第1章 麒麟の透明人間(17)

「まずはこのロッカーからだ」


 綾多華は中央一番上のロッカーを指差す。綾多華から見て頭一つ上に位置しているロッカーだ。

 ロッカーの扉の数は全部で12個。ファイルが仕舞われていた場所は除外したとして残り9個、逐一中身を確認して向田美優の私物が入っているかどうかを確認していくしかない。


「触ってる」

 与謝はそっと綾多華の指示したロッカーに触れた。冷たい鉄の感触が指先に伝わってくる。


「…よし、いくぞ」


 意を決して綾多華は与謝から手を離した。


 その瞬間、今までは見えていなかったロッカーの中が、完全に扉が開け放たれたかのように鮮明に視界に映った。まるで映画が始まったかのように、扉というスクリーンに中身の映像が映されたかのように。


 不思議なことに透明化されたのは触っているロッカーの扉だけで、ロッカー全体が透明になるということはなかった。ここにも何かしらルールが存在するのだろう。与謝が透明化しろと念じるとその部分だけ透明化できるとか。詳しいところはわからないが、今は目の前の幸運に乗っかるしかない。


 そしてロッカーの扉が透明化されたということは同時に綾多華の姿もその場に忽然と現れたことを意味していた。


 倉田がちらりとこちらを見たら、陣内が振り向いたら、綾多華が警備室のロッカーを物色している姿が見られてしまう。その緊張感からか、手を離した瞬間に空気が今まで以上に張り詰めたのを感じた。


 ロッカーの扉が透けるという不可思議な光景に綾多華は一瞬気を取られていたが、その一瞬が命取りになる状況、綾多華は少し背伸びをして急いで中身を確認する。


 書類の束がいくつかあり、文房具などが入っているケースがいくつかあるだけ。それ以外に気になるものは確認できなかった。時間としては数秒、しかし永遠にも思われたその状況に耐えきれず、与謝は綾多華の腕を掴んだ。


「結構長くない?!」


 与謝は声を荒げる。緊張のあまり息を止めていたため、吐き出す息と相まって言葉にだいぶ勢いがついた。


「意外と中身がよく見えない。もうちょい時間かかる。次行くぞ」


 綾多華はその下、目の前のロッカーを指さした。与謝は小さくため息を吐いて下のロッカーに触れる。


「触ったぞ」


「よし」


 綾多華は静かに与謝から手を離し、次のロッカーの中身を確認する。


 与謝は状況確認のため陣内の方を振り向いた。まだ腕を組んで寝ている。コクコクと頭を揺らしており、いつそれで目が覚めてしまうかと、そう考えると背中の汗が止まらない。


 数秒後、綾多華は中身の確認を終えた。このロッカーもいくつかの書類があるだけであった。雑に色々と詰め込まれていたら奥に何があるかわからなくなるが、そのようなことになっていないのはありがたい限りであった。


「ここも違う」


「じゃあ、次だな」


 与謝は左上のロッカーに触れた。確認しやすそうな箇所から進める。まだ3つ目でしかないが、バレずに順調に進んでいることは2人の心を安堵させた。


「触ってる」


「オッケ」

 そう言って再び綾多華が与謝から手を離した、


 その瞬間であった。突如として倉田の声が背後から聞こえてきた。元々落ち着きのなさそうな男であったが、その男がこのタイミングで何か行動を起こした。


「陣内さーん」


 背後から聞こえた声、倉田はいったい今どういう状況でいる?こちらを向いているのか?詳細は不明だが考えている時間はない。


 2人は急いで互いの体に触れあい体を引き寄せ合った。


 与謝は目を見開きながら倉田の方を見て、その姿にほっと息をついた。見えるのは依然として作業をしている倉田の横顔のみ。声だけで陣内に話しかけたようであった。


 倉田は何か書類を書き込んだ後ペンを置き、陣内の方を振り向いた。


「出前とかって取れますかね?」


 倉田の問いかけに陣内が片目だけ開いて応対する。


「馬鹿かお前は。そんな時間ねぇだろ」


「腹減っちゃって。朝から何も食べてないんすよ」


「じゃあ、これで我慢しろ」


 陣内は下に置かれていた段ボールからカップ麺を取り出して倉田に投げた。


「お、ありっすね」


 倉田はにこやかな笑顔でカップ麺を受け取ると、陣内の後ろを通って入口付近のポットに向かった。


 与謝と綾多華は倉田にぶつからないよう、ロッカーにしがみつくようにして必死で体を押し込めた。


 そのわずかなスペースを倉田は鼻歌を歌いながら通り、入口付近にあるポットからお湯を注いだ。タイマーを3分にセットし、蓋の上に置いて持ち上げ再び陣内の後ろを通って席に戻っていく。


「意外と好きなんすよこれ」


 倉田は窓口下のテーブルにカップ麺を置くと、目の前の書類の上に雑誌を広げ、頬杖を突きながらゆったりとページを捲り始めた。


 陣内も再びうとうとと目を閉じて居眠りに落ちていた。


 綾多華は与謝の肩を揺らし、確認を行う予定であった3つ目のロッカーを指差す。


 ここまで来たらもう最後まで行くしかない。頭を振って思考をクリアにし、与謝は意を決して一度息をつき、コクっと頷いて左上のロッカーに触れた。

「触った」と小声で合図を送る。


 綾多華の眼前からロッカーの扉が透けて見えた。倉田達の様子に変わりはない。綾多華はロッカーの中身を確認した。いくつか畳まれた衣類が籠の中に入っているのが見えた。これか?と期待したが、どうにもただの落とし物のようだ。望んでいたものとは違う。


 綾多華は与謝の肩を掴んで首を横に振った。


 それを察し、与謝は左上2番目のロッカーに手を移動させた。

「その下のロッカー、いけるぞ」


 与謝が触れると、再びロッカーが透けて見えた。

 綾多華がその中身を確認すると、そこだけは様子が異なっていた。


 ジップロックのようなものに覆われた消耗品や制汗シートのゴミ、そして下着。さらにその奥には"向田"と書かれたジャージも発見できた。


 綾多華はその光景を目にすると、慌ててすぐさま与謝の肩に手を伸ばした。


「見つけた。あったぞ」


「まじか!」


 与謝は小声で返答しそのロッカーを確認する。しかし透明化の影響を元から受けない与謝には中身は見えなかった。


「……で、これを写真で撮ればいいのか」


「ああ。お前じゃ無理そうだし、あたしが撮る」


 綾多華はポケットから白いスマホを取り出した。


「…でもさ、扉の透けた写真って怪しくないか?合成だと思われるかも」


「ないよりはマシだろ。それに三原たちはそうは思わねぇよ」


 確かにここに向田美優の私物があると知っている人間にとってはそれが合成だとは思わないはずだ。決定打とはならなかったとしてもあるとないとでは状況は大きく変わってくる。


「撮ったらすぐ逃げるぞ」


「イエッサー」


 綾多華はニコっと笑って額に手を当てて敬礼をし、左手に持ったスマホを起動する。


 与謝が陣内達の状況を確認するために振り返ったところ、テーブルの上に置かれているタイマーがもうすぐ3分になることに気づいた。


「まずい。もうすぐタイマーが鳴る」


「まずいな。さっさと撮っちまおう」

 綾多華はロッカーにカメラを向けて角度を調整する。少し離れて光の入り具合などを調整し、ある程度ロッカーの全体像が見えるような位置に移動した。


「触ってるぞ」と、与謝はロッカーに触りながら綾多華に伝える。


 綾多華は頷いて、パッと与謝から手を離した。


 そしてそれと同時にロッカーの扉が透け、中の向田美優の私物が露わになった。


 綾多華はできるだけ向田と書かれたジャージがはっきりと見えるように位置を調整して、画面の撮影ボタンを押した。


 子気味良い軽快なシャッター音が、警備室に鳴り響いた。

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