第39話
もう何度目かも分からない風が、屋上の上を過ぎ去っていく。空に蔓延る雲が太陽を隠していて、あたりは夜のような暗さがあった。勤は手が凍るように冷えているのも忘れて、呆然と宙を見つめる。裕介の言っていることが理解できなかった。
「意味が分からない。俺は確かに遥香と話していた。あの遥香が偽物だと?」
眼鏡を通してみる裕介が、興奮して頬を赤らめている。
「そうだ。あれは遥香ちゃんじゃない」
「でも、あれは確かに遥香の声だった。喋り方も、口調も全て遥香だった。俺がそれを間違えるはずがないだろう」
勤は半ば自分に言い聞かせるように言った。
すると裕介が、恍惚的に天を仰ぐ。まるで、長年の夢を叶えて金メダルを取ったオリンピックの選手みたいだった。
裕介は自身に酔いしれた空気を隠そうともしていない。
「お前の言う通り、さっきの遥香ちゃんは、声も喋り方も全て遥香ちゃんだよ。でも本物じゃない」
「何を言ってるんだ?」
「答え合わせをしよう。馬鹿なおまえにも分かりやすく教えてやる。さっきの遥香ちゃんは………」
裕介がもったいぶるようにして間を作る。
「AIだ」
そう言われた瞬間、勤は全身の筋肉が強張ったのを感じた。瞬時には裕介の言葉の意味が理解できなかった。
しかし内容が頭に入った途端、裕介から距離を取るように勤は一歩後退する。肩が震えてきてなぜか自然と笑みが浮かんでくる。
裕介は続けた。
「本当に最高だな勤。お前が、距離が縮まったと喜んだり、恋人が出来て悲しんだり一喜一憂していたのは全てAIに対してだ。お前はずっと俺が作ったAI遥香ちゃんと話していたんだ。本物の遥香ちゃんはとっくにお前の事なんか忘れている。彼女が引っ越してから一度もお前に連絡が無かったのがその証拠だ」
勤の頭をAI遥香という言葉だけが駆け巡り、他の事を一切考えられなくなる。
「ちなみに、お前とAI遥香ちゃんとの会話は全て録音されていた。つまりお前が愛の写真に関して罪を自白した音声がバッチリ録れたって訳だ。それを警察に持っていけば、めでたくお前は犯罪者だろうな」
そんな言葉は勤の耳に入ってこなかった。ただ遥香とAIという単語が頭の中を駆け巡り、全身がスッと凍ったような気がする。
「まだ信じられないっていう顔をしてるな。だったら教えてあげるけど、お前が遥香ちゃんにLINEを送った時すぐに既読が付くなと思わなかったか?あれが何より、遥香ちゃんがAIだった証拠だよ」
確かに勤が遥香にメッセージを送るといつも間髪入れずに既読が付き、数秒後には返信が来ていた。
今思えば、人が文字を打つにはあまりにも短い時間だったかもしれない。
「しかし」
勤は震える喉に力を込めた。
「そんなことが出来るはずがない。俺は電話もした。あの声は確かに遥香だった。喋り方だけじゃない、笑い方も息遣いも全てが俺の知っている遥香だった」
そう言った瞬間、裕介が再び声を上げて笑う。
「そんなに褒めてくれると、俺も長い年月をかけてAI遥香ちゃんを作った甲斐があるぜ」
そう言うと、裕介がひとりでに語り始める。
「俺がこのAI遥香ちゃんを作るのにどれだけかかったか知っているか?五年だ、五年だぜ」
裕介が丸い指を五つとも立てて、勤の眼前に誇示する。
「確かにAI遥香ちゃんを作るうえで一番苦労したのは、喋り方の再現だ。AIに喋り方を教えるにはまず膨大なデータがいる。そこで俺はまず遥香ちゃんのスマホをハッキングした。それから、LINEのやり取りや通話履歴などの情報を全て記録しAIに学習させた。それを始めたのは中学二年生の時だ。でもそれだけじゃ、全然足りない。そこで俺は、学校にもボイスレコーダーを持ち込み、遥香ちゃんの喋り声を取った。時には休日にも後を付けて少しでも多くのデータを集めた。さすがに遥香ちゃんも俺につき纏われている事には気づいたみたいだが、ただのストーカーと勘違いしてくれたようだ」
裕介が嬉々とした表情で続ける。
「他にもあらゆる手段を使って、データを集め、AIにディープラーニングを使って何度も遥香ちゃんの話し方を練習させた。全く苦労したよ。遥香ちゃんの話し声を録音したは良いものの、その多くには雑音や他の人の話し声が混じっていた。そのせいで最初は、およそ人間の声とは思えない奇声をAIが発することもあった。そこから純粋な遥香ちゃんの声を取り出す作業だけでも、一年かかったんだぜ?」
裕介はいつになく早口で捲し立てる。
勤はただ息を飲むしかなかった。
「そして高二になる頃には、遥香ちゃんっぽい声を出せるようにはなった。でも、まだまだ現実の遥香ちゃんには程遠かった。なぜなら、その声には感情が無かった。悲しい言葉も楽しい言葉も似たようなトーンで話していた。そこで俺は再び遥香ちゃんをつけ、感情に伴ってどのように言葉が変化するのか情報を集めた。怒った時、悲しんだ時、恐怖を覚えた時、驚いた時。声量や言葉数、声の高さやリズムがどのように変わるか記録し、これもAIに学ばせた。そうやって地道に学習を重ねさせ、高校最後の夏休み前、やっとAI遥香ちゃんは完成した」
裕介が自らの成果を称えるように手を叩いた。その表情は、青春の全てをかけて部活動に挑み引退した高校生さながらである。
「なんのために、そんなことをしたんだ?」
勤は口を挟んだ。そうしなければ、頭が破裂してしまいそうだった。お腹のあたりに力が籠って来る。
「どうしてお前は、AI遥香を作るのにそれほどの情熱を費やした。虚しくは思わなかったのか」
「虚しい?そんなこと思うはずがないだろ。お前と一緒だよ、勤。お前だって遥香ちゃんに認めてもらうためだけに、これまで勉強してきたんだろ?笑えるじゃないか。友達も作らず部活にも入らず、青春を捨てて勉強に全てをかけてきた。同じように俺も愛を求めてAI遥香ちゃんを作った」
「お前はAI遥香を作って、何がしたかったんだ」
「もちろん、お前を陥れることだ」
「何だと?」
「昔からずっとそうだった。俺がどれだけ遥香ちゃんを独占したいと思っても、遥香ちゃんの周りにはいつもお前がいた。高校に入ってからは邪魔者が増えて、愛とかいう女も遥香ちゃんの周りをうろつくようになった。そんな奴らを駆除するためなら、俺は何だってやる」
勤は言葉を失った。近くに居た裕介が、そんなことを考えていたなんてまるで知らなかったのである。そのことがショックだった。
「でも最初はAI作りにこんな時間が掛かるとは思ってなかった。そのせいで当初予定していた使い方は出来なくなった。そこで他の使い道を探していた時に、タイミングよく遥香ちゃんは引っ越し、さらにこれを手に入れることが出来たから、今回の方法を実行したんだ」
そう言うと、裕介はポケットから一つのスマートフォンを取り出した。
「遥香ちゃんのスマホだ」
それが何よりの証拠だった。
今まで勤が笑ったり、悲しんだりしたのは全てAIが相手で、遥香どころか、人間ですらなかったのである。
全身から力が抜けて、勤はその場で膝から崩れ落ちた。何もかもがどうでもいいようなきがしてくる。
ふと、屋上のフェンスが目に入り、そこから飛び降りれば楽になれるだろうかという感覚が久しぶりに頭に浮かんだ。
「俺をアモーに行かせたのはなんでだ」
勤は力の抜けきった声で言う。
「それはほんの気まぐれだよ。愛を驚かせたかったのと、お前がAI遥香ちゃんに翻弄されるのを楽しみたかった」
「逮捕されれば俺はどうなると思う?前科はつくのか」
「知らねぇよ」
裕介がおかしそうに引き笑いを浮かべる。
灰色の雲の下、裕介は勤の横を通り過ぎていくとグラウンド側のフェンスに前かがみでもたれかかった。そこから、グラウンドと街並みを見下ろすようにして思いっきり空気を吸い込む。
勤は脱力して、屋上の床を眺めていた。
そのとき、たった数時間前、愛が自分に告白してきたことを思い出す。あのとき、愛がなぜ告白したのか勤には分からなかった。
しかし今ならわかる気がする。愛はきっと諦めたかったのだ。誰かを想うということは、とても労力がいる。相手の発言に一喜一憂して、考えて、答えが出たと思ったら、また別の問いが目の前に現れる。そんな息苦しさからきっと、解放されたかったのかも知れなかった。
「なぁ」
勤は声を張り上げて、グラウンドを見下ろしている裕介に聞く。
「このAI遥香は、膨大なデータを取り込んで遥香らしいやり取りをするように学習させたと言ったな」
「あぁ、そうだ。言われた言葉に対して、遥香ちゃんがどのように返すのか分析と実験を重ねている」
裕介が自慢げに言った。
「分かった。ありがとう」
勤はそこでポケットにしまっていた自らのスマホを取り出した。フェイスIDでロックを解除し、LINEのアプリを開く。すると、先ほど電話をかけたばかりの遥香に再び電話をかけた。
裕介が自身の手にある遥香のスマホ画面を確認する。
「何の真似だ?」
勤はそれには答えず、スマホを耳に当てた。自分でも何をしているのか分からない。考えないようにしていた。もう何も考える気は無かった。
「もしもし」
遥香の透き通った声が電話越しに聞こえてくる。と思っていたが、実際はAIが作り出した機械的な声なのだ。今でも信じられない。
「もしもし」
勤が言った。
裕介が不思議そうな目でこちらを眺めている。
「どうしたの?」
AI遥香は言う。
「実はちょっと、話があってな」
「そう。何か様子が変だよ、勤」
勤は笑った。まさかAIに心配されることがあるとは思っていなかった。だがすぐに表情を引き締める。相手がAIだと分かっていても緊張してしまう。
膝立ちの状態で、勤は空いた左手で眼鏡を取った。途端に視界がぼやけたけれど、体がとても軽くなったような気がする。勤は取った眼鏡を畳んで地面に置くと、深く息を吸った。
そしてそれを吐き出すと同時に、喉へ力を籠める。
灰色の雲が頭上に蓋をしていた。
「好きだ、遥香」
俺は人口知能に対して何を言っているのか、ということは考えないようにした。
「だから、俺と付き合って欲しい」
そう言った瞬間、またもや風が吹いた。ビューっと音を立てて通り過ぎていく風が、耳の裏側を冷やす。スマホを持つ右手が震えていた。
AI遥香からの返事はない。
スマホは壊れてしまったのではないかと思う程何の音も発さなかった。
時間だけが過ぎていく。AIも黙り込むことがあるのかと思うと、また面白くなってきた。
やがて裕介が何かの操作でもしているのかと疑い、確認しようとしたところで声が聞こえてくる。
「ごめんなさい」
返って来たのはその一言だった。それがまたリアルに感じられて、勤はふいに胸の中に込み上げてくるものを感じる。
「ありがとう」
AIにお礼を言うのもどうかと思うが、そう言わずにはいられなかった。そこで勤は電話を切ると、目を閉じる。
遠くの方で裕介が大笑いしながら何か言っているけれど、勤の耳には届かない。
やっと終わった。達成感はないけれど、言い表すことの出来ない開放感がある。生まれた頃からずっと抱えてきた肩の荷が降りたような気がした。肩を回してみると、背中に翼が生えたのではないかと錯覚してきて、本当に空を飛べるように思えてくる。
これからどうしようか。
とりあえずは、警察に行き何の罪かも分からない罪を償わなければならない。それが終わったら、何をしようか。ひたすら本を読んでも良い。ゲームを買ってみても良いし、旅行にも行ってみようか。やりたいことはたくさんあったし、勤はそれらを全て果たせるような気がしていた。だってもう自由なのだから。大学だって、行かなくても良いかもしれない。だったら、どこか働き口を探さなければ。いくら犯罪者とはいえ、雇ってくれる会社はあるだろう。勤は漠然と考えた。これからのことを、将来の事を。その先には、とても明るい場所が待っている気がする。そうだ未来は明るいのだ。勤はそう思って、口角を上げた。
勤の目から、一筋の涙が零れ落ちた。
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