裏切り


 厨房に向かう途中で、ティーワゴンを引くノナリアと出会った。


「ノナリア」


「……シルティ様?」


 応接室に居るはずのシルティがこの場にいることに驚いた様子のノナリアは、瞳をまんまるにすると、ワゴンにロックをかけて、シルティのもとへ駆け寄った。


「どうされたのですか?」


 泣いたせいで崩れてしまった化粧と腫れたまぶた。鼻の頭は赤くなっているが、顔色は真っ青に近かった。


「……いったい、なにがあったのでございますか」


 侍女としての節度をまもりつつも、心配と怒りのまじった声音を隠すことはできておらず、本気で気にかけてくれているノナリア。


 優しい彼女のことだから、先程起こったことを愚痴れば、共に怒り、悲しんでくれるに違いなかったが、今のエドガーと極力接触させたくなかったシルティは、あからさまに話題を転換した。


「ノナリア、申し訳ないのだけれど、お茶会の場所を温室へ移していただけないかしら?」


「……温室に、ですか?」


 いつものノナリアらしくない、眉間にしわを寄せる姿に苦笑する。


 使用人は基本的に、主の命に疑問を持ってはならないことになっている。通常時のノナリアならば、一も二も無く、「かしこまりました」と言って下がっただろう。


 しかし彼女はそうしなかった。その理由は、今のシルティを心配しているのはもちろんのこと、あの2人の関係を見抜いているからということも含まれているだろう。


 主人に忠実な専属侍女を持ったことを誇りに思うと同時に、だからこそ、ノナリアを巻き込みたくないという思いが強かった。


 ごめんなさい、ノナリア。心配してくださってありがとう。


 そう心の中で礼を言い、ノナリアの表情に気が付かなかったふりをした。


「それで、お願いできるかしら?」


 ノナリアは優秀だ。シルティの意図を汲み取ったのだろう。今度は口を挟むことなく、いつものように「はい、かしこまりました」と頭を下げた。


「ごめんなさいね。せっかく、応接室用のお茶とお菓子を用意してくださったというのに……」


 自分で言い出したわけではないが、少なくない使用人たちを振り回すことになってしまい、申し訳なさでいっぱいだった。


 しかしノナリアは、「それが本分ですので、お気になさらないでください」と微笑んでくれた。


「そう言ってもらえると有り難いですわ」


「いいえ、当然のことにございます。では、わたくしは厨房に戻ったのち、温室にてセッティングを致します。少々お時間をいただくことになると思いますが、よろしいでしょうか?」


「ええ、かまいませんわ。無理を言っているのはこちらですもの。では、よろしくね。私は応接室に戻っていますわ」


「かしこまりました。用意が調い次第、お声をかけさせていただきます。では、御前を失礼いたします」


 そう言って下がっていくノナリアの後ろ姿を見つめながら、「私も戻らなければ」と重い足を動かしたのだった。



*****



「……ん?」


 途中、自室にもどり化粧直しをしたが、予定より早く戻ってこれたシルティは、応接室の扉近くで、なにやら話し込んでいるメイド2人に声をかけた。


「あなたたち、そこでなにをしているの?」


「お、お嬢様……!」


 どうやら声をかけるまで、近くにシルティがいることに気が付かなかったようだ。


「私が声をかけるまで、なにか真剣な話でもしていたみたいですわね。今日は応接室にお客様がいらっしゃっているの。何も指示を受けていないメイドが、通りすがりに、興味本位で聞き耳を立てることは許されていなくてよ」


 持ち場に戻るように指示を出そうしたところで、シルティはようやくメイドたちの顔色が悪いことに気がついた。 


「あなたたち、まさか――」


「も、申し訳ございません! ですが不可抗力だったのです! それに……!」


「お嬢様は居室にお戻りになられたほうがよろしいかと……!」


 シルティが応接室に近づくのを必死になって止めようとする姿に、ああ、なるほど。と、納得した。


「……エドガー様と、セドリックのことですわね。私なら大丈夫でしてよ。さぁ、あなたたちは持ち場に戻りなさい。……それと、暫くの間、この周辺に近づかないようにと、他の方たちに通達していただける?」


 メイドたちは、なおもなにかを伝えたそうだったが、複雑そうな表情を浮かべたまま、言われた通りに持ち場へと戻って行った。


 彼女たちの後ろ姿を見送ったあと、応接室に戻ろうとした。しかし、近づけば近づくほど、室内から聞こえてくる声がはっきりとしていく。


 ――見ては駄目。


 頭の中で警鐘が鳴っているというのに、なぜか歩みを止めることができなかった。


 完全に閉じられていない扉の、小指の長さ程度の隙間から、衝撃的な光景を目にしたシルティの頭の中は真っ白になる。


「あっ、あっ、あっ、ッア」


 榛色の瞳に映り込んできたのは、自分の婚約者と愛する義弟がまぐわう姿で、はじめて耳にするセドリックのあられもない甘い声が、強く脳を揺さぶった。


 くらりとめまいがし、危うく倒れ込みそうになったが、両足に力を入れて耐える。


 しかし、両目からポロポロと流れ出る涙を止めることはできず、両手で口元をふさいで、嗚咽がもれるのを必死に防いだ。


(ああ、なんてこと……!)


 これ以上この場に留まることができずに身を翻すと、シルティは自室に向かって全力で走った。


 そうして転がり込むように部屋に飛び込むと、勢いよく扉を閉め、鍵をかけて、その場にずるずると座り込んだ。


 先ほど目にした光景を、忘れたくても忘れられず、むしろそう努めるたびに鮮明になっていく光景は、シルティの心をズタズタに引き裂いた。


「セディ……セドリック……!」


 愛おしかったはずの義弟の名を、怒りに震えた声で呼ぶ。


 しかしシルティにはわからなかった。


 自分の婚約者の裏切りよりも、セドリックの裏切りのほうが、心臓をえぐられるような痛みをもたらす意味を。


「うっ……うっ、うぅ……!」


 シルティを探していたノナリアが扉を叩くまで、涙は流れ続けた。




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