〔下編〕❸ハーデンベルギア
「とまぁ、説明はこんな感じ……質問ある?」
「いえ……」
「……再来週には採取の為に四日ほど入院してもらうことになるよ。それに全身麻酔だからね」
「………はい」
「顔色悪いよ?……さては彼と喧嘩でもしたんだね?」
「まぁ……そういったところです」
希望さんが俺たちを拒否した翌日。俺はコーディネーターや院長から骨髄移植の説明を受けていた。丁度その時には福吉さんも同席していて、ひたすら俺の背中を摩ってくれた。説明が終わり、コーディネーターは帰っていき、その後三人で喫茶室で昼食となった。ここでは希望さんと何度か飯に行ったことはあるが、その度に「舞姫の飯食いて〜」と子供っぽく喚いてたっけ…。
「………希望さん」
「……今は加堂と雷磨に、彼の本音を聴いてもらってるよ。直接ね……」
「…………やっぱり、ドナーが見つかって移植した後も、数ヶ月後には再発することもある。それが白血病だからね。死ぬのが怖くて、廉命君達を突き放してるのかも」
「でも……二度と顔を見せるなって……」
家族、という言葉一つで闇に堕ちる彼を見た。二度と顔を見せるなと言われたが、このまま放っておくと憎しみを持ったまま、あのシューズコーナーに立つことになる。それに……彼は今、生と死の狭間で精神的に不安定なのもあるかもしれないが、両親に対する恨みが勝っているのだろう。
「とりあえず、入院することは決まってるから、私達も気を抜いてられんからな……福吉君、手伝ってくれるね?」
「………」
「無理にとは言わない。でも君は、私と共に幾度も人の命を救った、医師でもあるんだよ。どうかこの手を握ってくれないか」
院長が福吉さんの前に手を差し出す。彼の言葉に福吉さんのトパーズのような山吹色の瞳に光が宿った。そして福吉さんは……その手を握った。
「良かったよ。君に医師の心が残っていて」
「元医師の力を…貸します。それと雷磨にも協力頼んでもいいですか?彼も医師を目指してるんです」
「勿論だ。皆で、希望君を救おう」
やがて飯を食べ終わり、俺達は喫茶室を後にした。すると廊下ですれ違った、舞姫と愛がいた。
「愛…舞姫……どうしたんだ……」
「ぐすっ……希望君に…顔を見せるなって……ヒック……」
「舞姫、大丈夫。この子……この傷だらけの子が、希望君の命を繋ぐから……」
「………舞姫さん……」
「希望君……一人で寂しくしてないかな………私があんなこと言っちゃったのに…」
今の希望さんの、本当の姿は舞姫さんの何気ない一言で姿を表した。もちろんそれは、俺と如月さんにしか見えないと思うが…。
「舞姫………彼はお前のことが嫌いになって突き放したんじゃないんだよ」
「………お父さん、この傷だらけの子も、希望君も助かるんでしょ?」
「骨髄移植は、過去の死亡例はないし、後遺症も滅多にない。あるとしても腰に鈍い痛みが数日続くだけさ」
「………私達には、まだ彼を救う資格はある。最後まで足掻いて、彼を……希望君を助けよう」
そして……骨髄液採取前の健康診断も終わり、採取前入院の始まりがやってきた。如月さんには、このことを言ってある。彼女と舞姫さん、愛さん、福吉さんに院長は俺の病室にいた。
「……………私達、希望君ともう一度話せるかな……」
「…話せるよ。彼は私達を思って、わざと突き放したんだ。だから廉命君、彼を救ってくれ」
「はい……」
「……生野。廉命達に言うことあるだろ…」
「………いや、ない」
「…こんなに痩せちゃって……十キロほど減ったってこの前廉命君から聞きました……今何キロなんですか?ご飯食べてます?」
「………うるせぇよ。雷ちゃん……四十七くらいかな」
「だからこんなにチビなんだよ……」
俺が何度も彼らに出ていけと言ってるものの、二人は一向に病室から出ないで、ひたすら俺に話し掛けてくる。今体重何キロだとか、ちゃんと飯食ってるのか…。今の俺には正直そんなことはどうでもいい。あの憎しみさえ無くなれば、そのまま逝っても構わない。だが俺はドナーによって生かされるが、今はどちらかというと死を希望している自分がいる。俺の余命は二ヶ月切っているというのに、何故神は俺を殺そうとしないのか…。
「………あなたのドナーになった方も、後遺症や恐怖で辛いんです。でも一番辛いのが生野さんであるのは事実でしょう?」
「…はぁ。死ぬって分かってんなら、せめて如月ちゃん達になにか言えよ。可哀想だろ」
「……加堂さんよぉ……分かってんだよ。この別れ方が一番いけないって。一人で死ぬのが怖いことくらいも……」
「なんかお前、変わったよなぁ……元から変わってるか」
「ちょ……撫でんな!禿げる!」
突然加堂さんが俺の頭を撫でてきた。そのせいで数本の髪の毛も抜けてしまった。どうやら学生時代の俺と比べて、今の俺は変わってしまったらしい。
「……これで分かりましたか?廉命君が…………あなたのドナーになってるんです」
「………は?」
「ですから、僕らの中でHLA型が一致したのが廉命君だけなんです。あなたの命を繋ぐのは、廉命君なんです……」
「…何の冗談だよ………はぁ……」
しかもなんと、俺のドナーになったのは…………日出廉命だったのだ。彼らの中で唯一俺のHLA型が一致したのが廉命で、彼の意志でドナーになったとのこと。しかも今日から入院して、明日には骨髄血を採取するとのことである…。
「………本当は骨髄移植が終わった後に教えようか悩んでましたが……生野さんが予想以上に闇に堕ちてたので……」
「……ごめんねお待たせ……生野さん、ドナー見つかったんだって?」
「…………店長」
「……だいぶ痩せたねぇ……歩けやしないでしょ?」
「………兄貴、この子のドナー、誰だか分かる?」
「廉命でしょ?いやぁーあいつも変わっちゃったねぇ………生野さん。俺達はお前の味方だ。だから……」
一緒に生きよう。そしてあのスポーツ用具店で皆で働こう。盾澤店長の一言で、俺の右目から一筋の涙が流れ、溢れるように両目から涙が出た。実の両親に対する憎しみ、如月達を突き放した罪悪感、強い抗がん剤による副作用の辛さ、死に対する恐怖、そして……一緒に生きようとする仲間達による希望……それらが混ざり、俺は涙が零れ、副作用で体が痛いにも関わらず、可能な限り大声で泣いた。
「皆………ぐすっ!ヒック……」
「また生きて馬鹿しよう。早くチビ治せ」
「また僕とネトゲもしましょう」
「一緒に生きて、スポーツの未来を盛り上げよう」
「…皆…あり……がとう……ぐすっ!」
そして後日。廉命は骨髄移植の為に、骨髄血を採取した。量としては一リットル。廉命の体格ならその量も怖くないだろう。そしてついに…俺の骨髄移植が始まった。静脈に針が刺され、彼の骨髄血が流れて、体中に巡る。カタツムリのようにゆっくりと……体中に流れてくる。何故か今は……体が痛くない。こんなに気持ちよく眠れるのはいつ以来だろうか。気付けば俺は……病院のベッドで夢の世界へ旅立っていた。
『希望兄っ!希望兄っ!』
『……………ん』
『……希望兄起きた……お願い、一緒に来て!』
『……は、お前…龍……翼……?なんでここにいる……?』
『…………俺達、死んだよ』
『……は?』
俺が夢の世界で目が覚めると……廉命の幼い弟である、龍と翼が俺の顔を見ていた。それに着ていた服もダボダボで、中学時代の俺の姿になっていた。彼の受験シーズンの頃はよく遊んでたものの、廉命が家出して以来、彼らのことは分からなかった。彼らはひたすら『一緒に来て』と言わんばかりでその理由を聞いた。
『だから……天国でまた一緒に遊ぼ……?』
『………お願いだよ希望兄っ!』
『…………』
多分、今の俺は生と死の狭間で彷徨っているのだろう。廉命の家族でもある彼らが俺の両腕を掴んで、向こうにある扉の方に連れていこうとする。多分その扉を渡れば、天国に行くということになってしまう。でも………俺は……
『それは出来ないよ………だって俺は…俺は……』
セカイガニクイカラ…。夢の世界でも、如月と廉命にしか見えない、獣のような化け物の姿になってしまう。心臓に黒い渦が巻き、それが大きくなり……その姿は……街を飲んでしまうほど大きい。
『希望兄……っ!』
『……ユメノセカイノニンゲンモ、スベテノニンゲンモ……コロス……ウラム』
『ゆめっ、兄!………嗚呼、この夢は…終わりだ』
何も見えない夢の世界が、いつもの街に変わっていく。俺が鋭い爪を一振りするだけで、数々の建物が潰れ、粉々になっていき、そこにいた人間も肉片となった。俺は迷わず続けて、周りの世界を壊していく。やっぱりまともに眠れていないじゃないか。気付けば周りは建物の破片と人間らしき肉片が散らばっていた。すると……凄く知っている二人の少年少女が俺の前に現れた。
『……希望さん……何して……うっ!』
『廉命さん!……生野さん……もうやめて!うちらが悪かった!だからもうやめて』
『……オマエラ……ヨクモ……』
『オレハスベテノニンゲンモコロシテ…シヌ』
『うっ……そんなこと…させないっ!』
『………ナラ、オレヲトメテミロっ!』
もう一度腕を一振りすると、死体と建物の破片が出来た。それは衝動や迫力により、全てを破壊する力がある。だから人の骨や道路も、簡単に砕けてしまう。周りは赤く染まり、もっと破壊したくなった俺は……彼らの元に身を移動させた。どうせなら、彼らも殺して……一人で迷惑掛けずに逝きたい。でも何故だろう。彼らを殺したくない自分がいる。それでも俺は…世界を壊さなくてはならない。捨てられる世界を壊したい。そう思い、腕を振ろうとすると、二人は輝いていた。
『……………はぁはぁっ…!希望さん…もう一度、俺達にチャンスをくれ!どうしてあんたはこんな姿になった!』
『………オマエラニハ、カンケイナイ。コロス。ソレダケ』
『なら………っ!』
そう言い、俺の攻撃で崩れ落ちる建物の最上階へ駆け、俺のところに飛び込んだ。もう一振りして彼らを殺そうと腕を上げるが、その腕は震えていて、右目から涙が溢れていた。そして俺は………。
『………ここは……』
『希望兄っ!一緒に遊ぼ!』
『希望兄ー!あっちに行こ?』
『…………龍…翼……?』
『………っ!』
骨髄血の採取が終わり、俺は全身麻酔による深い眠りについていた。次に目を覚ますと夢の世界にいて、そこで幼くなった希望さんと……俺の弟二人がいた。どうやら彼らは……両親の拷問に近い教育により、死んでしまったらしい。虐待死か自殺のどちらかだろう。弟二人はある扉の方へ希望さんを連れようとするが、恐らくそれは天国への扉だろう。だが希望さんはそっちに行くことを拒み、例の姿と変貌を遂げた。鋭い爪に全身にある目、長い尾。犬と猫のハーフのような化け物で、図鑑では「狆」という分類だった。それは街を飲むほど大きく、腕を一振りするだけで一部の街は滅んだ。建物の破片に人間らしき肉片や体の一部。一瞬で沢山の遺体になり、あまりのグロテスクさに吐いてしまった。
『廉命さんっ!生野さん……もうやめてっ!』
『オマエラニナニガワカル…?』
『………こうなったら、無理やりにでも止めてやるっ!』
彼の腕一振りで、建物は崩れ、人間は死んでしまった。俺達は何とか高いところに登り、彼の元へ飛び込んだ。その獣の中心にいた希望さんは右目から涙を流していた。本当は俺達を殺すつもりはないらしい。俺達を殺そうとする腕が震えていて、その獣の右目からも涙が溢れていた。その腕に着地し、二人で希望さんのところへ駆ける。だがしかし、そんな俺達の前に……天敵が現れた。
『グルルルルル……』
『ふしゃーっ!』
『……何だよ……犬…?猫…?』
『なんで私達の目の前に……?』
犬と猫だった。俺達を警戒しているが、心当たりはあった。確か、希望さんが三歳の頃、犬と猫を飼っていたっけ…。その犬と猫は、人間に捨てられて、希望さんが拾ったことで飼い始めたっけ。それで……希望さんが両親に捨てられて以来……分からないが、この夢の世界にいるということは……そういうことなのだろう。だが次第にその犬と猫は、俺達の背後に回り、前足で俺達の背中を強く押してきた。
『わわっ!』
『あかんっ!……でも……っ!』
『『希望さんっ!』』
その勢いで、また走り出し、俺達は何とか獣の体内に入り込むことが出来た。希望さんのところに飛び込み、彼を抱き締めた。するとその獣は暴れ出し、何とか彼にしがみついた。如月さんは、ひたすら彼の頭を撫で、俺達は彼に囁いた。
『……希望さん……その、ごめんね。あんたは…一人じゃない。俺達がいるから大丈夫だ』
『うんうん。生野さんは一人ちゃうで。廉命さんもうちも、舞姫さんも凪優も仁愛ちゃんも夜海ちゃんも盾澤兄弟も福吉さんも、加堂さんも院長も愛先生も……皆生野さんの味方や。さ、私達と一緒に帰ろ?』
『………………俺、あんたに拾われてから生きる理由…俺の名前の由来が分かった。あんたを生かすためだって…』
『うちも……夢の世界でも私達は出会ってる……それだけ心の繋がりが強いってことやな……これからも…この先も辛いこともあるかもしれん……でも大丈夫や。私達がいる』
すると、獣の気配はみるみる消え、弟二人と天国への扉、グロテスクになった街も消えていき、俺と如月さん、希望さんだけになった。
『………あぁ。帰ろう……そして………』
ありがとう……そう言い、彼は再び目を閉じた。次第に俺達も眠くなり、三人で抱き合った。それはいつも以上に暖かく、希望さんは俺達の腕の中で、眠り、意識がだんだん戻ってきて……二日後の朝、目が覚めた。
「………ん……」
「すう……すう………」
「すやぁ……すう………」
「……如月…?廉、命………?」
ある朝……すっかり眠れた頃に目が覚めると、病院のベッドで寝ていた如月と廉命がいた。二人はまだ夢の中にいるようで、起こそうとはしなかった。「ありがとう」と二人の頭を優しく撫でる。
「………本当に変わったなぁ……お前ら…ふふっ」
「あ……舞姫っ!希望君目を覚ました!」
すると様子を見に病室へ入っていった愛さんが、俺を見て驚き、舞姫を呼んだ。すぐに舞姫は駆け付け、俺を抱き締めた。
「希望君…ごめんなさい……私、謝りたかったの……っ!」
「………舞姫……俺の方こそごめんね……そして、ありがとう」
「……うんっ!」
やっと俺達は和解した。次第に盾澤兄弟、加堂さん、福吉さん、仁愛、夜海、凪優、院長も病室へ入ってきた。
「……お前、二日くらい目覚めなかったんだよ…大丈夫かよ」
「………おかえり。退院出来るのは三ヶ月後くらいだね……あとはリハビリと検診が必要だ」
「目が覚めて良かったよ。この子達も…………よく頑張ってくれた…」
「………希望君、廉命君が繋いだ命…今度は無駄にしないようにね?」
「……うん」
院長と福吉さんが白衣を脱ぎ、如月と廉命の背中に掛けた。しかし二人はまだまだ夢の中にいて、ぐっすり寝ている。特に如月は、悪い夢を見ることが多く、まともに睡眠が取れないことが多いのか、今はぐっすり眠っている。それに…………
「廉命の弟………夢の中で会ったんだよ…」
「夢の中ねぇ………如月さんのお陰じゃない?」
「夢玖も………夢の世界で廉命さんの弟や夜海ちゃんのお父さんにも会ってたみたいだし」
「…………二人とも、名前の由来がちゃんとあるのね…」
「…廉命君は命を…如月さんは夢を与えてくれた………」
「…二人の目が覚めて、廉命が退院したら、なんか飯奢ってやりなよ…もちろん如月ちゃんにもね」
なんと、俺が夢の世界に入れたのはこの如月夢玖のお陰だった。彼女は寝る度に悪い夢を見るため、寝付きが悪く、常に寝不足であったものの、過去には夢の中で廉命の弟や夜海の父親と会っていたらしい。それに予知夢も見れる彼女は………恐らく、俺が死ぬ予知夢や小さい頃の俺の記憶も見ていたのだろう。再び如月の頭を撫でることで彼女は目を覚ました。
「…………ふわぁ………あ、生野さん……」
「如月………ありがとうな」
「生野さん……廉命さん!起きて!」
「ダメだ。彼は大量の骨髄血を分けたんだ。暫く寝かせてあげて」
「はい………廉命さんも生野さんも…生きてて良かった」
「そうだな………本当に、色々ありがとう」
……To be continued
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