第29話

 遥香は放課後、教室で自習をしていた。教室には他にも数人の生徒が残っているけれど、まだみんなしゃべったことのない生徒ばかりだ。おかげで友達と駄弁ってしまう心配もなく勉強に集中できる。

 やがて時計の針が午後二時五十分を指したのを確認して、ペンを止めた。鞄からチョコレートを取り出して齧る。ちょっとした休憩だ。

 新しい学校に入ってからすでに三か月近い月日が経った。席の近いクラスメイトとは友達になったけれど、人見知りのせいもあってその他の人とは全く交流が無い。みんな受験が近くて、こんな時期にやって来た転校生に構っている暇はないようだった。どうせ仲良くなっても数か月で別々になるのだ。当然と言えば当然である。

 遥香としても無理に気を遣わず勉強に集中できるのでありがたかった。

 そんな中での出来事である………。

 遥香はスマホを取り出し、LINEを開いた。まだこのスマホには連絡先が数人しか登録されていない。そんな中、この間新たに追加した友達から早速メッセージが届いている。

「明日の三時くらいに、部室棟の裏に来れる?」

 送って来たのは同じクラスの男子生徒だった。席は窓際の遥香に対して廊下側のちょうど対角にあり、ついこの間まで話したことはなかった。

 しかし一週間ほど前、生物準備室の場所が分からず廊下を右往左往していた所で出くわし案内してもらったことで連絡先を交換したのだ。

 もう引退したが元々はサッカー部で、都大会でも得点王に輝くほどの実力だったようである。大学もスポーツ推薦で入学が決まっており、すでに部活の練習には参加しているといったことも話に聞いた。

 そんな彼からの急な呼び出しである。なんだろうと思いつつ、遥香はチョコレートを包んでいた銀紙を丸めると席を立った。

 相手がどんな人なのかも全く知らない故にちょっとした恐怖心もある。だが返信してしまった手前、今更行かないという選択肢はない。

 まさかいきなり告白なんてされはしないだろうと思いつつ、遥香は昇降口で靴を履き替えると部室棟の裏へと向かう。フェンスと部室棟の壁の間にある砂利道をサクサクと進んでいくと、相手は先に着いていた。

 遥香が姿を見せると少しホッとしたように頬を緩めたが、すぐに爽やかな笑みを作って見せる。

 遥香が呼び出された理由は、そのまさかだった。

 相手は遥香がやって来るとすぐに、転校してきてすぐ一目惚れしたという事を伝えてきて、頭を下げる。

「俺と付き合ってください」

 今時、人気のない所に呼び出して告白なんていう事をされたことにも驚いた。しかしそれ以上に、まだほとんど話したこともないのにどうしてという思いが強かった。

「ごめんなさい。私他に好きな…………」

 遥香がそうやって断ろうとした時、目の前のクラスメイトは勢いよく下げていた頭を戻した。体育会系のピシッとした直立で、真っすぐに遥香の目を見つめてくる。

「めちゃくちゃ、大事にするから」

 その真っすぐな瞳を見ていると、素直な印象を抱いて悪い人ではなさそうだなと思う。

「でも………」

 勤のことが頭に浮かぶ。忘れようとしたはずなのにやっぱり駄目だ………。目の前で自分に告白してきている人が勤だったらどれほど幸せだろうかと考えてしまう。

 遥香は改めて、断りの意を伝えようと口を開いた。

 しかし、先に言葉を発したのは相手の方だった。

「今は俺の事を好きじゃなくて当然だと思うんだ。でもそれでもいいから、俺と付き合ってみて欲しい。絶対好きにさせるから。それくらい、俺は遥香さんのことが好きなんだ」

 目の前のクラスメイトがもう一度頭を下げて、手を差し出してくる。冬の乾いた冷たい風が部室棟の裏を吹き抜けていく。息を吐けば、白い吐息が広がりそうである。フェンスの足元に、紺菊の花が咲いていて淡い紫色がどこかノスタルジックな情緒を醸し出していた。

 そんな中、遥香は目の前の男の子の手に触れる。その手は、筋肉質でとても温かかった。


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