第1章 麒麟の透明人間(15)
三原が外に出て警備室の窓口の前を通り過ぎた際、カサカサと何かが窓口の下で動いたような気配がした。学校に訪れた者たちが警備員に話しかける際に使用する窓口だ。
何か物音がしたような気がしたが、そこは窓口の下、隠れるような場所なんてあるはずもなく何かがいる可能性など確実にない。
ふと部室であった状況と重なると考えたが、部室の時以上に疑うところがない。
こんなところで時間を使って誰かに怪しまれたら面倒だと思い、三原はもう一度だけちらっと窓口の下を見た後、すぐにその場を後にして校舎に戻っていった。
その三原の様子を、警備室の窓口の下で息を殺しながら眺める透明なネズミが2匹。
三原があまりにも警備室に沿って歩いてきたためネズミ2匹はなんとか体を細めて三原とぶつからないように移動をした。
その際に出てしまった靴のずれる音。その音に三原が感づいたような素振りを見せた時は心臓が止まるかと思った。向こうからは見えていないという状況は、やはり慣れるまでは本当に見えていないのかと不安が勝ってしまう。
与謝たちは透明となって、バレないように警備室の受付窓口の下で待機し話を盗み聞きしていた。
「あっぶねぇ...!」
止めていた息を全て吐き出した後、綾多華は安堵の声を上げた。
「数センチ!あと数センチでぶつかってた!」
綾多華の肩をガタガタと揺らしながら与謝は震える声で訴えかける。今日一日でどれだけ心臓が縮んだことだろう。まだ残っていればよいがと、与謝は大切そうに胸を片方の手で掴んだ。
「うるさいうるさい見つかるって!」
綾多華は与謝を黙らせて再度窓口から中を覗く。
中には先ほど入ってきた陣内という男と、ロン毛で軽薄そうな倉田という2人がいた。カメラはテーブルの上の鞄の中に入れられている。
「嫌な予感はしてたんだけど、最悪だ」
綾多華は渋い顔をしながらそう呟いた。
もしかしたら隠しカメラに綾多華の姿が映ってしまっていたかもしれない。その不安から動向を探るために警備員たちを追ってきたわけだが、まさか綾多華に濡れ衣を着せるという話にまでなってしまっていた。
始まりは与謝の濡れ衣を回避することであったが、どういうわけか綾多華と与謝2人とも濡れ衣を着せられる可能性が出てきてしまった。
しかも綾多華1人に全ての罪が向きかねない状況。
与謝はそのことを考え、
「…まあ、俺は、綾多華が犯人ってことになるんならそれはそれでも…」
というような冗談を言い切る前に足を軽く蹴とばされた。いい感じに脛に当たり与謝は声にならない鈍いうめき声をあげながら悶絶する。
「殺してもいいんだからな?」
「殺してもいいのかよ…誰が決めたんだそんなこと」と脛をさすりながら弱々しく呟いた。
「どうにかしてカメラを奪わねぇと。あれなんとかしないとあたしが犯人にされちまう」
綾多華は窓口からゆっくりと頭を出して中を覗く。そろそろ6限の授業も終わる時間だ。放課後まではあと数十分ほど。今この瞬間を逃せば、綾多華が関係者および犯人として突き出されてしまう。なんとかしなくてはならないのだが、この狭い警備室の中に2人も警備員がいる状況、忍び込んでテーブルの上のカメラを盗むのは至難の業に思えた。
「機会を待つしかねぇか」渋い顔を続けながら綾多華がつぶやいた。
「…綾多華はどこかで待機してればいいんじゃねぇか?俺だけ潜入してカメラ奪ってくれば」
「お前が逃げたらどうすんだよ」
いや逃げるわけないだろ!と言いたかったが、与謝は先ほどの自分の発言を思い返した。綾多華が犯人になるならそれはそれで、そんなことを言った手前、どれだけ誠意を込めても信用は得られないだろう。我ながら失言であったと反省した。
「お前が消えたらもう終わりだ。監視の意味も込めて、一緒にやるしかねぇんだ」
「……に、逃げねぇですけどね」
与謝は小声で、一応本心も伝えておくことにした。気持ちだけでも、わかってもらえればよいが。
そんな会話をしている間も、警備室の中に大きな動きはなかった。わずかな望みで見回りでも行ってくれないかと、彼らの会話に耳を澄ませてみる。
「本当、あそこで何が起きたんすかね」
窓口に最も近い椅子に座る倉田はため息交じりにそう漏らした。部室にいた峯という生徒とあと1人の協力者。彼女らが一体何者なのか、何が目的だったのか、倉田たちにとってはその謎は依然としてわからないままであった。
「佐原さんから話聞いたけど、正直何言ってるかさっぱりだったわー」
陣内はテーブル近くの席に座り、カメラを取り出して映像を見ながらそう適当に答えた。小ばかにしたような態度に倉田は不快感をあらわにする。
「いやでも、本当なんすよ!なんか急に声が聞こえて、そしたらいきなり三原さん吹っ飛ばされて!」
「そんなこと言われて信じると思う?意味わかんねぇっつの。それより、向田美優の私物ってどこ?」
陣内は辺りをキョロキョロと見渡す。
「ああ、そこのロッカーの中にあったはずっすよ」
倉田は仏頂面で警備室の入口付近にあるロッカーの方を指差した。
3×4の12個扉のついたロッカーがあり、すべてにダイアル式の鍵がついていた。
彼らは隠しカメラとは別に向田美優の私物もいくつか盗んでおり、ジャージや下着など、それも込みで高値で売り捌こうと考えていた。
「苦労したっすよ、彼女の部活後に警備の都合とか言って鞄漁って下着盗んだり」
「本当クソみたいな仕事だよ。それも場所を移さないとだな」
陣内はため息を吐いて、大きくあくびをした後瞳を閉じて眠り始めた。
「寝てていいんすか?」
「相手は女なんだろ?そんなのお前がなんとかしろよ倉田ちゃん」
あの現場にいなかった陣内と倉田の間で警戒心にだいぶ差が出ていた。
その姿にため息を吐きながら、倉田は渋々机の上の書類整理の作業に戻っていった。
与謝と綾多華はその様子を窓口から覗き見て情報の共有を行う。
「ロッカーに盗んだ私物もあるらしい」
「キモすぎだろう三原の野郎。くたばりやがれゴミ。死ねカス」
綾多華は唇を尖らせあからさまに不機嫌そうな顔で呟いた。
「口悪。同感だけど」与謝は一応否定しながらも小さく同意した。
綾多華は再び窓口から警備室の中を覗き見た。
陣内はテーブルの近くで腕を組んで居眠り、倉田は窓口当番なのか、窓口に最も近い椅子に腰を下ろして何かしら作業をしていた。
透明となっていなければこんな堂々と覗き込むことは不可能だろう。目と鼻の先、もし倉田がふと顔をあげたりしたら、一瞬で視線が合ってしまうような至近距離だ。
忍び込むなら今しかない。
2人はしゃがみながら警備室裏手にある入口へと移動した。当然ながら扉は閉められていた。
透明な状態なので最悪の場合、窓口を乗り越えて無理やり侵入することも可能ではあるが、一切音を立てずに倉田の真横を通らなくてはならないこと、そして透明化を維持したままそれを行うのはあまりにリスクが大きかった。
綾多華は音を立てないようゆっくりとドアノブを下ろした。かちゃりと、できるだけ小さな音で済むよう調整し、ゆっくりと扉を開ける。
見えるのは眠っている陣内の後ろ姿、奥に見える倉田もこちらに気づいていない。ゆっくりと扉を開いて、先に綾多華が警備室に足を踏み入れた。人1人通れるだけの隙間をゆっくりと通り、その後隙間を縫って与謝も足を踏み入れた。
しかし、透明な体の体積を与謝自身も完璧には把握しきれていなかった。
単純にガタイがよかっただけか、身に着けているもののせいか、詳細はわからないが何かが扉にぶつかり、鈍い音を立てて大きく開かれた。音自体はそこまで大きいものではなかったが、中にいる人間がそれに気づくのには十分であった。
「なんだ?」と呟いて、陣内はゆっくりとこちらを振り向いた。扉が開いているのが見えたら閉めに来るのが自然な反応というものだろう。陣内は立ち上がり、ゆっくりと扉の方に向かっていった。
「やべやべやべ!」
与謝は心の中で何度もそう口にしていた。
手を離して逃げ出せば綾多華だけが警備室に取り残されてしまう。そのまま侵入してしまうか引き返すかのどちらかだ。
「入るしかねぇだろ!」
綾多華は思いっきり与謝を引き寄せて警備室の中に引き入れた。
そしてそのまま壁沿いに並んで息を潜める。
目の前数センチ先を、陣内が通っていく。
どくどくと心臓の音でバレてしまわないかと不安になるほど心拍数は上がっていた。
「陣内さん、先月の来校者名簿ってどこにあります?」
倉田はピンク色のファイルを手に持ちながら陣内に訊ねた。
「ああ?そこのロッカーだろ?」
扉を閉めた後、陣内は入り口近くにある大きなロッカーを指差した。
その中のどれかにあるとのことで、倉田は立ち上がってロッカーの方に近づいてきた。そのロッカーは今、与謝たちの背後に位置しているものであった。
「マジかよ…」
綾多華は心の中でそう呟いて、ごくりと息を飲んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます