第1章 麒麟の透明人間(12)
「鍵かかってる。大丈夫そうだ」
扉の外から男性の声が聞こえてきた。
綾多華と与謝は固まってしまい、ただじっとドアの方を見つめるしかなかった。
数回ドアノブを係られるが、扉は開かない。戸締まりのチェックなのだろうか。一瞬そう思い安堵したが、すぐにガチャリと鍵が差し込まれる音があった。鍵を持っているということは、学校関係者か警備員に違いない。見回りか、あるいは部室の調査のためにわざわざ人を当てたのかもしれない。
いずれにしろ、このタイミングは最悪だった。この状態を見られるのは非常にまずい。
部外者の生徒が犯行現場に忍び込んでいれば、犯人との関わりを疑われるのは必至である。いくら女子とはいえ、バスケ部と何の関係もない生徒がいたらその疑いは避けられない。
それも綾多華は学校側からも問題児としてマークされている。「またカメラでも仕掛けたのか」などと決めつけられ、濡れ衣を着せられかねない。その濡れ衣を晴らすのにも時間はかかる。真犯人たちがいろんなことを有耶無耶にするには十分だ。
隠れ場所もなく、どうすることもできない。鍵穴から反対側のドアノブが降ろされる音が部室に響いた。
やばい、まずい。
そんな思いが頭を駆け巡る中、一瞬のあいだに扉は無惨にも開き放たれた。
外から差し込む光の中に、2人の姿が剥き出しにされる。正確には、綾多華だけの姿が。両者スマホを掴んだまま固まり、綾多華の頬に一筋の冷や汗がこぼれた。
ドアを開け、日差しを背にしてそこに立っていたのは、与謝が見覚えのある警備員の姿であった。三原と話していた、あの男だ。
部室の中を念入りに見渡している様子から、やはり何か事件に関係している人物なのだろう。さらに後ろには、同じような制服を着た男が2人控えていた。
彼らは部室の中をじっと眺めた後、電気をつけると中に入ってきた。与謝の姿は完全に透明のままであり、綾多華一人の姿が丸見えとなっていた。
「青春って感じの匂いだわぁくせぇ!」と、扉を開けた警備員の後ろにいた、ロン毛でピアスを何個もつけている別の警備員の男性が思いっきり部室内の空気を吸いながらそう言った。
年齢は与謝が見た警備員よりもいくつか下、20代前半と言ったところかと思われる。
「記念にゼッケンでも持って帰るか?」
隣にいたまた別の警備員、筋肉質で短髪、最も年長者かと思われるその男は地面に落ちていたゼッケンを拾い上げながら言った。
ロン毛の男はそのゼッケンの匂いを嗅いでにやにやとしている。
「浮かれるな倉田。誰のせいで急いでカメラを回収する羽目になったと思ってるんだ。さっさと持って帰るぞ」
与謝の知っているその警備員は帽子を深々と被りながら中に入ってきて、倉田と呼ばれたロン毛の男からゼッケンを取り上げて丁寧にベンチに戻した。
「はいはい、すいませんでしたよー竹内パイセンー」
竹内と呼ばれた男は辺りを気にしながら何度も帽子を深くかぶり直している。
「竹内、そうピリピリするな。俺たちはこの学校の警備員としてここにいる。見られたとしてもさして問題はない」と筋肉質の男は腕を組みながら竹内の気を諌めた。
「佐原さんも、油断したら痛い目見ますよ。外見張っててください。ところで、陣内のやつはどうしました?」
「遅刻だ。30分後に来るだとよ」筋肉質の男は腕時計を指差しながら答えた。
「あの男は…」竹内はいらだちを含めた表情で大きくため息をついた。
「お堅いなぁーもっと気楽にいきましょうよ」
そう言ってロン毛の男・倉田はあくびをしながら外をちらっと覗いた。
「お前の適当な仕事が招いた結果だということを少しは自覚しろ」
へいへいと生返事をする倉田のやる気のない様子に、竹内はもう一度深いため息を漏らした。
警備員たちのやり取りが行われているそのすぐ目の前、数メートル先に与謝と綾多華はいた。
何かに隠れているわけではない、堂々とそこに存在している。
だが、不思議なほどそれに関して触れるような様子は一切なかった。少なくとも綾多華の姿はその男たちの目に映っているはずだが、あまりにも自然に無視されている。
「さっさと回収して戻りましょうやー」
倉田は再びあくびをして、大きく体を伸ばした。そのまま部室の中にずけずけと入り込むと、縦長のベンチに勢いよく腰を下ろした。
その振動で、ベンチが小さく跳ねた。すると、奥の方でそのベンチに座っていた綾多華の体も、小刻みに浮いた。衝撃に驚いて声を出さぬよう、空いている方の手でしっかりと口元を覆う。
そして綾多華のいる方向に顔を向けながら、ロン毛の男は寝転がり始めた。二人の距離はわずか数十センチしかない。それなのに、ロン毛の男には綾多華の存在を認識する様子はまったくなかった。
綾多華は、まるで自分が「透明人間」となってしまっているかのような錯覚を覚えた。流石の綾多華もその光景に困惑し、額には大粒の汗をかいている。
綾多華は自分の姿が彼らに見えていないと感じ取った瞬間からその原因を探っていた。与謝だけであれば透明人間だからという理由で全て片付く。
しかし自分はどうか。
与謝と一緒にいたとはいえ2,3時間程度。透明人間になるウイルス的な何かに感染したのだろうか。だが与謝の話では、急な病で倒れてから透明になったそうだ。そんな兆候は一切出ていない。それに先ほど部室前でも上級生に話しかけられている。自分が透明人間になっているという線は消えた。
では一時的にそうなっているという可能性はあるか。
そう考えたとき、階段で花火を持たせた時のこと、そして先ほどボールが消えた瞬間のことを思い出した。与謝が触れているものが透明となるのであれば、間接的に与謝の持っている物体に他の人間も触れていれば、与謝の力が影響しその人物も触れている間は透明になるのではないか。
仮説にすぎないが、目の前にある結果がその仮説の可能性をかなり高めていた。今現在、確実に警備員たちに姿は見えていない。両者が透明人間となっているのは紛れもない事実と言える。
与謝も同様の可能性をぼんやりとだが直感で理解し、2人は何があってもスマホを離さずにその場をやり過ごすことに決めた。
「残ってるカメラは2つ。倉田はロッカー、佐原さんは見張りをお願いします」と言って、竹内は与謝の方に歩いてきた。
その発言を聞き、与謝と綾多華はお互いの方を見た。
カメラの個数まで知っているということは、設置したのも同一人物と推測できる。つまり、三原と一緒にいた竹内という警備員だけではなく、この警備員たちがグルとなって犯行に及んだ可能性が高い。警備員であれば点検などと言って部室にカメラを仕掛けることも可能だろう。
三原には犯行を行う協力者がいるということだ。しかもこの学校で正義の側にいるような人物たちが。
しかしそんな新たな事実が出てきたはいえ、ピンチな状況ということには変わりがない。ただでさえ警備員という立場を使ってカメラを仕掛けるような奴らだ。もしここで彼らに存在がバレたらどういった目に遭うかわかったものじゃない。
与謝は自然と体が震えていることに気づいた。なんとしてもここにいるとはバレずにやり過ごさなくてはならない。
ロッカー際に立っている与謝とベンチに座ってスマホを差し出している形の綾多華、そのような形で2人は通路を塞いでいた。
竹内はその通路をまっすぐに歩いてきた。
与謝はスマホをくいっと引き寄せ、綾多華に合図を送った。
綾多華もそれに気づき、音を立てないよう立ち上がると、2人でロッカーの前に立ち並んだ。
竹内はゆっくりとその前を通り過ぎていく。
わずか数十センチの、間近な距離だった。少しでも息を吹きかければ、アクセサリーでも触れてしまえば、気づかれるに違いない。2人は必死でそんな危険を回避しながら、竹内の去り行くのを待った。
竹内は白いゴム手袋をつけて壁についているプレートに手を伸ばした。
迷わず行ったその動作だけで、この男が犯人と繋がっていると断定するには十分だ。その瞬間をカメラで撮る必要があったが、与謝はその状況をやり過ごすことに頭がいっぱいとなっており、かつ綾多華から渡されたスマホはお互いの生命線となっており、お互いでぎゅっと握りしめていたためカメラの起動には難があった。ただ息をひそめて、その場をやり過ごすことしかできなかった。
竹内はそのまま静かにプレートを外し、中からカメラを取り出す。
「ふぅ」
ほっと一息をつき、カメラを地面に置いて再びプレートを元に戻す。
証拠は回収されてしまった。しかし、この男がここにいたというこの瞬間を証拠として残すことはできる。
綾多華はゆっくりとスマホを掲げ、写真を撮ろうとした。
その動きで考えを察し、与謝は決して手が離れないようにスマホを動かした。
与謝がスマホを少しでも手放してしまったら綾多華の姿が露わになっていまう。その緊張感の中で、与謝は指をゆっくりとスマホの画面外に移動させた。スマホの淵を掴むような体勢を取る。
綾多華も下半分を持ち、タップして画面を起動させた。
しかし、目に見えない与謝の動きに合わせてスマホを操作するのは至難の業であった。
画面をタップするとそのままスマホは奥に倒れていき、お互いの手から滑り落ちてしまった。手から離れたスマホはゆっくりと後方に倒れていき、回転しながら地面に落ちていった。
刹那だが永遠とも言える絶望的な時間。2人は急いで落ち行くスマホに手を伸ばしたが、その動きを止めることはできなかった。
ガン!
鈍い音とともに、スマホは地面に叩きつけられた。
その音に驚き、竹内は一瞬で振り返った。音のした方をじっと見やるが、そこには何も、誰もいなかった。
「どうした」と筋肉質の男・佐原は訊ねた。
「ん?なんか蹴っちゃった?」
寝ていた倉田がそう呟きながら起き上がり、瞳をこすった。
佐原は外の警戒におわれ、倉田も寝ぼけていたため、2人とも与謝たちの方を見ていなかった。辺りが暗かったことも幸いした。
綾多華は地面に落ちたスマホを一瞬でつかみ、その綾多華を抱えるように与謝が体に触れたことでなんとか透明化に間に合った。
体に触れるだけでも透明となれるらしい。
ぶっつけ本番の実験だったが、上手くいったようだ。
与謝は心臓がバクバクと高鳴っていた。
ほっと息をつき、与謝は綾多華の体を引っ張りあげてなんとか体制を戻して立ち上がらせた。
綾多華も息をついて立ち上がるが、前を見ると、倉田が綾多華の正面に立ちふさがりその顔をじっと見つめていた。
綾多華は倉田と至近距離で視線が合い、驚愕の声を上げそうになったところを与謝が素早く口を押さえて制止させた。
倉田はじっと綾多華の方を見ている。そして、ゆっくりと右手を綾多華の顔の方に伸ばしてきた。
「ここだっけか?」
綾多華の顔の横に手を置き、ロッカーをさすっている。
綾多華は目を見開きながら音を立てずゆっくりと左にずれた。
それに合わせるかのように倉田は手を綾多華の腰の近くに持っていき、そのまま目の前のロッカーを開けた。
「ああ。扉についてる鏡の裏にスマホがあるはずだ」
倉田は扉についている鏡をずらして器用に外し、裏に張り付けてあったスマホを取り外した。
「よいしょっと」
倉田はそのスマホを回収し、佐原が持っていたカバンに詰めた。
「これで終わりか?」
竹内の回収したカメラも受け取り、佐原はカバンを担ぎ直しながら竹内に確認した。
「はい、それで全部です」
「楽勝っすね」倉田は再び大きく伸びをした。
「調子に乗るな」
竹内は相変わらず緊張感のない倉田を諭すように話すが、倉田は手をひらひらと動かして適当にごまかしている。
「警備室に置いてある向田って生徒の着替えとかはどうする?」
話題を変えるように、佐原は再度鞄を担ぎなおして竹内に声をかけた。
「それも今日中に持って帰りましょう。置いておいても危険なだけですから」
「間違いないな。でもまあこれで問題なく終了だ。あとは誰にもバレないようにここを出て…」
と、そこまで言って佐原は言葉を止めた。口元に指を当て、外に注意を巡らせている。
「足音だ。誰か来る」
その一言で部室内に緊張が走る。
耳を澄ますと確かに近づいてくる足音が聞こえる。目的地はここではないかもしれない。他の部室に用がある生徒かもしれない。しかし近づいてくる足音は徐々に大きくなり、そしてバスケ部の部室の前で止まった。
竹内たちは息を飲んで扉のガラス越しに見える人影を眺める。扉が開かれ、見慣れた容姿を確認して竹内たちはほっと一息をついた。
「ビビんなって。俺だよ」
日差しを背にして、三原明彦は軽い微笑を右の頬だけに浮かべてそこに立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます