第1章 麒麟の透明人間(22)

「…しゃべり過ぎだな。クソ野郎」

 そう言って綾多華はポケットからスマホを取り出した。

 鞄に入れた綾多華のスマホと撮影に使った白いスマホ、それとは別の第3のスマホだ。


「スマホに見せかけてボイスレコーダー。安直な仕掛けって言いながら、意外と見抜けて嬉しかったんだろ?随分とペラが回ってたな。盗撮・盗聴の『先輩』なら見抜いてくるだろうと踏んでた」


「...この距離で俺との会話が録音できているわけないだろ」

 三原は綾多華の持つ可能性を否定した。


 しかし綾多華はスマホを操作し、音声の再生をする。


『君は俺の代わりに盗撮犯として突き出される。それが確認出来たら美優は解放してやるよ。誘拐されたことペラペラしゃべらないように、ちょっと痛い目は見てもらうけど』


 まるで口元にマイクが置かれていたと錯覚するほど明確に鮮明に、三原が先ほど口走った言葉がそのまま再生された。


 映像などはない、しかし言葉だけで伝わってくる狂気。


 全ての悪意が込められたその録音の音声は、三原の顔から笑みを奪い去った。そしてすぐにその表情は歪み、鋭い目つきで綾多華を睨みつけた。


「その前の会話も全部録音済みだ」綾多華は不敵に笑ってそう言った。


「どういうことだ」


 三原の問いかけに対し、綾多華は左手で自分の制服の胸ポケット辺りを指し示した。


 その動きに合わせ、三原も自分の胸ポケットに手を当てた。


 指先に何か固形物の感触が伝わる。状況からそれが何であるかは想像に難くない。取り出してみると、それは小型のマイクであった。

 三原はただ目を見開いてそのマイクをじっと眺めていた。


「いつこんなものを…」


「ここに来た時には入ってたよ。そういうのが得意な友人がいてさ」


 綾多華は得意げにそう語った。目の前に立っていたとしてもその姿を認知されない存在。


 財布をスルことだって余裕な透明人間にとって、ポケットに何かを入れるなんて朝飯前もいいところであった。


「あたしが欲しかったのはお前の証拠だ。お前が事件に関係してるって証拠がな。ようやく、全てが揃った」


「そんな音声だけで俺に疑いが向くと思ってんの?」


「噂が広まっちまったら関係ねぇんだろ?花火ぶち上げて報告でもするか?一瞬でテメェの悪事を全国区に広めてやるよ」


 綾多華は腕を組み、勝ち誇るかのように見下ろしながら不敵に微笑んだ。


「……あー、うぜぇ。うぜぇよ、お前」

 三原は天を眺め、綾多華に言うでもなくただ徒然とそう告げた。


 そして背後の扉の方を肩越しに見て「入ってこい」と呼びかけた。

 すると7、8人の野蛮そうな生徒たちが不気味な笑顔を浮かべながら屋上へと侵入してきた。


「結局、こうやって直接黙らせるのが一番手っ取り早い」


 三原は冷めた瞳を綾多華に向けた。流石の人数に、綾多華も警戒して後ずさる。


「随分焦ってるな、あたしを意識不明の重体にでもする気か?」


「ああ。黙らせるにはそれが一番簡単そうだ。お前みたいな面倒な女は、一度痛い目見せちゃうのが一番効くんだよ」


 綾多華はさらにジリジリと後ずさった。その様子を見て三原の口角が上がった。


「お前がここで何をしようと、気絶させて連れ去ってしまえば外に漏れることはない。だが一発殴られて終わると思うな?俺を殴った分、何倍にもして返してやるからな」

 三原は殴られた頬をさすりながら悪意に満ちた笑みを浮かべた。


「遊び半分で関わるからこういうことになるんだ。おいお前ら!殴る蹴る何してもOKだ。気絶させてこいつを連れてけ!連れてった後はお前らの自由にしていい。泣き叫ぼうが気にするな、もう2度と笑えないくらい悲惨な目に合わせてやれ!」


 三原の命令を聞き、周りの不良生徒たちは下品な笑顔を浮かべてジリジリと歩みを寄せてくる。


 綾多華はざっと状況の確認をした。不良生徒9人に、見覚えのある警備員の姿もあった。そこにいたのは竹内のみであった。警備室で見かけた他の3人は不在であった。あの大男たちがいないのは助かるがそれでもこの人数。横を通り抜けて屋上から脱出することは不可能だろう。確実に包囲されてしまっている。


「もちろん、お咎めはなしっすよね?」1人の生徒がやる気に満ちた声で後ろから訊ねた。


「ああ。殺さなければ何してもいい。顔でも腹でも好きなだけ殴れ。自由に暴れろ。どうなってももみ消してやる」


 低い声で重なる不良たちの笑い声は、まるで悪意に満ちたシンフォニーのように屋上に響き渡った。


 そのシンフォニーは不気味なリズムを刻み、まるで悪夢の中に迷い込んだかのような錯覚を与えた。もしこの場で楽しげな民謡が流れたとしても不気味なものとして受け取られることだろう。


「本当にこいつらやっちまっていいんすね」


 背後から聞こえてきた問いかけに対して「ああ」と言いかけた時、三原は会話の中に潜む微妙な違和感に気がついた。


 金に釣られてやってきた誰とも知らない手下の1人、その男の発言に、聞き流すことのできない違和感を覚えた。


「……今、何て言った?」三原は思わず振り向いて、その男に聞き返した。


「え?いや、本当にこいつら、やっちまっていいんすねって……」

 その男は首を傾げながら同じセリフを方にする。


 ふと感じた違和感が、ぞわぞわと増大し三原に襲い掛かった。頭の中のどこかで不協和音が鳴り響いて止まない、そんな感覚が三原を覆い尽くした。


 『こいつら』


 この男は確かにそう言った。目の前にいるのは綾多華ただ一人。辺りを見渡しても人は見当たらない。敵は今目の前の綾多華ただ一人のはずだ。


 『こいつら』とは、一体誰のことを指している。

 目に映るのは綾多華の姿のみ。

 しかしその言葉の真意を考えてみると、まさか本当に、この場に他の人物がいるというのだろうか。


「...随分と物騒なことを言ってくれるじゃねぇか」


 混乱している頭に、綾多華の声が響いてきた。目の前に立つ綾多華は含みのある不気味な笑みを浮かべている。


「『殺さなければ何してもいい』か。流石にやばいでしょ、録音しておけばよかった。まあ、もう別に関係ねぇんだけど」


 余裕の笑みを浮かべて話す綾多華の姿を見て、三原の顔に苛立ちの皺が増していった。


「な、何を言ってる...」


「こっちのセリフだ。よくもまああんな犯罪じみたことを、こんな場所で堂々と言えたもんだな」


 綾多華は片方の手を耳に当てて瞳を閉じた。


「耳を澄ましてみろよ」


 三原はわけもわからず、ただただ状況を知るために言われた通り目を閉じて耳を澄ましてみた。


 風の音が聞こえる。


 そして校庭では部活に勤しむ生徒たちの騒がしい声。


 遠くから聞こえるものもあれば近くで聞こえるようなものもある。近くに聞こえる声に耳を澄ますと、その声はより鮮明になって耳に届き始めた。


「これってマジなの?」


「三原さん犯罪者じゃん」


「誘拐って、やばくない?」


「峯さんにも今暴力振るおうとしてた」


「殺さなければいいって……」


「マジでやばい人じゃん……」


 聞こえてくる声はどんどん近づいてきて、屋上のいたるところから聞こえ始めた。


 三原の正面から、ざわざわと一気に声が聞こえ始めたのだ。


「な、なんだこの声は?!」

 三原は突然のざわめきに驚いて、そのまま腰を抜かしてしまった。


 慌てふためきながらも、何が起きているんだと目の前の光景に目を向けたところ、目の前には先ほどまでの屋上の光景とは全く異なる、ぼんやりとしたものが広がっていた。


 まるで何かに視界を遮られているような感覚だ。いや、実際に目の前に何かがあるのだ。焦点が合わない、このもどかしさ。間違いなく、目の前には「何か」が存在している。


「これは…段ボール?」

 三原の視界を完全に遮っていたのは、目の前わずか3cmほどの距離で押し付けられた段ボールだった。よく見ると、そこには何かのパッケージが描かれている。目を細めて凝視すると、VRヘッドセットの絵柄が見えてきた。


「…よく見てみな」


 段ボールの奥から綾多華の声が聞こえてきた。


 その声を合図に、目の前の段ボールがゆっくりと下に落ちていき、三原の視界を晴らした。


「な……え?……」


 ようやく見えた眼前の景色は、三原をさらに混乱させた。


 目の前の誰かと目が合った。


 慌てて目をそらしても、また別の誰かと視線が絡まる。


 そらすとまた誰かに。


 もはや目をそらすことさえできない。

 まるで魔法のように、一瞬のうちに大勢の生徒が三原の目の前に出現した。気づけば、三原の周りは人々で溢れかえっていた。

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