第1章 麒麟の透明人間(21)
心地よい風が吹く。
綾多華が屋上に足を踏み入れると、そこには幻想的な風景が広がっていた。
夕陽が西の空を染め上げ、その美しい光が屋上に広がった。再び風が軽やかに吹き抜けると、その中には夕焼けの香りが混ざっていた。
温かくも優しいその風に招かれるかのように、綾多華は屋上の中央へと進んでいった。外からはワイワイガヤガヤと騒がしいやり取りが聞こえる。部活動も始まり出したようだ。
ガチャリ。
まるで時間が止まったかのようなこの穏やかな雰囲気を打ち砕く音が屋上にこだまする。
扉を開け、優しくも冷たい笑顔を顔面に張り付けた男が屋上に足を踏み入れた。
真っ赤に腫れた右頬は、彼の持つ温和で爽やかな笑顔をだいぶ歪ませていた。
「よう。初めましてだよな?」
綾多華は口角を上げ、冷たい笑顔を三原に向けた。
「…ああ。でも俺は君のことを知ってるよ。というかこの学校にいる人間ならみんな知ってる。有名な問題児だってね」
「そいつはどうも」
「……本当に誰もいないんだね?」
「見ての通り。基本立ち入り禁止だからなここは」
二人は偽りの温かさをもって静かに言葉を交わした。警戒心のぶつかり合い、その緊張を先に解いたのは綾多華であった。
「そんな警戒すんなよ。お前と違って録音も盗撮もしてない。なんならボディチェックでもするか?好きなんだろそういうの」
ケケケと笑いながら、綾多華は抱えていた鞄を下ろしその中に自分のスマホを放り投げ、両手を広げて見せた。
三原は未だ優し気な雰囲気を崩さず、じっと綾多華の顔を見つめている。
「雑談しに来たわけじゃないんだ。さっさと渡してくれない?」
「テメェが女子バスケ部の部室に仕掛けていた隠しカメラのことか?さー今日持ってたっけなぁ?」
綾多華はわざとらしくそう言った。
その言葉で三原の笑顔が完全に消えた。
三原は鋭い目つきで綾多華を睨みつけながら、スマホをポケットから取り出して綾多華に見せた。
画面には何も映されていないが、言いたいことはわかる。
このスマホ1つで向田美優の人生をめちゃくちゃにできるんだぞと、そう脅しをかけている。
「あたしと向田美優は友達でも何でもないぞ?それであたしが怯むと思ってんの?」
変わらず余裕の表情で言い返す綾多華であったが、三原の態度が崩れることはなかった。
もし本当に綾多華が向田美優を放っておけるのであれば、そもそもこうやって会いに来てはいない。三原はそう踏んでいた。
しばしの沈黙の後、綾多華は深いため息をつき、「わかった」と少し落ち着いた声で答えた。
「これだろ?お前のほしいものは」
綾多華は鞄から袋に入っているカメラと盗撮に使用していたスマホを取り出して三原に見せた。
「こいつは返してやる。だから必ず、向田美優を解放しろ」
「白いスマホもあったはずだ。それも渡せ」
「…よくご存じで」
警備室で起こったことも全て三原の耳に入っているようだ。何色のスマホを使って写真を撮っていたかまで。であれば透明化や書き換えのことも伝わっている?と考えたが、そんなことは伝えようがないと気づく。
綾多華はジャケットのポケットから白色のスマホも取り出した。カメラと盗撮用のスマホ、そして綾多華の白いスマホを鞄の中にしまい、そのまま三原に向かって地面を這うように力強く投げた。投げられた鞄は勢いよく地面を滑っていき、三原の足元で止まった。
「鞄はあとで返せよ」
三原は綾多華を睨んだままゆっくりと腰をかがめ、鞄に手が触れた時ようやく視線を鞄の方に落とした。
「…どうしてこんなことをしてる。向田美優に振り向いてもらえなくて、自棄になって部室にカメラ仕掛けちゃったとか?あるいはただのド変態ってだけ?」
三原は綾多華の問いかけを無視し、無言で鞄を漁り続ける。
「お仲間の警備員使って部室漁らせて、向田美優の私物まで盗んで、結局何がしたかったんだ?あんた」
「何言ってるかさっぱりだけど、そんなこと聞いてどうするわけ?」
この期に及んでもまだ三原はシラを切るつもりのようであった。
「作品のネタになるかもしれねぇじゃねぇか。本物の異常者なんてそういない。そいつの話聞けば、あたしレベルの天才だといい感じの作品ができちゃうと思うんだよな」
「…そう。協力してあげたいのは山々だけど、何を言ってるかさっぱりだよ」
三原は雑に鞄を漁り、そして中から綾多華の白いスマホを取り出し画面をつける。
その画面を見て、三原の動きが一瞬止まった。
画面には録音中と表示されていた。小さく息をついた後、すぐに電源を落とした。
「とぼけんな。部室にカメラ仕掛けてたくせに今更何言ってんだよ」
「…カメラ?何のこと?美優の私物盗んだとかも、さっぱり意味が分からないよ。そんなことするわけがないじゃないか。美優は今とても辛い状況なんだ。2度とそんなこと言わないでもらえるかな」
三原はいつもの調子で白々しくそう言って、再び鞄漁りを続ける。側面に沿って手を動かし、鞄の底に近い位置についているジッパーに手が触れた。ゆっくりと静かにジッパーを開けてその中に手を伸ばし、中から小型のボイスレコーダーを取り出した。
「…何のことだかさっぱりだよ、本当」
三原は立ち上がり、ボイスレコーダーを地面に落とし踏みつけて破壊した。
ボイスレコーダーは真っ二つに割れ、録音中と表示されていたディスプレイがゆっくりと消えていった。
「小細工してくるとは思ってた。わざわざ鞄ごとよこしたのは、お前の位置からじゃ俺の声が拾えないかもしれないと思ったからか?まるで誰かに説明しているような口ぶりだったから怪しいと思ったんだ。そうやって俺を煽って、事件に関する発言を誘発してたってわけね。浅いよ考えが」
ニコッと笑う三原の顔を、綾多華は表情変えずただじっと眺めていた。
「ただで渡すわけないとは思ってたんだけど、天才の峯さんにしては随分安直な仕掛けだったんじゃない?」
「お前程度ならこれでいけると思ったんだけどな」
綾多華は負けじと不敵に笑った。
「…『先輩』として教えてやる。盗聴・盗撮ってのは、意外とバレるから気をつけた方がいいよ」
三原は悪意に満ちた微笑みを浮かべた。その笑顔は陰湿で冷徹であり、見る者の背筋に寒戦を走らせるようなものだった。
「俺も何度かやらかしたよ。だからカメラを仕掛けるのはほかの人に任せるようにした。警備員たちも金で雇ったし、もしあいつらが捕まってもうちの親父の会社で再就職させるって契約もしてる。だから奴らから俺のことが漏れる心配はない。最悪学校側にバレたとしても金握らせて黙らせるさ。現に何度かお目こぼしをしてもらってる。とはいえまあ、君には少し手を焼いたけどね」
「…よく喋るようになったじゃねぇか。偉大なお父上様の権力と金を使って好き勝手やってきたわけだ」
「なんとでもいいなよ。最後に教えてあげようと思っただけさ。君は俺の身代わりになってくれるわけだし」
「誰がなるか。ふざけんなよクソ野郎」
三原は鞄からカメラを取り出して綾多華に見せつけた。
「君が部室を訪れたことがわかるように編集して学校に提出する。警備員が映ってるところは全部カット。これで疑いは君に向く」
「そんなのであたしを犯人にできるわけねぇだろ」
「疑惑が生まれればいいんだよ。俺は君が犯人だと決めつけて糾弾する。涙を流し、真剣な姿で君が犯人だと訴える。すると学校の人はみんな俺を信用する。そうやって真実は生まれるんだ」
「…噂をでっち上げるってことか。向田さんにしてたみてぇに」
三原は雑にカメラを鞄の中に放り投げた。
「知ってたのか、そのことも。ああ、想像以上に美優は嫌われてくれた。見る見る孤立していって、あとちょっと優しい声でもかけておけば落とせるってとこまで来たんだ。だからもう邪魔しないでよ。俺の楽しみをこれ以上奪わないでくれるかな?」
「馬鹿か。お前みてぇなゴミクズ好きになるわけねぇだろ」
「メンタルを潰せばどうとでもなる。お前も、周りから盗撮犯扱いされる日常を思い浮かべてみろ、震えるだろ?そんな時に寄り添ってくれて、優しい言葉をかけてくれるようなイケメンがいたらころっといっちゃうもんさ」
「気持ちわりぃな。んなことにはならねぇよ」
「そう?まあ今はわからないかもね。でも君は確実に盗撮犯として疑われることになる。すぐに身に染みてわかるようになるよ。そして一度生まれた疑惑はそう簡単に晴らせない」
「テメェを突き出せばそれで終わりだ」
「俺が犯人なんて言っても誰も信じないよ。何か証拠でもあるのかな?あるなら、今すぐ渡してもらうけど」
三原は再びポケットからスマホを出して綾多華に見せつけた。
「美優も、意地張らないで俺に惚れてればこんなことにならなかったのに。彼女がそう強情だから、誘拐されて好き勝手されちゃうんだ。悪いのはもはや彼女だよ」
三原は厭味ったらしく口角を上げ、乾いた笑い声をあげた。
ただただ自分の欲求を満たすために他人を陥れるクズ。どれだけイケメンで学校の人気者であったとしても、綾多華の目にはそういった悪魔のようにしか見えなかった。
三原は証拠となるカメラなどを鞄から取り出し、全て回収したのち鞄を思い切り蹴り飛ばして返却した。何度か跳ね回ったのち、鞄は綾多華に若干届かない距離で動きを止めた。
「さて。おしゃべりはもう終わりだ。冷静を装うのも疲れた。俺は今すぐにでもお前を殴り飛ばしたくて仕方ねぇんだよ」
三原は優しく右頬のガーゼをさすった。
「だがそれは後の楽しみにしよう。お前は俺の代わりに盗撮犯として突き出される。それが確認出来たら美優は解放してやるよ。誘拐されたことペラペラしゃべらないように、彼女にもちょっと痛い目は見てもらうけど。そのあとはお前だ。10発は殴られても文句言うんじゃねぇぞ?……最後に、何か言い残すことでもあれば聞いてやる」
ガーゼを力強く抑えながら薄気味悪く笑う三原のその歪んだ表情は異常な雰囲気を放ち、見る者に不安定な感情を植え付けるような力を持っていた。
しかし綾多華はその雰囲気を跳ね返すかのように口角を上げて言葉を紡いだ。
「…しゃべり過ぎだな。クソ野郎」
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