第1章 麒麟の透明人間(14)

 南校舎近くに配置されている独立した警備室。


 警備室は校門近くとここの2か所あり、基本的には2名ほどが常にそこに待機している。南口にある警備室は約8畳ほどかと思われるスペースにいくつかのロッカーとテーブル、椅子が置かれている


 バスケ部の部室から退避してきた警備員の3人は受付窓口から少し離れた位置にあるテーブルを囲むように椅子に座り、三原はその隙間を縫ってテーブルに腰をかけている。全員の表情は暗く、何か考え込んでいるかのように総じて下を向いていた。


 竹内達3人と三原は一度警備室に戻り状況の整理をすることにした。この場に三原がいることはリスクであったが、手当も含め連れてこないわけにはいかなかった。


 突如として、謎の声とともに三原が吹き飛ばされた。


 そして顔面にはまるで殴られたような跡。あの部室の中で、確実に『何か』が起きていた。しかしそれが一体何だったのかの確認はできず、今こうして警備室に戻ってきている。


 そのモヤモヤを残したまま状況の整理をしなくてはならない状況は彼らを余計不安にさせていた。


「あの声、なんだったんすかね」


 重たい空気を変えるため口を開いたのは倉田であった。飄々としたこの男の態度はこういった状況では話の潤滑油となっていた。


「声もそうだが、三原さんのこの顔も…」


 手当を負え、ガーゼでは隠しきれないほど頬の腫れてしまっている三原の顔を見ながら竹内はつぶやいた。


 その視線を気にすることなく、三原はテーブルの上に腰掛けながらカメラの映像を確認している。


「誰か、部室の奥にいた気がするんだが…」


 佐原は首をかしげながら情報をひねり出した。


「誰かって、俺ら以外にですか?いやいなかったですって流石に」


 倉田は両手を空に向けて首を振り、佐原の疑惑を否定した。

 あの部室に隠れられるところはない。それに奥ということはカメラを仕掛けていたところでもある。そんなところに堂々と誰かがいて見落とすはずがない。倉田の意見に竹内も頷く。


「…ん?なんだこれ」


 特に何も映っていない映像の連続であったが、三原は期待していた。


 何者かがこの映像に映っていることに。自分はあの時、確実に何者かに殴り飛ばされたのだ。そいつが誰であれ絶対に許さない。この顔に傷をつけたこと、地獄の底まで追いかけて後悔させてやる。


 その復讐心に満ちた期待に応えるかのように、映像の終了間際に何か部室で動く影のようなものを見つけた。その映像はいったい何なのかを確認するため、三原は少し巻き戻して再生を始めた。


「俺たちっすか?」


 倉田たちも不審げに映像に視線を寄せると、がさごそと何者かの気配が映っていた。会話もしているようだがはっきりと聞き取ることができない。かすかな会話の声が聞こえはするものの、まだ内容までは分からない。


 すると突如、がたりと大きな音が響き渡り、声がクリアになった。「気をつけろ」の一言が三原の耳に届いたような気がしたが、はっきりとはわからない。


 その音声が何なのか、何を話しているのかさらによく聞き取るため三原はカメラに耳を近づけた。


 すると、次の瞬間、まるで時が止まったかのように静寂が訪れた。


『よう、三原とかいうゴミクズ変態野郎』


 荒涼とした女性の声がカメラのスピーカーから零れ落ちる。


 皮肉と軽蔑に満ちた言葉に、三原は激しく動揺した。慌ててカメラを離し、室内に静寂の波紋が広がっていく。状況に戸惑いながらも、三原は自らへの蔑視の言葉が頭の中をぐるぐると回り続けていた。


 その不可解な出来事に三原は混乱を隠せない様子だった。


「な、なんだこいつは…」

 呟きながら、三原は睨むように映像を眺めていた。


 映像自体は暗く喋っている人物が誰なのかはわからない。確かなのはその声が女性のものだったということだけ。荒々しく唾を飛ばすような言葉が、まるで実体化したかのように三原の耳に食い込んでくる。

 その罵声に、胸中に怒りの炎が高まっていく。"ゴミクズ変態野郎"と呼んだあの声の主は、一体何者なのか。

 しかし映像の中の人影は闇に飲み込まれ、正体は見えぬままだった。


 その事実が余計に三原を苛立たせ、憤怒に火を付けていく。


 その人物ははっきりと言い放っていた、『三原』と。


 一体何が起きている。誰がこのカメラに向かってそう吐き捨てていったのか。声は聞こえているのに全容は暗闇に隠れている。

 その不透明さが余計三原を苛立たせていた。

 なによりこの人物が自分のことを殴ったのかと、その犯人が掴めそうで掴めない状況が腹立たしくて仕方がなかった。


「まだ何か…」


 竹内の呟きに促され、三原は再びカメラに耳を傾ける。音量を上げると、かすかながら会話の声が聞こえてくる。


『このカメラ、犯人に回収させちまおう』


 声は遠くに聞こえるがそう言っているのが聞こえた。そのあと男性の声も聞こえてくる。


『マジで?せっかく見つけたのに回収されちゃったら何も…』


『回収するってことは、犯人たちがここにやってくるってことだ。ならその様子を押さえちまえばいい。犯人が回収してる姿を、逆にあたしらがここで盗撮し返しちまうってことだ』


 その言葉から先はまた数秒音声が不鮮明となって聞き取ることができなかった。そして竹内たちがやってきてカメラを回収したところで映像は途切れている。


 いろいろと気になる点はあれど、今最も重要なのはカメラの前にいた人物たちの会話内容であった。


「三原さん、今のは…」

 竹内の表情から、彼も同じ違和感を覚えたことが伝わってきた。口を手で覆い、眉間に深い皺を寄せながら考え込む様子は、この出来事の重大さを物語っていた。


「つまり…この映像に映っていた人物たちは、俺たちがカメラを回収する様子を逆に盗撮しようとしていたということだ」

 三原がおずおずと口を開く。


「ですが…」

 竹内は言葉に詰まった。その言葉を続けるように、慌てて倉田が割って入ってきた。


「む、無理っすよ!だって、この音声のすぐ後に俺ら部室に来てんすよ?誰かが出ていった様子なんてなかった。そんなの、不可能ですよね?」


 倉田の頬を大粒の汗が伝った。頭の中に浮かぶ可能性、しかしそんなことはありえない。あの狭い部室の中で。


 しかし部室で起きた不可解な出来事はしっかりと記憶に残っており、そのことが余計倉田の心を乱していた。


「…あの場にいたんだ。あの場にいて、俺らのことをずっと見ていた。この会話をしている『何者か』が」


 三原の呟きに、竹内たち警備員は背中をつららで撫でられたような悪寒を感じた。


 どこにも隠れるスペースはない。


 しかし確実にあの部屋で2人の人間が、身を潜めて自分たちのことを監視していた。自分たちの証拠隠滅の瞬間を、隠し撮りしていたのだ。


「とても信じられないが、俺の顔のケガが全てだ。確実にあそこには、誰かがいたんだ」


「ど、どうすんですか?!それじゃ俺たち、カメラ回収してるところを見られてたってことじゃ!」

 倉田の動揺は足元の震えに現れていた。


 三原はカメラを巻き戻しながら再び映像を漁る。そして再びとある決定的瞬間をとらえ、ぎりぎりと奥歯をかみしめて不快感を現した。


「お前か…!」


 三原は映像に映る女性の姿を睨みつけた。


 綾多華が扉を開け、部室に侵入している映像が収められていたのだ。


 ギリギリと、奥歯を激しく鳴らして三原は怒りを露わにした。部室に足を踏み入れたのはこの女のみであった。つまり、峯が自分のことを殴り飛ばしたのだ。


 矛先が定まったことで、三原の煮えたぎる怒りはさらに燃え上がった。この女だけは許さない。地獄の果てまで追いかけて徹底的に潰す。三原の心をどす黒い闇が覆った。


「男は、いませんか?」

 竹内がスマホを覗き込んできた。


「いない。入ってきたのはこの女だけだ。おそらく、誰か外にいるものと連絡を取りながら部室を調べていたんだ。だがそんなことはこの女を捕らえて吐かせればいい。死んでも探し出すぞ!」


「でも、こいつは俺らのことを撮影してた可能性が」


「おそらく、それはないだろう」

 佐原は竹内の不安をすぐさま否定した。


「部室を出て30分は立つが、今のところ職員室に動きはない。そんな証拠があればすぐさま学校側に突き出しているはずだ。それに、こいつらの会話の後、すぐに俺たちが部室にやって来た。その間もカメラを設置しているような動きはなかった。だとすると、もし撮影していたのなら彼女自身が手にカメラを持って撮影していたということになる。しかし俺は明彦が殴られた時に確かに部室の奥で佇む少女の姿を見た。その時その女は何も持っていなかった。考えてもみろ、あの女は何も障害物のないところでどういうわけか完璧に姿をくらましていたんだ。その場しのぎの無理な細工を施し、身を潜めているだけで精いっぱいだったに違いない」


「確かに。であればまだ希望が持てますね」


 佐原の発言に、竹内はほっと胸をなでおろした。


 三原は指の爪をギリギリと噛んで思考を巡らせる。


「とはいえ峯を野放しにはできない。竹内、お前は今すぐ部室にもどって峯を探せ!探し出して捕まえて俺の元に連れてこい!」


 三原からの命令に「は、はい!」と短く返事をし、一目散に竹内は警備室から飛び出していった。


「佐原、あんたは『あれ』の準備を頼む」


「いいのか?そこまでしたらもう後戻りはできんぞ」


「何かあった時の保険だ。あいつがあの場を撮影していなかったとしても、無関係の峯があの場にいたのには理由があるはずだ。奴は何かを知ってしまってる。俺が連絡したら動けるようにしておけ」


 三原の含みを持たせた頼みを聞いて、佐原は「承知した」と言って立ち上がり、警備室から出ていった。


 それと入れ替わるように、「遅れてすんません」と言って、体は細いが身長180は超えていそうな、佐原とはまた違った大男が警備室に入ってきた。

 金髪に面長な顔つきの男性であった。倉田とも違う、口から出る言葉全てが薄そうな、軽薄を絵にかいたような男であった。


「佐原さんに頼まれて調べてきましたが、校内はいたって静かなもんです。出勤早々であれなんすが、なんかトラブっちゃってます?って三原さん、どうしたんすかその顔」


 長身の男はぎょっとした顔で三原の顔を除きこんだ。


「陣内、いいところに来た。お前と倉田はここで待機だ。峯がここに忍び込んでくる可能性は十分にあり得る。もぬけの殻にはできない」


 陣内は三原の顔や手に持ったカメラを見て、「だいぶ面倒なことになってるっぽい」と、早々に状況を理解してため息をついた。


「お、俺ら、大丈夫っすかね?」倉田はごくりと息を飲んで不安な心境を吐露した。


「追い詰められてるのはあの女の方だ。俺の顔をこんなにしやがって、殴り返すだけじゃ済まさねぇ。あいつから全てを奪ってやる」

 そういって三原はカメラを倉田に見せつけた。


「このカメラにはあいつが部室を訪れた映像が収められてる。やつらが何も撮影していないのであれば、証拠の映像はこれだけしかない。こいつを編集して、あいつのことを犯人に仕立て上げてやる」


「濡れ衣を着せるってことっすか?」


「ああ。トラブルメーカーのあいつに擦り付けて、俺が必死に訴えれば学校中の評判はそっちに傾くし、学校側も必ず信じる。あの女、映画監督になるとかくだらない夢ほざいていたらしいが、その夢を盗撮犯の濡れ衣で終わらせてやる。人生ぶっ潰してやるよ」

 そう吐き捨てて、三原はテーブルの上の鞄の中にカメラをしまった。


「荷物を取ってくる。放課後になったら仲間全員集めて峯を捕まえに動くぞ。それまでお前らも用心しろよ。峯がここに来たら死んでも逃がすな!」


 そう言い残して三原は辺りの様子を伺いながら警備室から出ていった。

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