第1章 麒麟の透明人間(13)
「カメラは?無事回収できた?」
三原は部室の中に入っていき、近くにいた倉田の足を軽く蹴とばした。
「いてっ!」
「反省しろよカス」
冷めた笑みを浮かべ、三原は近くにあったベンチに腰を下ろした。
「…はい。今カメラは回収しました」
竹内の言葉に続いて、佐原は回収したカメラを入れてある鞄を三原の横に置いた。
三原は何も言わずその鞄を開いて中身を確認する。
「ここに来て大丈夫なのか?俺たちと違って、お前は見られたら面倒だぞ」
佐原の警告に対して、三原は鞄を漁りながら適当に返答する。
「授業中だし、誰もこの辺にはいなかったよ。それに見られても問題ない。美優が心配で警備員と一緒に調べてましたって言えば済む話だ」
三原は鞄から先ほど回収したカメラとスマホを取り出した。
「これだけだっけ?」
「はい。残ってるのはそれだけです」
「そうか。意外と少なかったな」
三原達が会話を交わしている最中、その場に居合わせていた与謝と綾多華は、先ほどのスマホを落とした失態から恐怖に怯えていた。二人でうずくまるように、部室の隅っこに身を潜めていた。
「おい。三原も来ちゃったぞ」震えながら小声で与謝が話しかけた。
「見たらわかる…絶好の機会だな」
綾多華はふっと一度息をつき、「さっきみたいなミスはしねぇ」と伝えて、今度は器用にスマホの端を握り、再度カメラを起動させた。
与謝もその動きに合わせて準備を行う。
「それにしても、あの女も哀れなもんだよ。盗撮されたっていうのに大して味方もいない。せいぜい周りの数人程度だ」
不意に聞こえてきた三原の発言に、与謝の手が止まった。急にスマホが動かなくなり、綾多華は不審に思いながら与謝の方をちらりと見た。
「おい、なにしてんだ?」
綾多華の言葉がまるで聞こえていないかのように、与謝はただじっと三原の方を向いていた。その視線で貫かれてしまうのではないかというほどに、ただじっと三原の顔を睨みつけていた。
「実はさ、美優の悪い噂流したの俺なんだよ。あいつを孤立させて、頼れるのは俺しかいないって状況を作り出すために」
三原の発言に、与謝の頭は真っ白になっていた。
そして脳裏に、教室で1人で泣いている向田の姿が浮かんでいた。あの子がああやって悲しみ、涙を流していたのは、全てこの男のせいだったと知り、自然と与謝の拳には力が込められていた。
「実は性格悪いみたいな適当なことをしれっと言って回ってただけなんだけど、みんなその噂を好き勝手に広めて適当に理由つけて美優を叩き始めやがった。ビジュが良いだけで人生なんてイージーモードだからな、欠点でもあればみんな叩きたくてしかたなかったんだろ。おかげであいつ、こんな目に遭ってるのに陰口叩かれまくってる。俺に近づきたくて自作自演したとかまで言われてて、可哀そうすぎて笑いそうになっちまったよ。だから休み時間も頻繁に会いに行くようにしたんだ。そうすればさ、まるで本当に自作自演だったみたいに見えるじゃん?目に見えて回りが引いてて最高だよ。もうあの子を盗撮の被害者として見てる人はいない。逆に自作自演の悪女。まるで加害者を見る目でみんな美優のこと見てて、もう笑いが止まんないよ」
与謝は、音が鳴りそうなほどに拳を強く握りしめていた。優しい心を持ち、輝くような笑顔を浮かべていたあの女の子のことを、ここまで貶める悪を目の前にして、とうとう我慢ができなくなっていた。
「そういう評判は、利用させてもらわないとですよね」竹内は鼻で笑いながらそう述べた。
「ああ。どんどん美優が孤立して周りから嫌われていく中、そんな噂を立てられても構わず常に一緒にいてくれて、自分のことを心配してくれる俺だけがあの子の心の支えになっていくんだ。そうなればもう何をしても大丈夫。どんなに危険なことをしても、全員が俺の言い分を聞くようになる。彼女の訴えに耳を貸すやつなんて1人もいなくなる。待ってろ?頼れるのは俺だけってなるくらいまで落ちたら、死ぬほど映像撮って稼がせてやるかよ」
カメラを確認しながら談笑する彼らを見て、もはや胸の奥に込み上がってきていた怒りを抑えられなくなっていた。
教室で彼女に対しての陰口を止められなかったこと、校舎裏で三原に何も言えず逃げ出してしまったこと。それがずっと後悔として心の奥底に残っていた。その後悔が、この場で立ち向かう勇気を与謝に与えていた。
「素直に俺に惚れてればこんなことにならなかったのに。ま、自然と陰口が広まるってことは美優自身にも落ち度があったってことだろ。多分だけど本当に性格悪いんじゃないの?あいつ」
小馬鹿にするように嘲笑った三原に対し、与謝は立ち上がっていた。
「よせ」と綾多華が必死に掴んで止めていたような気がしたが、もはや怒りに震える体を止めることができなかった。
「……ふざけんな」
ひねり出した怒りの言葉が、部室の奥から漏れ聞こえた。突如聞こえてきた謎の声、その場にいる人間の視線が部室の角に向けられていた。
「なんだ?」
カメラを確認していた三原は、聞こえてきた音を声と認識していなかった。何か物音が聞こえた程度にしか思っておらず、冷めた目で部室の奥にちらっと視線を向けただけであった。
彼女を辱め、それに憤慨するものすら嘲笑うかのようなその態度は、更に与謝の怒りに火をつけた。振りかぶった拳に力を込め、その拳を思いっきり三原の顔面に振り下ろした。
「おい待て!」明らかに不自然な与謝の動きに危険を感じ、綾多華はスマホも投げ捨てて無理やり透明な体を止めに入ったが、その制止も振り切り、与謝の拳が三原を襲った。
「ふざけんじゃねぇぞ!」
鈍い衝撃が与謝の拳に伝わった。次の瞬間三原は部室の入り口付近まで吹き飛ばされ、ベンチもひっくり返って砂煙を巻き起こしていた。
突如吹き飛ばされた三原を見て、竹内達はまるで雷に打たれたかのような衝撃に唖然としてた。
「ふざけんじゃねぇぞ……どこまで腐ってんだ、お前らは!あの子はな、すげーいい人なんだよ。誰も見てないとこで、全員が見て見ぬふりしていく中で、あの子だけは自分の身を顧みず困ってる人に手を差し伸べたんだ。俺はそのすげぇかっこいい姿を知ってんだよ!」
与謝は今朝の横断歩道での出来事を思い出し、その時の彼女の明るい笑顔を思い浮かべていた。全員が自分のために急ぐ中、彼女だけは足を止め、自分の都合を捨てて人助けをしたあの優しさを思い出していた。
彼女の笑顔のために立ち上がることができず、その笑顔を汚す人間に立ち向かうことすらできないような透明人間が、この先そのハンディをはねのけて人気者になんてなれるわけがない。
そんな男のもとに、麒麟はやって来やしない。
「いわれのない悪口叩かれて、盗撮の被害にもあって、朝からずっと彼女は泣いてたんだぞ?自分ではどうすることもできない状況になっていって、そのすげぇ怖い思いを、彼女は一人で必死に耐えてたんだぞ?……彼女をそこまで苦しめて、立ち直れない傷まで負わせようとして、なんでお前ら笑ってんだよ!」
与謝の叫びが部室にこだまする。
どこから聞こえてくるのか、誰が話していることなのか、それは誰にもわからなかった。
しかしはっきりと、その声だけは耳に届いていた。
ベンチをどけて、吹き飛ばされていた三原が顔を出す。その顔は盛大に腫れ、左の頬が真っ赤に腫れていた。
「彼女にはもう味方なんていないとか言ってたけどな、味方ならここにいるぜ!大分頼りねぇかもしれねぇけどな!」
与謝はバシッと自分の手のひらを拳でついて意思表明をした。
ようやく、喉につっかえていたものの正体がわかった。自分は彼女の味方だと、そうはっきりと伝えたかったのだ。そのことに気づき、思いを拳に乗せて発散できたことで、幾分胸がすいたような気がした。
「な、なにが起こってる?!」
佐原は部室内を反射するように聞こえてくる謎の声にただただ驚愕していた。
飛んできた三原と共に舞い上がった砂埃が落ち着いてくるにつれ、部室内に起きていたもう一つの異変に気が付き始めた。
彼らの目は、部室の奥の暗がりに佇む女子生徒に向けられ始めていた。
与謝から離れてしまった綾多華は彼らから姿が見えてしまっていた。
狭い部室でこの人数だ、逃げられる可能性は限りなく低い。何よりこの場で顔を見られるリスクも避けなくてはならない。
綾多華は姿を見られないようしゃがみこんで、ポケットから自前のスマホを取り出し、鞄から小さなぬいぐるみも取り出して入口付近に投げた。
そして入口付近にころころと転がったぬいぐるみから、その大きさからは信じられないほど大音量のアラームが鳴り響いた。どうやらそれはただのぬいぐるみではなく、ぬいぐるみの形をしたスピーカーだったようだ。
「今度はなんだ?!」
佐原たちは足元から聞こえてきた爆音に耳を塞いだ。まだ舞い続けている砂埃のせいで音がどこから聞こえてきているのか確認ができなかった。
「まずい!誰かが来ちまう!」
佐原は三原を起こしながらそう伝えた。
「ここまで散らかってしまったらいくら警備員といっても言い訳できません!急いで逃げましょう!」
佐原と竹内に支えられながら三原は部室を出ていった。倉田は躓きながらも、竹内達の後を追って部室を飛び出していった。
倉田の走り去っていく足音が聞こえなくなったくらいで、綾多華はアラーム音を停止させた。
「……なんとかなったか」
そう言って綾多華は壁にもたれかかるようにして倒れこんだ。前髪が汗で額に張り付いている。その姿を見て、ずいぶんと無茶をしてしまったと反省した。
「…悪い。ついカッとなっちまって」
「テメェ、バレたら変態透明人間確定だってわかってんのか!テメェが怒り散らかしたあいつらの濡れ衣を着せられちまうんだぞ!少しは考えて動きやがれ馬鹿が!」
綾多華は適当に右足で何度か前方を力強く蹴り飛ばした。
足に当たりはしたが、かすった程度で大した痛みはなかった。しかしそれもそれで申し訳ない気がしてしまったので、「いてて」とわざと大げさにリアクションを取って機嫌を調整することにした。
「…お前が良い奴だってことはわかったよ。はっきりとな」
綾多華は立ち上がって入口付近に移動し、先ほど投げたぬいぐるみを拾い上げた。
「いい仕事したな。って、踏まれて壊れちまったか」
そう言って綾多華はぬいぐるみのお尻から小型のスピーカーを取り出した。
「なんだそれ?」
「見たらわかんだろ?麒麟だよ」
綾多華はそのぬいぐるみを与謝に渡した。
どうやら入り口付近に投げ込んだのは麒麟のぬいぐるみだったようだ。麒麟のぬいぐるみなんてそうそう出回ってはいないだろう。となるとこれは、綾多華の手作りだろうか。確かにどこかブサイクというか、手作り特有の不器用さを感じる。
「舞台の小道具に使えるかもって作ったんだ。まさかこんな形で役立つとは思わなかったけど」
「いきなり鳴るもんだから、心臓飛び出るかと思ったわ」
「そのおかげで奴らを追い払えた。麒麟に助けられたってことだな。幸運を運ぶ麒麟、言った通りだったろ?」
得意げな笑顔を向けた後、綾多華は部室の扉から顔を出して外を確認した。今のところ誰も見当たらないが、すぐに人が駆けつけてくるに違いない。
「あたしらもここを出ねぇと」
「そうだな」
綾多華は与謝の肩に手を置いて、そのまま2人で部室を後にした。
アラームの音を聞きつけて部室に向かう教師たちとすれ違ったが、やはりこれで透明となれているようだ。教師たちは綾多華に一瞥もすることなく通り過ぎていった。
「お前に触れてれば本当に透明になれるんだな。すげぇ」
綾多華は改めてその状況に感嘆の声を漏らした。
「すげぇけど、気持ちわりぃ」
と同時に寒気も感じ、小さく腕をさする。
すれ違ったのに一切こちらに気づかない教師たち。誰にも気付かれないその薄気味悪い感覚を共有できたことに、与謝は内心ちょっとだけうれしさを感じていた。
「…で、どうするか」
隠し撮りには失敗してしまった。なんとか難を逃れることはできたが、この後どうするべきだろうか。そんな疑問を抱えながら2人は部室棟を後にした。
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