夜更け早更け

紫鳥コウ

夜更け早更け

 大腸に隠遁いんとんした玩具の代表的な警句はハチスンの著作の引用であるという指摘をするために、両手で叡算えいさんを数えるが如く(各指は億の位を表わしている)恭しい道徳感情を抱かざるを得ないのは、架空の天子の実際の遺録を蒐集しゅうしゅうして一冊の本にまとめるよりも苦痛である。愚意を申し述べ恐縮でございますが、私の誕生日は粉砕されましたので、こんな文章を読んでいないで寝てくださいまし。白馬の王子様が草原に隷属することを決意し、城砦を幼少期からの想い人のように捨てるあの一瞬、双眸そうぼうに焔が宿る、あの官能的な寝返り。ハチスンの議論を批判的に継承した哲学者たちを横目に、擬似晴天ぎじせいてんに照らされた公園の滑り台の上で半裸になり蝶々たちと戯れ、裸子植物と針葉樹林の間に張られた蜘蛛の巣に捕まえられた、蝋燭の角、ラスクの目、羊羹の鼻、ゼリーの唇……この文章における比喩が、比喩であることを自覚し惨敗し廃れ散り、霧消し堕落し、厭世と危険思想にかぶれて、私の誕生日に審判を下した。


 雑巾の冠は帝威をまとうのだと、この文章における比喩は弁疏べんそするけれども、聞く耳を持たなくて構わない。変態点を探す必要もない。論駁ろんばくしなくてもいいし、慰撫いぶするなど論外である。裸体でいい……とは言わないけれど、私はもう疲れているのだ、気怠いのだ。どうぞ貶謫へんたくしたまえという気持ちであるし、だらしない服を着て偏袒右肩へんたんうけんしてやっても構わない。それくらいの弁知がないと思う勿れ。私の誕生日は粉砕されたのだから(誇示している訳ではない)、貴方の把持している濡れしょぼたれた事案を互市ごししようじゃないか。漉し餡の饅頭を食べた時に虎威を張った鴎やイソギンチャクが背後にいる気配がして、慄然したかと思えば泰然とし、悠々と甘味に酔いしれて、不意に恋歌が聞こえてきて仕方なく耳を澄ませていたら、その主は、柳暗花明りゅうあんかめいの季節に喇叭らっぱを吹きながら快翔する暗号化された感傷主義だと分かり、憤然とし昂然とし、何者かの造意を感じたのは言うまでもない。


 溜息を吐くくらいならば、叢雲そううんの彼方にいる貴方たちへサービスでもしようと思うのだけれど、読んでいて愉快になることなど書くことが出来ぬ気分ゆえ、どうぞ帰路に着いてくださいと……愚意を申し述べ恐縮ではございますが、奏聞させて頂きたく存じます。


 そういえば双蛾そうがという字を見たとき、蛾とはまゆのことであるとは知らず、私を貶める言葉だと勘違いし(ハチスンの著作にもきっと使われていない単語だったと思います)、おろしに身をさらわれる思いで、敢然と反抗の意を示し、眠れる獅子が覚醒し、暗々裏にねぐら闖入ちんにゅうし寝首を掻くつもりでしたが、蛾が眉であることを知ると、貴方は何事をも知悉ちしつしているのだと見せつけられた気持ちで、猫撫で声で媚びへつらい、猫に鰹節など忘却し、後憂こうゆうは雲散霧消し、光彩陸離、相対主義……とにかく貴方を尊崇しております。滔天とうてんの威勢で立ち向かう姿を望見しているような気分でございますと、愚意を申し述べ恐縮でございますが、凶音がありましたのでオサラバ致しますことを、大変申し訳なく思っております。


 強雨が降る日に、私の誕生日は粉砕されてしまい、その破片は、査閲さえつを受けることなく打ち捨てられ、なんて不幸なのだろうと思いはしたけれど(サンチマンタリスムだと罵られた屈辱……そのルサンチマンを扱った書籍を宣伝していたあの人は元気かしら、などと、いま急に頭に浮かびました。文章の途中にごめんなさい)、この心情を代詠してくれる誰かは、まめに花が咲くと言わんばかりに眼前に現れるであろうという、妙な自信もあり、この二律背反している今と未来を、どう調停すればいいのか分からず、困惑を隠しきれないことが情けなく、父の墓に埋骨してほしいなどと叫びたくなる。なんという不孝だろうと思い直してみたけれど、一栄一落の人生と考えれば仕方のないことだと、さらに思い直して、こういう思考の変遷は屡慈るじあることだと考えられよう。沈思すればこそ。夜更よふ早更さふけに。


 誕生日に受けとることが出来たかもしれぬメッセージを読むことができぬ身の上であるがゆえに、こうして文章を書いてきましたが(しかし読まれる前提の文章ではありませんし、ここまで目を通してくださった方は、どれくらい、いらっしゃるでしょうか。お一人の姿もありませんか。だとしたら、少々寂しく思います)、どうか身のまわりに誕生日の方がいるのならば、少なからず祝ってあげてほしいと切に思います。年を取れば誕生日なんてと感じがちだけれど、実際は寂しいものだというのを伝えたい。いま、六日むいか菖蒲あやめという慣用句を思い出した。その意味の仔細はともかく、誕生日の次の日は誕生日ではないということは、確たる事実である。そのことを、忘却なさらぬよう祈るばかり。頓首とんしゅ



 〈了〉

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