真実の愛


 「シルティに会いたい」


 お見舞いの花束とシルティが好んでいた菓子を持って、エドガーはウィルベリー家を訪ねていた。



 あの日――ひと月に一度の茶会の日。応接室を出ていったシルティがなかなか戻らず心配していたところに、なぜか、温室に席を用意しなおしたと伝えに来た彼女の侍女に「シルティが戻ってこない」と言うと、血相を抱えて部屋を出ていってしまった。


 これは非常事態だと察知したエドガーは、自身も捜索を願い出た。


 しかし、表情にわずかな怒りを浮かべた侍女2人に止められてしまい、さらに、温室へ移るようにと言われた。


「なぜ、温室に……」


 そう呟くと、侍女たちのまとう空気が剣呑なものになり、エドガーが問う前に、さっさと下がってしまった。


「……なんなんだ、一体」


 なにがなんだかわからず、ソファに座り直したエドガーは、目の前で優雅に紅茶をすするシルティの義弟に問いかけた。


「セディ、……いや、失礼。ウィルベリー小伯爵。君はなにかご存じないか」


 セドリックは一拍おいてソーサーにカップを戻すと、感情の読めない表情で答えた。


「……いいえ。ですが、エルヴィル小伯爵様は義姉あねの婚約者ですから。質問がおありでしたら、直接、義姉にお尋ねになられるのがよろしいかと存じますが……いかが?」


「それは確かに、そう、なのだが……」


 なぜか、言いようのない不安感が胸中に渦巻いていた。


 まるで、自分が大きな過ちをおかしてしまった時のような――……



 ……茶会当日の記憶は途切れ途切れで、断片的にしか思い出せなかった。


 シルティに、茶会の場所を温室に移せと、まるで使用人に対するような扱いをしたのだと、メイドに非難されたが、まったく身に覚えがない。


 しかもさらに驚くことに、その日シルティは行方知れずになっていて、彼女の専属侍女を筆頭に、手の空いている者たちで捜索を行ったらしい。その後、シルティが居室で倒れているところを専属侍女が発見し、いまもずっと眠ったままだという。


 そして私は、自分の愛する婚約者が大変なことになっていたというのに、応接室から温室へ移り、ウィルベリー小伯爵と2人で、ティータイムを満喫していたというのだ。


 そして帰る頃になっても、エドガーの口からシルティの身を案じる言葉は一言もなく、満足した様子で領地に戻ったらしい。



「なんだそれは! ありえない!」


 結局、門前払いされたエドガーは、受け取ってもらえなかった花束と菓子を積み、馬車に乗って領地へ帰っている途中である。


「っクソ! いったいどうなっている……!?」


 馬車の壁に拳を叩きつけると、そこに飾っていた勿忘草わすれなぐさのドライフラワーが、エドガーの膝の上に落ちてきた。


 エドガーは一瞬息を詰めると、そのドライフラワーを手に取り、ふわりと香るフルーティーでほんのり甘い、まるでシルティのような匂いを、肺いっぱいに吸い込んだ。


 ふと、エドガーの脳裏にある日の記憶が蘇る。


 あれは、婚約して一年が経った、春の日のこと。



*****



「エド、よろしければこれを受け取って頂けませんか」


 そう言って、恥ずかしそうに手渡してきたのは、エドガーがシルティの誕生日に贈った、彼女の好きな花――勿忘草のドライフラワーとポプリだった。


「これを、私に?」


 シルティは頬を真っ赤にして、こくこくと頷いた。その仕草が小動物のようにかわいくて、ああ、愛おしいなと思った。


 「ありがとう」と受け取ったドライフラワーとポプリから、すみれの甘い香りと、フルーツの優しい香りが鼻腔をくすぐった。


「いい香りだ……。だけど不思議だね。勿忘草からすみれの花の香りがするなんて」


 そう言うと、その質問を待っていたかのようにシルティの表情がパアッと明るくなった。


「エド、勿忘草には本来、香りがないのです。こんなに可憐で美しいお花ですのに、とても残念に思いまして。この素敵なお花に香りがあったなら、それはどんな香りなのだろうと思い、イメージに近い香りを自ら調香したのです。いかがです? 儚げな勿忘草にぴったりな香りだと思いませんか? この香りは時間が経つと、ほのかな香りに変化していくのです。まるで、『わすれないで』と伝えてくるように……。エド、気に入って頂けましたか……?」



*****



 あの日から、この香りは私にとって、シルティの香りとなった。


 いつでもシルティの存在を感じられるように、自分の馬車にドライフラワーを飾り、ポプリはベッドのヘッドボードにくくりつけてある。


 エドガーの心の中にはいつも、シルティの存在があった。


 ……なのにどうして、


「こんなことになってしまったのだ……」


 エドの頬を涙が流れ落ちる。


 こんなにも愛している。


 なのに、本当に私が、私自身が、シルティを酷く傷つけてしまったのだろうか。


 エドガーにそのようなことをした記憶はないが、周囲の者は口を揃えて「是」と言う。


「私がシルティを傷つけるなんて……。そんなはず、ないのだ……!」


 せめてシルティに会って話すことができたなら。


 けれど何度も門前払いをくらっている。


 だったらどうする?


 どうすれば――……


 エドガーの頭の隅に、天使のような容姿をした男の姿がよぎった。


「セドリック・ル・ウィルベリー……」


 シルティが心から慈しむ存在。シルティの義弟。だが、彼が彼女に向ける瞳は……。


 エドガーは、馬車の天井を杖で叩いた。


「ウィルベリー伯爵邸へ引き返してくれ!」


 エドは思った。セドリックに会わなければと。




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