第1章 麒麟の透明人間(24)
「こ、こいつらはなんだ……い、一体どこに」
再び舞台は屋上に戻る。三原は腰を抜かして後ずさった。まるで地面が彼の足元から崩れ落ちていったかのような感覚を呼び起こすほどの驚愕であった。
「何言ってんだ。始めからずっとここにいたじゃねぇか」
カカカといたずらな笑みを浮かべて綾多華が近づいてくる。
「こんなにギャラリーがいるってのに、どうしてあんな堂々と犯罪を自供できるんだろうって不思議でしょうがなかったよ」
「ふ、ふざけるな!……いなかっただろ絶対!」
三原は震える指で綾多華の後ろの群衆を指差す。群衆に目を向け、その中の1人がスマホをこちらに向けていることに気が付いた。
「おい、撮るな!辞めろ!」
三原は近くの女子生徒たちの元に向かって走り出した。キャーという女子生徒たちの叫び声が屋上にこだまする。
綾多華は彼女らを守るため三原の前に立ちふさがった。
それを見て、三原の拳にさらに力が入った。何が起こっているかはわからないが、全てはこの女のせいで狂ってしまったんだ。もはや壊れた心を制御することはできなかった。目いっぱい力を込めた三原の拳はそのまま綾多華の顔面目掛けて放たれた。
パチンと、子気味良い音が辺りに響き渡った。
その音に周囲の緊張が一気に高まる。まさか本当に殴ったのかと、目を閉じて震える生徒もいた。
しかし、目の前に広がる現実は予想とは異なる結果となっていた。
綾多華の顔に届くかという寸前で、三原の拳は宙で止まっていた。彼女の顔面に到達する直前、ずっとその場にいた姿なき者が、その拳を受け止めて阻止した。
「な、なんだ……また、何かが……?」
三原の拳は、目に見えない何かに阻まれた。その瞬間、三原の瞳には驚愕の色が浮かんでいた。この感覚は前にも味わったことがあった。バスケ部の部室で殴られた時も、姿の見えない何かが自分を襲ったのだ。今、この出来事を通して、あの時の攻撃が目の前の女子生徒によるものではなかったことがはっきりとわかった。あの場には紛れもなく、別の『何者か』が存在していたのだと。
「なにしてんだよ、あんた」
三原の目の前から、低くて鋭い声が聞こえてきた。
それは目の前の女子生徒のものではない。そこに存在する何者かが発した声。その存在感がはっきりとしてくるにつれ、三原の顔色は青ざめていった。
目に見えない何者かは怒りに震える声で語りかけ、その感情はまるで握りつぶされそうな三原の拳にも痛みとして伝わってきていた。そして次の瞬間、三原の左頬に激痛が走った。その衝撃は三原の体を一気に吹き飛ばし、まるで時が止まったかのように宙を舞った。そして重力の掌に容赦なく捕らえられ、地面に叩きつけられた。
「く……な、なんだ……」
三原は全身に駆け巡る痛みをこらえながら、自分を殴り飛ばした何者かに向けて、恐怖に満ちた目で見つめ返した。
「…辛ぇよ、あんたを見てると。容姿にも恵まれて、学校でも人気者で、後ろのやつらもあんたの呼びかけで集まったんだろ?人望だってあるみたいじゃねぇか。あんたは俺が失ったものも、欲しかったものも、なにもかも全部持ってるのに、なんでこんなくだらねぇことで全部台無しにしてんだよ!」
与謝の叫びが、屋上に響き渡った。
もし三原がこんな悪事に手を染めるような人間ではなく、評判通りの男で、その容姿で憧れを集め、学校中の人気者である好青年であったなら、それはまさに与謝が目指していた理想の姿そのものだった。
与謝はそうなりたいと願い、これから始まる学校生活に思いを馳せていたのだ。
三原に同情などはない。ただ単純に、思い描いていた憧れの存在になれたかもしれない人間が、自らその可能性を捨て去ってしまう姿が、与謝には耐えられなかった。
与謝は気持ちを落ち着けるため一度大きく息を吸い、さらに言葉を重ねた。
「でもそれも全部あんたが選んだ人生だ。同情なんてねぇし、勝手に全部失えばいいと思うよ。でもな、それに他人を巻き込んでんじゃねぇよ。向田さんは今もどっかに連れ去られて、この瞬間も恐怖で怯えてるんだ。優しくて、笑顔が眩しくて、困ってる人を放っておけなくて、そんな人から笑顔奪ってんじゃねぇよ!そんな人の人生を、お前なんかが弄ぶんじゃねぇ!」
「く、くそ!」
三原は怯えた表情のまま立ち上がって、そのまま屋上からの逃亡を図った。
しかしそれも空しく、何者かが横から三原を取り押さえ、そのまま地面に抑え込んだ。
「大人しくしろ」
「き、筋肉馬鹿が…!」
端で成り行きを見守っていた海江田が三原を取り押さえた。ナイスナイスと、綾多華は海江田に近寄って肩をポンポンと叩いた。
「何があっても黙って見てろって言うからそうしたが、我慢の限界だ。流石にもういいよな?」
「ああ、ありがとさん」
再びポンポンと肩を叩く。
「演劇部は放課後の練習場所として屋上を特別に使わせてもらってんだよ。今も絶賛部活中。そんなとこにお前がなーんかお邪魔してきて、俺の代わりに盗撮の罪を被れー峯ー、ぶっ飛ばせー、殺せーとかやべぇこと急に言い始めたから、みんなびっくりしてるよ」
にやにやとしながら「とんだ茶番だったな」と告げ、綾多華は押さえつけられている三原を見下ろす。
「一部始終を亜希のアカウントで生配信してもらってた。今ネットで超話題になってんぞ、お前」
綾多華は振り返って1人の演劇部の女子生徒を指差した。その少女はスマホを構えて三原の姿を撮影していた。
可憐な生徒であったが実は暴露系youtuber。人は見かけによらない。
綾多華は三原の方に向き直り、三原のうつむく顔を無理やり上げさせた。
「終わりだ、クソ野郎」
三原の顔から、血の気が引いていく。人生が崩れ始めた音が聞こえてくる。目の前に広がる受け入れがたい現実を拒否するかのように、視界がどんどん歪んでいった。
「お、おい。俺たちはどうすりゃいいんだよ…」
初めは意気揚々としていた不良生徒たちであったが、後ろ盾であったリーダーの三原が簡単に取り押さえられているのを間近で見て、不安な思いに駆られていた。彼らはあくまで、何をしても大丈夫と語る三原の保険があったからこそ余裕でいられただけであった。
「お前らのことも後できっちり調べる。覚悟しておけ」
三原を取り押さえながら、海江田は取り巻きたちを鋭い目で睨みつけた。その視線の前に、彼らは竦み上がる。
本当にどうしてこんな男が演劇部の顧問なのか、与謝には疑問でならない。
「う、うわああ!」
後に控えていた不良生徒の一人が、恐怖に耐えかねてその場から逃げ出そうと走り出した。「待て!」と叫ぶ海江田の声に、全員の視線がその男の背中に釘付けになる。
全ての視線がその男に注がれた刹那、また別の人物が行動に出た。
不良生徒に紛れて状況を窺っていた警備員の一人、竹内が演劇部の生徒たちに向かって疾走を開始したのだ。
綾多華だけがその男の動きに素早く気づいたが、手遅れであった。
竹内は亜希の背後に回り込むと彼女を掴み、手にしていた配信中のカメラを奪い取った。そして手慣れた動作でジャケットからナイフを取り出すと、亜希の首元に突きつける。その光景に悲鳴が場内に響き渡った。
「全員動くな。一歩でも動けばこの子の首が飛ぶことになる」
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