第一章

第1章 麒麟の透明人間(1)

 これは、透明人間となってしまった少年・与謝証明が、世界一の人気者になり、最も目立つ透明人間になるまでの物語である。


 あるいは、『クソゴミクズ変態クソ透明人間』という汚名を晴らすまでの物語である。その物語は、奇跡的な不運が奇跡的に重なった悪夢のような1日から始まった。



 夕暮れ時、道路を駆ける与謝証明の足は羽のように軽かった。足を運んでいる感覚すらなく、あの時お前空飛んでたよと言われても納得してしまうくらいには軽かった。


「明日、とうとう明日だ!」


 明日は4/1、天翔東高校の入学式の日だ。


 与謝はこの日をずっと待ち望んでいた。


 待ち望み、これまでの自分を変えるためにあらゆる努力を重ねてきたのであった。


 顔が怖い。目つきが悪い。同級生に与謝証明とはどういう人間かと尋ねたら、真っ先にそういった類の言葉が出てくるだろう。齢15にして、それである。


 その顔が伝える印象と親の教育方針で柔道をやらされていたということもあって、やれ毎日喧嘩に明け暮れているだの暴走族を潰しただの、顔に端を発する身に覚えのない噂だけが独り歩きして、中学に上がる頃には誰も近づかない要注意人物となってしまっていた。


 特に何か問題を起こしたわけでもない。全てが根も葉もない噂に過ぎなかった。


 とはいえ今更喧嘩もしたことないし暴走族も潰してませんと否定するのもなんだか恥ずかしいし、怖そうな人がいたら警戒するのは当然だと理解もしていた。自分だって怖そうな人が身近にいたら近寄ろうとは思わない。つまりこちらにも非がある以上、仕方のないことなのだ。


 せめてこの状況をプラスにできないかと思い、堂々と胸を張って『孤高』というような雰囲気を醸し出そうと振舞っていた。孤高の一匹狼。もしそう見えているのであれば随分かっこよく映っているものだなと、少しだけ笑みが零れる。


 しかしそうごまかし続ける度に、与謝の心にはヒビが入り続けていた。仕方ない、しょうがないと諦め続ければ続けるほど、与謝の本心が泣いているのがわかった。ゲームの話をしたり、流行りのアニメの話をしたり、自分がすかしながら窓の外を眺めている間、周りでみんながしているようななんてことのない当たり前の日常が羨ましく、ただただ寂しかった。


「忘れんなよ?自分に嘘をつかず、ただまっすぐであること」


 久しぶりに家に戻ってきた父親はいつものおちゃらけた笑顔で唐突にそう告げて、またどこかに消えていってしまった。


 何をしているのか、今までどこにいたのか、そしてどこに向かっていったのか。父親のことは全くよくわからないことばかりであるが、どうして息子のことはここまではっきりとわかっているのだろうか。その言葉は与謝の心に深く突き刺さっていた。


 自分に嘘をつかず、ただまっすぐであること。父親の口癖であった。


 子供のころから何度も聞かされてきたのもあって、与謝はその言葉があまり好きではなかった。なにより10分後には反対のことを言うくらい適当な性格の父親の口癖がそれなのが気に食わなかった。どの口が言っているんだと常にムカムカとしていたが、ほら吹きで適当な男だったからこそ、ならばその口癖だけはひょっとして本心の言葉なのではないか。そんな気がして、かえって与謝の気持ちをかきたてるのだった。


 その言葉とは正反対の生き方をしてやろうと思い、避けられるのも怖がられるのも全部自分が悪いんだと自分自身を無理やり納得させて、孤独を貫いていた。悪ぶったり、強がったり、そういう振舞いをしながらも、実はその言葉のようにありたいという気持ちが心の奥底で温かく眠っていて、それに蓋をしているに過ぎなくて、心がざわざわして、とにかくその言葉も、それを言う父親のことも苦手であった。


 かたりと、まるで何かが吹きこぼれたかのように、心の奥に長らく被せていた蓋が突然外れた音が聞こえた。


 ずっと、嘘をつき続けていた。


 恐れられ、怖がられ、自分はそういう人間なんだ、仕方ないんだと思い込むようになり、父への反発心から心に蓋をしていたが、やがてその事実すら忘れ去っていた。


 自分はそういう人間だから、その言葉で全てを片づけられるようになってしまっていた。


 父親に改めてその言葉をかけられて、自分の本心に気が付いた。本当は、本当はずっと、寂しくて、笑い合って一緒に馬鹿をするような、そんな友達がほしかった。1人で寂しく過ごす毎日を、変えたかったんだと。


 だから、高校で変わってやると決心した。


 中学校で今更キャラ変は、なんか恥ずかしい。いや、できることはできるのだが、なんだか体が痒くなる。できれば自分を知る人間がいないところで。そう思って、地元を離れ都会にある天翔東高校を受験した。そこそこ難しい学校であったが、友達もいないしやることもない自分にとって時間だけは有り余っていた。死ぬほど勉強してなんとかギリギリ合格することができた。


 初めて味わった何かを成し遂げるという達成感は、既に与謝に高校デビューが成功したかのような高揚感を味合わせていた。高校では必ず友達に恵まれて、楽しい学生生活を送れる。そんな気がしてしかたなかった。


 だが、それも全てこの鋭い目つきに端を発する怖い顔をどうにかしなくては意味がない。


 どんなもんかと鏡を睨みつけてみると、なるほどこれは人も遠ざかると納得の鬼の形相が目の前に立ちふさがっていた。


 しかしその顔も、毎日笑顔を意識するように生活をしたら自然と柔らかな表情に変わってきていた。ニヤニヤして怖いなんて周りから引かれたりもしたが。


 結局ずっと悩んでいたこの怖い顔も、自分のメンタルによって上塗りされた厚化粧に過ぎなかったのだ。


 変わろうと思えば、変われる。


 その変化は与謝を更に活気づけていた。


 トレンドの髪型、明るい髪色を手にするために美容院にも通った。


 自分が変わっていくにつれて、与謝の目指す目標も高くなっていった。初めは、1人くらい友達ができたらというくらいのものであったが、次第に友達100人、そして学校一の人気者、そんな超々目立つかっこいい存在になってみたいという高みまで駆け上がっていた。


 どうせ知り合いもいない学校に来て生まれ変わろうとしているんだ。目標は高いに越したことはない。

 それに、今までは考えもしなかった目標が、今は叶う気がしてならなかった。


 変われると知った今の与謝にとって、不可能という言葉は辞書から消えていた。


 人との話し方、明るく見える方法、ただの地味な学生が学校一の有名人になった話、そんな感じの本を読み漁り、重ねに重ねた努力は自信を纏わせ、気づくと少し前の自分からは想像もできないほど煌めいた青少年が出来上がっていた。新たな一歩を踏み出すのにふさわしい自分にようやく成れたのであった。


 長きにわたる努力を終えて、ついに明日からすべてが始まる。これまでの孤独な人生とは違う、友達に囲まれた人気者の与謝証明の人生が。


「学校1の人気者に、なってやるからな!」


 帰り道、大きな夕日に向かって走りながら与謝は大声でそう宣言した。明日から始まる、与謝証明の第2の人生を祝して。



 しかし、彼が天翔東高校の門をくぐるのは、それから3か月後のことであった。

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