歪み
シルティが眠ったまま目覚めなくなって、もう7日が経つ。
伯爵や医師が言うには、衰弱が激しく、このまま食事を摂れないと、命が危ないということだった。
あのお茶会の翌日からエドガーが毎日面会に訪ねてくるが、伯爵の命令で門前払いとなっている。その情けない姿を見るたびに、愉悦を覚え、溜飲が下がる思いだった。
あんな男はシルティに相応しくない。
少々、時間がかかり、骨が折れたが、当初思っていた通りの状況になり、計画は順調に思えた。
ただし、シルティの命が脅かされている今の現状だけは計算外で、どこでなにを間違ったのか、あの日に戻れるのならば、もう一度最初からやり直したかった。
……いや。こんな計画を実行したことが、そもそもの間違いだったのだと気づいている。もっと他にやり方があったはずだ。だが同時に、これしか方法がなかったのだという気持ちがあるのも事実だった。
おもむろにソファから立ち上がり、掃き出し窓まで行くと、いつものように湖畔と東屋を見つめた。
瞳を閉じれば、幼いシルティとセドリックが、仲良く花冠を作っている光景がまぶたの裏に浮かんだ。
深く深呼吸をすると、あの日嗅いだ、初夏の風の匂いがした。新緑の青葉の香りと果実水の甘ずっぱい香り。ラベンダーの土の匂いを含んだ爽やかな香り。
幼い頃の毎日は、楽しく、とても愛おしいものだった。
セドリックは、窓に映る契約印をガラス越しになでた。はだけたシャツからのぞく、心臓の上に刻まれた盟約のしるし。
『セドリック。君には将来、ウィルベリー伯爵位を継いでもらうことになる。まだ5歳の君には難しい話かもしれないが……。そうだな……要するに、私の娘のお婿さんになってほしい、ということだよ。意味がわかるかい?』
『ただし、それには条件があるんだ』
『君が将来、ウィルベリー伯爵になるということは変わらない。だが、私の娘と結婚することになるかは私の娘次第になる。……君を迎えるにあたって、娘には婚約者だということは伏せておく』
『将来2人が大人になったとき、お互いに愛し合っていれば結婚することになる。しかし娘に好きな人がいる場合は、2人の婚約を解消して、他の女性と結婚してもらいたい。……わかったかい?』
幼く愚かだったセドリックは、「是」とこたえてしまった。
「この印を解くには、シルティと僕が心から愛し合っている状態で口づけを交わすこと。そう告げられたのは、半分嘘だった……」
この国に数名しかいない魔法使いのひとりであるクロードが言うには、この盟約印には逃げ道があるらしい。その逃げ道とは、
シルティがセドリックに処女を捧げること。
はじめてクロードから聞かされた時は、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑ってしまったのを覚えている。
そんなもの、真実の盟約と言えるものか!
だから決めたのだ。婚前交渉が許されているこの国で、エドガーの魔の手からシルティを守りきると。
そして盟約の通り、シルティから愛の告白を受け、真実の口づけを交わすことを。
そのためなら、卑怯なことも卑劣なことも、自分自身を汚すことだって厭わない。
セドリックは、ガラスに映る盟約印を握りつぶすように拳を握った。
「……誰にも渡さないよ。だって、シルティは。僕のシルは、僕だけのシルねぇさまなんだから」
そう言って微笑んだセドリックの口元は、酷く歪んでいた。
*****
アフタヌーンティーの時間、伯爵夫人の部屋に呼ばれ訪れると、酷く憔悴した夫人の姿があった。このような状況でひとりでいるのが心細かったのだろう。ようするにセドリックは、話し相手に呼ばれたのだ。
時間をかけて夫人を慰め、励まし、泣きつかれて眠ってしまった夫人の世話を侍女に指示をして、夫人の居室をあとにした。
今は緊急事態なので、授業は全てキャンセルになった。であれば、シルティのお見舞いに行くのが当然の流れなのだが、シルティは今、面会謝絶になっている。治療には、静かに療養することが重要だからだそうだが、他にも理由があるのではないかと、セドリックは思っている。
シルティに会えずもどかしいが、ここで無理を押して、伯爵の怒りを買うのは得策ではない。だから今は、自分の気持ちを押し殺して、シルティが目覚めることを祈りながら過ごすしかない。
だが、それすら理解できない馬鹿は存在する。自分の気持ちを押し付けることしかできない、考えなしで、自己中心的な人間。そう、
「……たとえばエドガー・シュウィッツ・エルヴィルとかね」
セドリックは、懲りずに邸へ押し掛けてきたエドガーのもとへ足を向けた。
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