〔上編〕❷幼き夢と命。

「ただいま」

「「お邪魔しまーす!」」

「希望君、夢玖ちゃんおかえり!お友達もいらっしゃい!」

「彼女さん綺麗〜!生野さん羨ましいなぁ…」

「ありがとう。今日はご馳走だ。遠慮なく食え」

「「ありがとうございますっ!」」

高校と職場を見に行って、十九時前に帰ってきた。昨晩は夜遅かったので、舞姫とは事前に話し合い、彼女が精一杯準備してくれた。初めて見る食卓なのか、彼女は澄んだオッドアイをより見開いていた。仁愛や夜海はそれに対し素直に感動しているが、如月はそうじゃないらしい。

「さ、食べようぜ…冷めちまうぞ」

「……はい」

「「いただきまーす!」」

「夢玖ちゃんが好きそうなの沢山作ってみたから、食べてみて?ね?」

「……はい。いただきます」

ようやく椅子に座り、カトラリーを手に取り、目の前にある料理に口つけてみる。すると、あまりにも美味しかったのか、我を忘れて他の料理も口にした。次第に我に返ると、こちらと視線を合わせてきた。

「……もぐんぐ……はっ!」

「…………気に入ってくれて良かったー!」

「…すげぇ…皆大皿の半分くらいなくなってる…」

舞姫は自身の作った料理を気に入ってくれたことが嬉しかったようだが、仁愛や夜海は驚いていた。きっと、如月が小柄な割にはものすごく食べるからだろうが、昨晩はほぼ何も食べていなかったのが大きいと思う。如月は周りからの反応に対し挙動不審になってたが、次第に笑顔になった。

「夢玖ちゃん、食べてる姿可愛い!はい、あーん」

「あー……んっ!」

「そのお肉うちも好きなやつじゃん」

「美味しい?」

「如月っちはもっと食べないと、背伸びねぇぞ」

「……生野さんに言われたくない言葉ランキング一位…」

「…お前な…」

部屋中に明るい笑い声が響き渡り、如月はその雰囲気に目を丸くした。そして、右目から一筋の涙が零れた。舞姫が彼女の涙をティッシュで拭おうとした瞬間、インターホンの音が鳴った。俺が出てみると、よく知ってる男が玄関前に立っていた。

「お疲れー廉命」

「いえ…とりあえず色々買ってきました」

「お、ありがと」

廉命だった。もちろん彼を呼んだのは俺で、彼なら如月の気持ちを理解してくれるだろうと思い、事前にバイト終わりに来るよう伝えておいた。彼からレジ袋を受け取り、早速廉命を中に入れた。すると彼は、現時点の如月を見て驚いた。

「…や、夜海……お前…まさか」

「違うよ。廉命君……色々びっくりしてるんだと思う」

「なら良かった………如月さん、ちょっと散歩しようか」

「………え?」

すると廉命は泣いている如月の手を引いて、彼女と共に外へ出た。俺は玄関で靴を履いている彼らに「あまり遠くまで行くなよ」と言葉を投げ、如月を廉命の元に預けた。


「…ぐすっ………ヒックッ!」

「……少しは落ち着いた?」

「………はい」

「…そっか。なんか俺、如月さんの今の気持ち分かるなぁ…俺も二年前はそうだった」

「………え?」

バイト終わりに生野さんの家に寄り、中に入ると如月さんが泣いていた。舞姫さんの美味しい手料理が並んでいて、夜海や仁愛という友達が傍にいるにも関わらず、彼女は声を殺して泣いていた。それを見て、思わず俺は彼女の小さい手を引いて外へ連れ出した。近くの公園に設置してある自動販売機で二人分の飲み物を買い、ベンチに座りながら飲み物を片手に話した。

「……生野さんから俺のこと聞いてるかは分からないんだけど……」

それから俺は、如月さんに自身の辛い過去について語り始めた。

『父さん見て!この前のテストでクラス一位だったの!』

『………九十点、お前はそんなので嬉しいのか』

『いや、だって学年一位だよ?』

『だから何だ!百点満点じゃないと意味がないんだっ!部屋で反省文書いてろっ!』

それは遠い遠い、過去の話。俺の両親は一流大学卒業で、特に父は一流企業に勤めていた。日出家の長男かつ跡継ぎの子として、物心ついた時から休みなしで毎日長時間の勉強をさせられていた。もちろん下の弟二人も同様に。全ては……両親の望む東大に入る為に。過去に両親にやりたいことがあると話したことがあったが、俺だけの人生を強制的に壊されていく一方だった。

『なんで部活辞めなきゃならねぇんだっ!』

『いい?あなたは日出家の長男で跡継ぎの子でもあるの。あなたは東大に入って医者になるの』

『何だそれ……医学より、サッカーやりたいんだけど』

『あら……百点も採れなくてお母さん恥ずかしいわ……でも感謝しなさい?』

お陰で勉強出来る時間が増えたんだから。何度もその言葉を言われ、両親は俺達の夢よりも勉強を最優先してきた。家中には隠しカメラや盗聴器、携帯にはGPSが仕込まれていて、当然自由は無かった。

『また模試の成績落ちてる……なんでっ!なんでなのよっ!』

『ごめんなさいっ……』

『この……出来損ないがっ!』

『っ!危ないっ!』

ある日、弟が模試の成績で母に激怒されていた。母はヒステリックになりつつ弟に暴言を吐き、台所から包丁を取り出し、弟に切り掛かろうとした。その瞬間、俺は弟を庇い、二度と消えない傷が出来てしまった。きっとこの人達は、自分の子がどうなろうが、東大に行けりゃなんでもいいと思ってるのだろう。自分の子に痛みで分からせようとするのは、当然親のすることではない。

『……兄ちゃん、ごめんね…?』

『兄貴ぃ……』

『でもまた痛いでしょ?』

『大丈夫。俺が高校卒業したら、皆でこの家を出よう。絶対に』

『『うん!』』

少なくとも弟達が寄り添ってくれたから、俺はなんとか耐えられた。高校卒業したら、絶対に家を出ると決意した。でも……俺が高校三年の時、状況は更に一変した。

『ただいま……はぁ』

『……あら。出来損ないがため息ついて…それでどうだったの…?』

『ええと…その……』

『はぁ……その反応が来ると思って、調べた…』

『不合格なんて……日出家の恥だわ。死ねっ!』

『……俺が今まで、どう思ってアンタらの暴言暴力を受けたか考えたことがあるかっ!顔の傷も、体の傷も、心の傷も二度と消えやしねぇ…』

『はぁ…?あなた、何言って…』

ある日、俺が学校から帰ると両親が玄関で仁王立ちしていた。その理由はすぐに分かった。その日は東大入試の合格発表だったからだ。この時の俺は自我というものがなくなっていて、全てにおいて無気力になっていた。あえて結果を知らない振りをしていたが、両親はそれを見破ってパソコンで調べていた。もちろんその結果に俺の受験番号は載っていなかった。多分、ほぼ顔全体に包帯を巻いた状態で面接を受けたのがいけなかったのだろう。すると両親は……こんなことを言ってきた。

『あんたなんか……産まなきゃ良かった……親戚にはなんと言えばいいか……』

『出来損ないのお前を産んだのが私達の恥だ。勘当だ……』

『………』

もう何も言えなかった。望んでもない東大受験の願書を勝手に提出されたり、弟達を庇い続けて全身には二度と消えない傷が腐るほど出来て、希望を何度もぶち壊されたというのに…。まさか両親から『産まなきゃ良かった』と言われる日が来るとは思いもしなかった。俺は弟達を置いて、自宅から出ていった。この時は冬で、俺の心同様に寒かった。

『俺……生きてる意味あるのかな……あはは』

『………廉命、君…?どこ行くの?』

『………バイバイ、夜海……』

そしてある日、俺は死のうと思った。最期は自分の力で楽になろうと思った。生徒が多く歩く廊下を渡り、階段を登る。四階に上がろうとしている時に同級生である、影食夜海とすれ違い、彼女が声を掛けてきたが、俺はそれを無視し、ひたすら目指してるところに足を運ぶ。

『……あはは……ふはははっ!』

『………』

今まで受けた両親からの過酷な教育から解放され、俺は屋上の扉を開き外に出るなり、一度狂い笑った。脳裏に両親からのある一言がよぎり、大粒の涙が零れた。でも、これで俺は…解放される。そのまま屋上の柵に足を掛けようとした時、弟達が今どうしてるかが気になり、足を掛けるのをやめた。

『……今すぐ逃げろ……翼…龍…ぐすっ』

『……ごめん』

目を強く閉じ、片足を柵に掛けた瞬間、何者かにより背中が引っ張られ、尻もちをついた。やっと死ねたと思ったが、俺は死んでいなかった。どうやら誰かが俺の自殺を止めたらしい。背後からゼェゼェと荒い呼吸が鳴っていて、俺は後ろを振り返った。すると、ある男性が俺の服を掴んでいた。

『……お前、馬鹿か?何飛び降りようとしてんだ馬鹿!』

『……え?』

『あ!お前、廉命?お前のこと学校で噂になっててさ…………無理にとは言わない。その……』

俺で良ければ聞く。その言葉により、俺は今まで我慢してきたものが俺の中で込み上げられ、彼に話した。家庭環境のこと、両親の望む東大に落ちたこと。顔と声が涙でぐしゃぐしゃになってるにも関わらず、とにかく沢山話した。それでも彼は否定せず、相槌を打ちつつも話を聞いていた。そして一通り話を終えると、彼は俺を力強く抱き締めた。

『………よく頑張ったな…一人でよく耐えたな…苦しかったよな?辛かったよな?廉太』

『……廉、命です……ぐすっ!』

『お前は強いよ。ずっと誰かに助けをもとめてたんだもんな……』

そう言い、彼は俺の頭を撫でてくれた。そして彼は…生野希望といった。歳は俺の一つ上で、ここの卒業生かつ重い持病を抱えているとのことだった。それで今日は母校に遊びに来ていた時に、たまたま俺が死のうとしているのをここで見た経緯に至る。そして生野さんは立ち上がり、こう話した。

『……そういえば明日俺仕事だわ……廉五郎もついてこい』

『あの……廉命です』

『あはは………とりあえず明日待ってるから』

そう言われ、午後の授業は普通に受けて放課後になり、帰宅した。そして翌日の帰りのHRが終わると、俺の教室の前には生野さんが立っていた。彼は俺と目が合うと、教室に入ってきた。

『ほら廉命、行くぞ』

『えぇ……はい』

『廉命君、その人…誰?』

『俺のクラスメイトです………夜海っていうんです』

『へぇ…俺は生野。よろしく。じゃ!』

生野さんは俺の腕を掴み、職場を案内してくれた。車を走らせて三十分ほどすると、スポーツ用具店に着いた。どうやらそこが彼の職場らしい。店に入り、生野さんが着替えから戻ってきた。

『どう?似合ってる…?なんてな』

『……なんか、ダボダボ…じゃないすか?』

『お前がデカいんだよ………ほら、行くぞ』

『え……?』

生野さんについていくと、ある人が立っていた。生野さんは彼のところに行き、少し話をすると離れたところから手招きされたので、近付いた。するとその彼が話し始めた。

『君が廉命って人?生野さんからよく聞いてるんだ』

『………は、はぁ…』

『自己紹介遅れたね。俺は店長の盾澤鳳斗。こっちが弟の雷磨』

『よろしくお願いします…』

店長の盾澤鳳斗だった。彼は俺の傷跡を見るなり、顔を真っ青にした。生野さんから聞いてた話よりも残虐な見た目をしていたからであろう。店が閉まるまで会話をし、閉店後に近くのファミレスで彼らは俺の話を聞いてくれた。

『実は……ってことだったんです…』

『………そっか。一人でよく頑張ったね…』

『……ぐすっ!』

『まだ顔の傷痛む…?明日病院に行こう。俺も検診だし』

『……傷跡が綺麗でないから…その……完全に消えるのには難しいですかね…』

『…毎日ネカフェはキツいだろ?暫く俺のとこに置いてやるから、少しづつこれからのことを考えていこう。ね?』

『………はい。よろしく、お願いします』

その日から俺は、盾澤兄弟の部屋でお世話になることになった。それと同時にスポーツ用具店でアルバイトするとこも決まり、高校卒業後に彼らの部屋から新しい場所に引っ越した。そして今に至るという…。


「…ってことがあって、今に至るんだ」

「………廉命さん…」

「それに、俺達は同じ人間に捨てられて、最終的には生野さんに拾われた。なんか、周りには見えないものが、俺と如月さんには見える気がする」

「……え?」

「まあまあ。そろそろ落ち着いてきたことだし、戻るか」

「はい」

予想以上に過酷で残虐な過去があったとは思いもしなかった。それにより彼の顔や身体に出来た派手な傷が無数にあるのも当然納得する。私達はベンチから立ち上がり、話しながら生野さんの元へ戻った。

「生野さん、ただいま」

「お、お帰り。夜海ちゃんと仁愛ちゃんは駅まで送ったよ」

「まぁ確かにもう九時過ぎですもんね……」

「いやぁ、これから二人がどうなるのか楽しみって皆で話してたの」

「へぇ…え?」

「まあまあ。廉命君は何となく分かるでしょ?」

その時の時刻は夜の二十一時を過ぎていて、夜海と仁愛は生野さんと舞姫さんが駅まで送っていったらしい。気付けば気持ちはとっくに落ち着いていて、廉命さんと一度目が合ったが、逸らされた。それを見て生野さんが弄っていた。次第に日付変わる前に彼も帰っていき、夜は明けたものの、私はまた違う夢を見た。それはそれは………生野さんの過去の夢であった…。






……To be continued


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