第1章 麒麟の透明人間(10)
2階廊下。与謝と綾多華は昼休みの時間を使って、とりあえず被害者の向田美優から何か話を聞けないかと教室にやってきていた。
涙こそ収まったようだが未だ向田美優の表情は暗く、周りには心配する生徒たちの姿があった。
その中心には、当然のごとく三原明彦の姿もあった。授業の合間の短い休憩時間にも顔を出していたようで、今日は彼女の警護のつもりなのかべったりであったようだ。しかも毎回、与謝の席に勝手に座って。
「あいつ、何勝手に俺の席座って…」
その光景を見て、与謝は怒りながらも小声でそう呟いた。
向田美優に会いに来たが三原がいるのもあってその輪に割って入ることはできず、2人は教室後方にある扉の外からその様子をじっと眺めていた。
「もはや自由席だな、あそこは」
「そういう些細な言葉が俺の心にちくりと来るわけでな?」
綾多華の心ない発言にぶつくさと与謝は隣で文句を垂れている。
綾多華はその文句を無視し、壁に寄りかかりながらじっと教室の中を観察していた。
「あいつが近くにいるんじゃ情報収集も厳しいな」
「今日はずっとそばにいるかもしれないぞ?」
「かもな」
綾多華は生徒の隙間からちらりと見える三原の澄ました横顔をじっと睨み、
「真犯人がああやって被害者に寄り添ってると思うと、ゾッとするな」と呟いた。そして不敵に笑い「笑ってられるのも今のうちだぞ、クソ変態野郎」と小声で言い放った。
「誰が変態筋肉野郎だって?」
綾多華の背後に短髪でジャージ姿の大男が腕を組んでそびえたっていた。身長180cmほどだろうが、ガタイの良さも相まってもう一回りは大きく見えた。
与謝はその男を見上げて口をあんぐりと上げて後ずさる。
「…信之か」
しかし綾多華はいたって冷静に、ちらっと背後を見たあと興味なさげにそう呟いた。
信之と呼ばれた男は困惑した表情で頬をかいた後、
「海江田先生だ、先生!教師を呼び捨てにするやつがあるか、しかも下の名前で!ものすごく舐められてるみたいに思われるだろ!」と、眉間にしわを寄せて注意を行う。
「うっせぇな。なんだよ、こっちは忙しいんだ」
しかし何一つ態度を変えない綾多華に、海江田はため息をもらした。
この数秒のやり取りでなんとなく関係性がわかったような気がする。それとともに、一回り海江田が小さくなったような、そんな錯覚を覚えた。
「なあ、この人誰だ?ってか、何の話?」
与謝は綾多華の方に顔を寄せて小声で話しかけた。
綾多華はちらっと与謝の方を向いて、同様に頭をそっと与謝の方に近づけて小声で答える。
「演劇部の顧問」
「あの腕で演劇部なわけないだろ」
「だよな」
綾多華はクスクスと笑っている。
「お前、お前なぁ……まあいい。てかあれだ、今朝の装飾と花火!お前もうああいうのやめろって言ったろ!色々謝罪や説明に回ったりめちゃめちゃ大変だったんだぞ!」
「どうせ暇だろ?丁度よかったじゃねぇか」
「おいおいおい!教師に向かってなんてことを…大体誰のせいでそんなことになったと思ってんだ」
「あたしがやった証拠はないんだろ?疑わしきは罰せずだ」
綾多華のその一言に即座に言い返せず、海江田は頭を抱えた。一回り、体が小さくなったように見えた。学校と綾多華のトラブルの板挟みにあって憔悴し、パンプアップし続けていないとみるみる小さくなっていってしまうのかもしれない。
「まあ今後は、いや今後も!度を超えた目立つようなことはしないでくれ、俺の首が飛びかねん」
「善処する」
再び海江田はため息をついて頭を抱えた。
大変なんだろうなと、与謝はやり取りを横で眺めながら同情した。
「……それとあれだ、お前この前応募したやつ、結果どうだった?」
海江田は腕を組んで綾多華に尋ねた。
あーと気のない声を上げ、綾多華はカバンからスマートフォンを取り出し、だるそうに片手で画面をなぞるように操作した。指先が画面上を滑り、何か特定のページを表示させたのち海江田に向かってスマホを投げた。
「ほらよ、なんか獲ってたわ」
画面には、「月間高校生脚本コンテスト審査結果」と書かれたページが開かれていた。最優秀の欄にはっきりと『峯綾多華』の名前が記載されていた。
「いやお前、最優秀じゃないか!す、すごいことだぞなんですぐ言わないんだ!」
結果を見て海江田は目を丸くしていた。何やらよくわからないが、最優秀というのが優勝と同義だということは与謝にもわかった。
すごいことを成し遂げたはずなのに、綾多華はそのことに一切興味はなさそうであった。
「もっと喜べって!最優秀だぞ?!」
テンション高めで話す海江田に対し苛立った様子で綾多華は答えた。
「結果残せば学校側の演劇部を見る目も変わるかもしれないって言うから、我慢して受賞できそうな作品作ったんじゃねぇか。作ってる最中つまんなすぎて死んでやろうかと思ったわ。あたしは喜劇やコメディしか興味ねぇんだよ」
どうやらこの学校は近年運動部へ力を入れているらしく、文化部に関してはあらゆる面で二の次とされているとのことであった。その状況を改善するためには結果をということで、綾多華は脚本のコンテストに応募させられたとのことであった。
「いやいや、これ見ろ。『あふれ出る想像力、発想力の鬼才。最後の一行まで気を抜くことができない構成、彼女の頭の中が見てみたい』こんなべた褒めコメントまである!絶賛している人がこんないて最優秀なんだ、そう無下にするもんでも」
綾多華は早くこの話を切り上げたいと言わんばかりの鋭い眼光で海江田を睨む。
「ふざけんな。結果は出したろ。もう金輪際真面目はお断りだ。あたしはあたしの喜劇を追求させてもらう」
そう言って、この話は終わりだと再び教室の方に視線を移した綾多華に対し、海江田は額に手を当てて頭を悩ませる。
「いや、まあお前の言いたいこともわからんでもないんだが、お前のコメディはなんというか、そのー……」
海江田は言いづらそうに、気まずそうにぼそぼそと口を開いた。
「まあなんだ…単純に、面白くねんだよな」
思わぬ発言に、与謝は小さくも吹き出してしまった。綾多華も微妙な表情で海江田の発言を聞いている。
「推理とか、ホラーとかの才能はピカイチなんだけど、コメディになるとなんというか……こんなので、誰が笑うの?ってレベルの…」
遠慮せずズバズバと切り捨てる海江田に我慢できず、与謝は再び吹き出してしまった。世界中を笑顔で溢れさせたい。屋上でそう語っていた彼女の姿は堂々としていたので、まさか笑いが苦手だとは思わなかった。ある意味でそれ自体が笑いになっていると言えなくもない。高度な笑いやってるねなんて言ったらおそらく怒鳴られそうだということは、どこか居心地悪そうな表情を浮かべている綾多華の表情からわかる。
いつまでもクスクスと笑っている与謝に苛立ったのか、綾多華は目にも留まらぬスピードで与謝の脇腹を肘で小突いた。まるでそこにいるとわかっているかのような的確な小突き。地味な痛みが体を駆けまわる。
「……いいんだよ、いつか作れるようになれば」
口をとんがらせて不満をあらわにする綾多華であった。
綾多華にも苦手なことがあり、それに悩んでいるということが分かって少しだけ親近感が覚えた。
「なあ、この結果は事実なわけだし、喜劇以外も書いていかないか?」
海江田としては結果を出して学校を納得させることと並んで、綾多華にはコメディではない作風の才能があるという事実を作りたかった。そういった事実があれば説得もしやすくなるからだ。
しかし綾多華は一才気にかけず、むしろ先ほどバッサリと自分のコメディを切り捨てられた苛立ちからも「喜劇100%」とやる気に満ち溢れてしまっていた。
「やりたいのはわかってるが、才能も活かそうって話だ。前もホラー書いてみたら佳作獲ってただろ?」
「コント書いて出したのに何故かホラー部門で受賞してただけだ」
綾多華は不満そうにそう話す。
いやいや一体どういう手違いだ。手違いというより、どうしてコントを書いたのにホラーになったのか。その話のがよっぽどホラーだ。
「人を笑わせたいから物作りやってんだよ」
そこだけは、綾多華の中でぶれない信念となっているようであった。どんな才能に恵まれたとしても、人を笑顔にするために活かせないような才能に価値を感じないのだろう。
海江田は何度も首をひねりながら苦虫を噛み潰したような顔をして、どこかで納得したのか一息ついて綾多華の方に向き直した。
「そうか。ま、お前ならいつか喜劇も上手く書けるようになるだろう。あれはあれで奇抜な発想ってことで刺さる人には刺さるかもしれんし」
綾多華にスマホを返し、腰に手を当てて爽やかな笑顔で話を続ける。
「とりあえず結果はわかった。これで教頭には話してみる。演劇部も頑張ってるってな。今日部活の時に審査員のコメントとか詳しい話聞かせてくれ」
初め見た時はその筋肉量と体の大きさに恐れ慄いてしまい、どこか脳筋で頭が固い人物なのだろうと偏見で身構えてしまったが、実際の海江田は生徒思いの良い先生のようであった。もしかしたら、自分の存在を打ち明けたらなにか力になってくれるのではないかと、与謝の目に海江田はかなり眩しく写ったのであった。
綾多華はそっと与謝の方に顔を寄せ、「マッチョの笑顔ってなんかウケるよな」と小声で話しかけてきた。
今そんな話したくない、与謝は無表情で適当にあしらった。
海江田は最後に「授業にはちゃんと出ろよ」と忠告をして、そのまま廊下の奥に消えていった。
「…麒麟が来るのは、当分先みたいだな」からかうように、与謝は綾多華に向かってそう呟いた。
「…育成中なんだよ、今はな」バツの悪い表情を浮かべていた先ほどとは打って変わって、笑い飛ばすように綾多華はそう答えた。麒麟がまだ来れる状態に成ってないから、自分もまだ人を笑わせられないという理屈。見習うべきプラス思考だと、与謝は素直に感心してしまった。
「…で、どうするか」
与謝は再び教室に目を向けた。今日向田美優にコンタクトを取るのはおそらく難しいだろう。コンタクトを取れたとしても、根ほり葉ほり盗撮事件のことを聞くのは、彼女の精神状態を加味してもよしたほうがよいかもしれない。それにおそらく、近くには三原もいるはずだ。
「あの子が1人にならないと話聞くのは無理そうだな。かといって三原の野郎に直接聞くわけにもいかねぇし」
綾多華は壁に寄りかかりながら腕を組んでどうするかと考え込み、1つの選択肢を口にした。
「火事でも起こせば散らばるか」
「いやどういう発想だよ」
とんでもプランに驚いて、与謝は慌ててその発想を否定する。
「…部室でも行ってみるか」
綾多華は代わりのプランを提示した。
「部室って、カメラが見つかったっていうバスケ部の?入れるのか?」
「お前がいるんだ。なんとでもなるだろ」
「いやいやいや、許可的な話で。立ち入り禁止になってるだろうし、部外者が勝手に……」
「堂々とやって許可なんて下りるわけねぇだろ。こういう時にお前活かさねぇでどうする。それに犯人は現場に戻るってのが鉄則だ。張り込んで怪しい奴見つけたら徹底的に尾行、まさに透明人間の本領発揮じゃねぇか」
かかかと不敵に笑いながら、綾多華は部室に向かっていった。すれ違う人たちはどこかから聞こえてくる慌てふためいた声に不審な表情を浮かべていた。
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