〔下編〕❶”友達”とは、”永遠”とは
「ぐすっ……ヒック……」
「ほら夢玖…泣かないの」
「泣いて……へん」
病室のドアから、凄く知ってる女子高生二人の声が聞こえる。俺の余命はあと四ヶ月。相変わらず酷い倦怠感と異常な熱を持った体。入院するようになってから、体重は六キロほど減ってしまった。果たして俺は……あの娘が高校卒業するまで生きられるのだろうか…。そんなことを考えてると、その女子高生二人が病室に入ってきた。
「……生野…さん……ぐすっ」
「如月……凪優ちゃん…来てくれてありがとう」
「……っヒック……その、林檎持ってきました」
「ありがとう……悪いな」
「……あの、丸かじりします?」
「お前な…病室で林檎を丸かじりする患者がいるかよ…」
さすが大阪人と褒めた方がいいのだろうか。林檎まるまる一個を野球ボールのように握り、俺の前に差し出す如月の瞳は、出会った当初に比べて明らかに変わっていた。出会った当初は希望も瞳の輝きも無かったものの、今ではオッドアイが輝いて、表情も声も性格も、何もかもが眩しく見える。持っていた果物ナイフで林檎の皮を剥きながら如月は続けた。
「今思うと……生野さんのお陰で毎日楽しいです」
「急にどした?」
「………あの時、生野さんが拾ってくれなかったら…私は今も独りやった…でも、生野さんに出会ってから沢山の出会いがあって……あはは、なんか涙が……」
「夢玖……生野さん、実は最近大学受験してきたんです」
「まじ?廉命は来月だって…」
「あれは……特待生ので…私達は一般受験なんです」
なんと、最近如月達は大学受験を終えたようだった。凪優曰く、合格発表は来週になるらしい。あの廉命のことだから、俺を心配させないようにわざと違う受験法の日付を教えたのだろう。もちろん如月と廉命は体育学部、夜海と仁愛は社会学部、凪優は福祉学部だ。本当に皆、よく頑張ったと思う。勉強の合間に俺の見舞いに来てくれて、本当に彼らには感謝しかない。もちろん舞姫も同じだ。看護師の国試を控えてるのにも関わらず、実習や国試対策の合間に俺の見舞いに来てくれている。
「生野さん…林檎剥けました」
「食いながら渡すな……てか凪優ちゃんまで」
「あはは……でも、生野さんのお陰で大事な友達が出来たんです。ありがとうございます」
「あはは……凪優助にお礼言われる日が来るとはね…」
相変わらずダルい体を起こし、頭を上げると…二人は顔を真っ青にした。当然だろう。抗がん剤によって毛髪が少し抜けているのだから。
「い…い、生野…さん……それ……」
「………本当に……なんか……ぐすっ」
「大丈夫大丈夫。とっくの昔に慣れてるから」
幼い頃から抗がん剤治療と向き合ってきた俺は、耐性がついてるので慣れてると彼女たちに説明するが、顔色が戻るはずもなく、震えて微かに泣いていた。時刻は十八時半…その頃に夕食が運ばれた。看護師が備え付けのテーブルに食事を置くが、二人は焦っていた。
「…これ、私達帰った方が……」
「せ、せやな!生野さん…その、うちら帰ります」
「待ちなさい。話は聞いてるわ。上の階にコンビニあるから、そこでなんか買って少しでも彼の傍にいてあげて」
「「………ありがとう…ございます」」
「ううん。院長からの頼みだから。では生野さん、なにかあればコールボタンで……おやすみなさい」
「ありがとうございます……二人とも、なんか買ってきなよ」
事前に院長から、少しでも長く俺の傍にいるように指示することを共有されていたらしい。二人は一度顔を合わせ、如月は携帯と財布を持って病室を後にした。
「………変わっちまったなぁ……如月は」
「……」
「凪優ちゃん、俺がいなくなっても如月と仲良くしてくれよ」
「…はい。私も生野さんのお陰で大事な友達が出来ました。ありがとうございます」
「いや………当然のことをしただけさ」
本当に如月は変わってしまった。出会った当初は周りの人間に対する警戒心が強く、捨て猫のように怯えていたのに、今じゃ別人のようだ。当初からは想像出来ないほどうるさくなった。嗚呼、本当に如月は変わっちまった。そりゃあ傷だらけのアイツも見惚れるのも納得出来る…。俺が死ぬ前に如月という一人の人間を救えたことに誇りを持つ。彼女との出会いが、俺の余命を彩ってくれている。彼女には幸せになって欲しいものだ。
「それにしても、何時になればあいつらくっつくんだろうな……」
「さぁ……?」
「如月の結婚式、参加したかったなぁ……あはは」
「生野さん……あ、夢玖そろそろ戻ってくるみたいです。LINE来てました」
凪優のそのセリフと同時に如月がレジ袋を提げながら病室に戻ってきた。飲み物とパン等の軽食を凪優に手渡し、それぞれ開封しては飲食を始める。俺も病院食に手を付けようと箸を持つが、手が震えていた。量は普通ではあるものの、倦怠感のせいで食欲があまりない。そういえばこの前、廉命に痩せすぎと心配されてたっけ…。なかなか手を付けずにいた俺を見て、如月は少し言葉を吐いた。
「……生野さん、全然食べてへん…」
「…持病柄、食べれるものも少なくてね……生クリームや生野菜、発酵食品とかダメでさ…」
「………しかも今は抗がん剤治療中だから余計に……か」
確かに持病柄、生肉や生魚や生卵はもちろん、貝類や乾燥芋、漬け物は食べられない。それに今は抗がん剤治療中なので、脂質や食物繊維が多いものや香辛料、ガスの発生しやすい豆類や芋類、きのこ類も控えるべきなのである。あまりにも食欲がなく、身体の何処かで何かが込み上げてくるが……
「……食欲なくても、食べなあかんですよ」
「分かってるよ。でも……うっ!」
「血が…!うち拭くもの持ってくる!」
「…………悪いな……」
血だった。倒れる前より吐血することも増え、日に日に髪の毛も抜けて、痩せていく日々。当たり前だが舞姫達の支えがないと歩けない。二人が取ってきた拭き物で、血を拭き取るが、何故か吐血の量も増えた気がするのは気の所為だろうか……。手で口に着いた血を拭うが、神は俺を生かすことを放棄しているらしい。やはり両親の言っていたことは嘘だったようだ。常に神様がついてるとか、可愛い戯言だ。二人の肩を借りて何とか口をゆすぐことは出来た。
「はあ…はぁ……っ………悪いな…二人とも」
「…………いえ……」
「じゃあ生野さんが寝るまで一緒にいます」
「お前ら明日バイトだろうが………」
「……確かに明日バイトです…でも、少しでも長くいたいんです」
「………そっか……」
流石にこんなことを言われたら、帰れなんて言えない。すると如月の携帯にLINEの通知音が鳴り、それは舞姫からだった。今から迎えに来るとのことで、それまで俺達は談笑して待つことにした。
「それでさ、受験は大丈夫なの?」
「あはは………死ぬ気で勉強したから、結構解けました」
「それはいいじゃん」
「夜海ちゃんも仁愛ちゃんも出来たって言ってました。もちろん私も」
「あー、廉命も完璧だろ……」
「……とりあえず、生野さんが生きてて良かったです」
「おう。俺はまだまだ死んぢゃいねぇよ」
「あ、舞姫さんからLINE……凪優も送ってくれるみたい」
「そっか………それじゃ二人とも…来てくれてありがとう。気を付けて帰りな」
その言葉に返事をし、二人は病室を後にした。窓越しに舞姫の車が見えなくなってから、俺は枕の下に隠してた、大学ノートを取り出して、開いた。
「〇月〇日…〇曜日………今日は凪優と如月が見舞に来てくれた。皆受験は完璧だったらしく、なんか嬉しかった。また明日も生きれますように……っと……はぁ…」
「おいそこの若いの…アンタ幾つ?」
「…ええと……俺、今二十一ですけど…」
「若いね。アンタも大変だねぇ……気の毒だが、余命宣告されてるらしいな」
「ぇぇ……まぁ……」
余命宣告されてからは消灯前に、日記を書くことが日課になっていた。少なくとも、俺がこの世を去って何も残らないよりはマシだと思ったからなのだろう。そして今、隣のベッドで寝ていた老人が話し掛けてきた。
「それで、今日見舞いに来た女の子は…?」
「あぁ…職場の…アルバイトの子です」
「……いいねぇ……アンタはわしと違って恵まれてる。わしは家族から孤立してもうたから…話し相手が必要なんだ」
「へぇ……」
「君には…未来がある。わしはそう強く思ってるんだ。だがしかし、憎しみを持った獣の影もある……」
「…に、憎しみ…?獣…?」
「…………悪いことは言わん。いきなり話し掛けてしもうてすまない……その、ちゃんと寝なさい」
そう言い、老人はカーテンを閉め、眠りについた。しかし俺は先程の発言が気になり、なかなか眠れずにいた。憎しみといえば、あの日俺を裏切った、両親のこととあの台詞が脳裏に浮かぶ。それに獣というのは……どういうことなのだろう。
「生野さんっ!俺達大学合格しましたっ!」
「話は聞いたよ。おめでとう。頑張ったな…」
「はい……生野さんも……部屋映ったこと知ってびっくりです」
「ちょっと体辛くてな…」
その一週間後、仁愛や夜海、凪優が見舞いに来てくれ、途中で廉命と如月も見舞いに来てくれた。なんと全員が大学合格したのだという。もちろんそれぞれが希望していた学部にも…。今の体調や余命を計算すると言葉でしか祝福出来ないが、皆本当に頑張ったと思う。特に如月や廉命に関しては、俺という部門主任がいなくアルバイトとしての負担が大きいのにも関わらず、必死に勉強にもアルバイトにも精を出し、この結果になった。この二人には感謝しかない。
「ほんっとに……お前らよく頑張ったよ…お疲れ様」
「……生野さんも元気そうですね」
「あぁ。そりゃ嬉しいこと聞いたからなー……」
「走ったから喉乾いた……はぁ…」
丁度手に持ってたペットボトルの飲み物を、廉命が飲む。それはいつも彼が飲んでるコーラとは異なり、カフェオレだった…。成人済みなのも合わせて酒に強い廉命だが、図体の割にはコーヒーにはどうしても砂糖とミルクを入れないと飲めないようだ…。俺も去年知ったことだが、初めて知った時は驚いた。
「廉命君、まだコーヒー飲めないんだ……」
「そっちの方が美味いだろ。コーヒーは」
「だってさ……夢玖ちゃんどう思う………?」
「てか夢玖ちゃんコーヒー、ブラックだけど苦くないの?」
「相変わらず廉命さんは食わず嫌いやなぁって思う。むしろこの苦さとカフェインが丁度ええんや」
この夜海も一応成人済みで、廉命と同じ酒豪で酒は強い方である。その清楚な容姿からは全く想像がつかない。これが”人は見掛けによらない”か。それに廉命の紅い瞳は時々如月に向けられている……。事情は分かるが、彼女の察しが悪いのだろう。
「おい廉命さ……いちいち如月見るのやめないー?」
「いやっ!違うんすよ生野さんっ!」
「また見たっ!もう素直になりましょー?」
「てか夢玖ちゃんも鈍いよねぇ……」
「はぁ…いいか如月……廉命は「ゆめさんっ!」
突然廉命が大声を上げた。幾ら個室の病室とはいえ、声のボリュームの限度を越えている。彼の一声で皆唖然とした。相変わらず廉命の顔は瞳同様に紅く染まっていて、如月も驚いていた。
「大声出すな……てかもう、下の名前でいいのに」
「希望さん………そうですね……ごめんなさい」
「……らしくないね………とりあえず、コーヒーくらいは飲めるようになりなよ……どんどん成長してるんだから」
「は、ぇぇ……どういう意味だよっ!」
凪優はひたすら黙ってるが、如月以外この話は通じてるはずだ。特にその話に食い付いてるのは、廉命で、実は如月と廉命が来る前、夜海達とこんな話をしていた。
『生野さん、お久しぶりです』
『夜海ちゃん、仁愛ちゃんも久しぶり。凪優助も来てくれてありがとう』
『ちょっーっと恋のお話しを…と思いまして』
『ああ。正直二人には感謝しかない。その…ありがとう。皆のお陰で如月は凄く明るくなったよ』
『分かります!夢玖ちゃん雰囲気だいぶ変わりましたよねぇ!』
『そうそうっ!なんというか……成長期というか!』
『そりゃなぁ……廉命のやつ、時々如月の身体も見ててさ…あんなにむっつりスケベとはな』
午前中、廉命と如月は本来休みだが、客数の多さで急遽手伝いに行ってて、午後から見舞いに来ると連絡があり、夜海と仁愛、凪優が見舞いに来た。それに、如月の成長期と廉命のそういう趣味に関しては察していたようだ。如月と出会って半年以上が経過したが、彼女は身体的にも精神的にも…とにかく成長したところが沢山あった。だが廉命の好意に気付くのはまだまだ先になるだろう。あと廉命のそういう趣味は、如月限定だ。
『出会った当初はまな板みたいに真っ平らだったのに…今じゃたわわだもん……』
『この前少し触ってみたんだけど、凄い柔らかかった……』
『……おいそれ廉命の前で話すなよ…?あいつ、如月のことになると変態化するから』
『すっごい想像出来る……』
正直廉命とは結ばれて欲しいと思うが、如月は彼の好意に気付くのかによる。色々なシチュエーションがあったのにも関わらず、あまりにも鈍感でまだまだ気付かない。ほぼ確定だが、二人が結ばれる頃には俺はもう………。
「希望さん…?希望さん?」
「……悪い。ちょっと考え事してた」
「とにかく廉命君さ、早く告りなよ〜?」
「いつ告るんですか〜?廉命さん」
「わわ、黙れ……もう……」
「ははっ……久しぶりに笑ったな……」
久しぶりに見た光景を思い出し、笑った。そういえば笑ったのはいつ以来だろうか。分からない。相変わらずダルくて熱っぽい体を起こすと、皆は顔を真っ青にした。もちろん凪優と如月が泣き出してしまったあの表情を……皆はした。抗がん剤に対する耐性もついてた俺は、吐血したり髪が少し抜けるだけで、円形ハゲが目立つ程度になった。日に日に弱り、みるみる痩せ細っていく体。枕に着いた抜けた髪の毛が、手ぐしを通せばまた抜けた髪の毛があった。
「……生野さん……それ……」
「……大丈夫だから。大丈夫さ」
「…………………いや……」
この時、廉命は俺に何を言おうとしているのかはまだ知らなかった。廉命は高校の後輩で、舞姫とは違う、俺の大事な友達でもある。似た境遇があり、俺たちは同じ場所で仕事をしてきた。沢山彼と馬鹿もした。でも病を思い、何度彼を傷付けたか…。友達を傷付けてしまったのか…。病気や歳関係なく、永遠に彼と馬鹿していたい。しかし、俺の余命はあと四ヶ月弱…。また体重が二キロも減ってしまった。命も夢も、家族も……この病に寄って奪われた…。果たして俺に残るものは……何か。
……To be continued
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