君はこれを覚えているかい……?」
「っ、それは……」
――勿忘草のポプリ。
思わず手を伸ばしてポプリに触れた。ふわりとすみれの花の香りが鼻腔を刺激し、シルティの脳裏に在りし日の思い出がよみがえった。
『忘れないで』
そして、エドガーを想っていた愛おしい気持ちも……。
ふいに一筋の涙がこぼれた。
「ぅ、」
「……なぜ泣く? 私がなにか君を傷つけるようなことをしてしまったのか? そうだというなら教えてくれ。……なぁ、シル。私は君に泣いてほしくない。いつも笑っていてほしい。……それが私の隣でなくとも」
「っ、ぅ、うぅ……っ」
シルティを気遣って近づこうとしないエドガーの姿に涙腺が崩壊した。あれだけ腹を立て、怒り、憎んでさえいた彼を、今は愛していると確信できる。
(どういうことなの……。私が愛しているのはセディではなかったの? いいえ、でも、あの時は確かに……。それに私は……もう……セディに乙女を捧げてしまった……。……ああ、なんということ! ああ、エドガー……!)
ついに顔を両手で覆ってしまったシルティに、さすがのエドガーも腰をあげた。だが、シルティの肩に触れようとしたところで、伸ばした手を止めてしまう。
……彼は怖かったのだ。
シルティの話の中のおぞましい自分が、再び彼女を傷つけてしまわないかと。
「シルティ……シル……」
それでも、逡巡したのちにシルティの背に手をおいて、幼子にするように規則正しく背を叩いた。
ぽん、ぽん、ぽん……
シルティは、顔を覆っていた両手を僅かに離すと、顔をくしゃくしゃにしてエドガーを見上げた。
「エドガー、私、あなたを愛しています……愛しているのです……! だけど私はっ」
「――どういうこと?」
2人がハッと扉に顔を向けると、そこにセドリックが立っていた。
なぜ、と問う前に、駆けつけたセドリックがエドガーの手を払い除け、
「来るな!」
容姿に似つかわしくない地を這うような声で叫んだセドリックは、震える手でトラウザーのポケットから
「!! ……貴様……っ!」
「シルティ様!!」
2人が動きを止めたのを確認したセドリックは、シルティの白い首すじにナイフを当てた。身の危険を感じたシルティの身体が反射的に
「セディ……!」
「…………」
もはや、シルティの声はセドリックに届かない。
混乱か、怒りか。それともどちらともか。セドリックの身体はブルブルと震えていた。だんだんと荒くなっていく呼吸に、唇の色が失われていく。セドリックは、乾いた唇を
「……たじゃないか」
「え……?」
シルティは、セドリックが震えるたび、皮膚に浅い傷を作るナイフに恐怖していた。そのため、セドリックの言葉を聞き取ることができなかった。そのシルティの態度に、軽んじられたと考えたセドリックは、ナイフを首から離すと豊かな胸の中心に据え直した。室内に悲鳴と怒号が響いたが、セドリックは意に介さず、もう一度口を開いた。
「シルティ……あなたは言ったじゃないか……僕を愛しているって……!」
「お願い、セディ。私の話を聞いて。……セディ? セディ、お願いよ、私の話を聞いて――」
「いやだ!!」
セドリックが頭を振ると、シルティの顔に冷たい雫が落ちてきた。
「……セディ、泣いているの? お願い、泣かないで。セディ、あなたが泣くと私まで悲しくなってしまうの。セディ、セディ? 私の愛しいセデ、」
「嘘つき」
その言葉にシルティが息を詰まらせたとき、セドリックはナイフを勢いよく押し下げた。ペーパーナイフで紙を切ったときのような音がし、切り裂かれたセルティのドレスの
「きゃ……っ!」
とっさにあらわになった肌を隠そうとしたが、その手をセドリックに絡み取られてしまう。まるで縄で吊り下げられたような体勢にさせられ、豊かな胸と上半身がエドガーの眼前にさらされた。それを見たエドガーの顔から、さあっと色が失われていく。
シルティの身体を凝視したまま固まってしまったエドガーの姿に、セドリックは愉悦感を味わい、勝者の顔をした。
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