カニ抗戦

「蟹食べたいわね」

 義母ママンの一言は私を蟹地獄へといざなった。スロットで儲けたらしい夫が気前よく大量の蟹を購入したのはいいが、誰も調理したがらない為、私にお鉢が回って来たのだ。

「チンピラちゃんのお料理とっても美味しいのよね」などとおだてられ、その気になったのは否めない。義母は人を乗せるのが本当に上手い。

 まず茹でる。脚を縛られた哀れな蟹達は次々と美味しそうな赤色になっていく。ちょうど同じ髪色だった私は切ないシンパシーを感じながらグラグラと煮立つ大鍋の中を見つめていた。

「そうだわ。たくさんあるからご近所さんも呼びましょう。蟹鍋パーティーよ!」

 大量の蟹を前に、嬉しそうに両手を打ち合わせた義母が、可愛らしく首を傾げて私と夫を見る。

「いんじゃね?」

「そっすね」

 義母がご近所で人を集めている間に、私は軍手をはめ、キッチンバサミと包丁で蟹の解体に取り掛かった。夫は暇そうにソファに横たわり、携帯でソシャゲをしながらテレビを見ている。

「夫、手伝え」

「俺、金稼いで蟹買ってきたも~ん。お仕事しゅうりょぉ~」

「ちっ」

 こいつはこういう奴だった。僅かな殺意を舌打ちで弾き飛ばし、私は黙々と作業を続ける。タラバや毛蟹、種類豊富な蟹をそれぞれ捌いていく。新鮮な蟹のいくつかは生で残し、刺身用に湯通しして古伊万里の大皿に並べる。茹で蟹は鍋用に切り分け野菜と一緒に置いておく。


 隣人が集まって酒も入り始めたらしく、居間には談笑の声が響いていた。いつの間にか夫は鍋や皿を運んで、姿を見せている。いつもながら調子のいい奴だ。

「俺、蟹あんかけ炒飯食いたい」

「それ一番面倒なやつじゃね?」

「ママンも蟹炒飯好きだってよ」

「あ、そ」

 私はそっけなく答え、また蟹の殻を剥き始めた。身を掻き出して解し、炒飯用にボウルに溜めていく。いい加減手が痛い。蟹の棘が軍手を突き通し、指の腹がボロボロになっていく。しかも自分は一口も食べていない。なんて日だ。

 内心不貞腐れていると、台所に義母が現れた。

「ごめんねぇ、チンピラちゃん。大変でしょう」

「いいっすよ」

「お手手塞がってるから食べさせてあげる。はい、あーん」

 私が剥いた蟹を口元に持って来て、開けろと催促する。抵抗虚しく、私は蟹の殻を剝きながら半ば強制的に蟹を食べさせられる。

 ママン、蟹、アーン、蟹、ママン、蟹、私は口も手も忙しくしながら、再び思った。なんて日だ。


 ようやく全ての蟹を剝き終わり、ねぎを刻み、卵を溶き、先にあんかけを作る。炊いておいたご飯を、溶き卵と共に中華鍋に投入する。目指せパラパラ黄金蟹炒飯だ。

 一心不乱に鍋を振っていると、後ろから来た夫が、私の手から鍋を取り上げた。

「俺も振る!鍋振り大好き!」

 夫は仕事で料理をしていたこともあるので、かなり腕はいいのだ。しかし家で作っているのはほぼ見たことがない。仕方がないので、鍋振りの蘊蓄うんちくを傾ける夫のそばで調味料を投入してやる。

 そして最後の仕上げをした蟹炒飯を持った夫は、居間に集まった隣人達の前で高らかに叫んだ。

「皆さん!蟹炒飯ですよ~!」

 その瞬間、私の脳裏に小林多喜二の蟹工船の冒頭が過るのであった。


 おい地獄さぐんだで!

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