第28話

 勤は試験終了の合図とともに伸びをした。十一月も終盤に差し掛かり、いよいよ受験が近づいている。模擬試験を受けるのも、今日を含めて残り僅かだった。

 遥香と最後に電話してから一か月以上が経った。あれからもLINEのやり取りをしてはいるものの、頻度はかなり減った。どうすればよかったのだろうかと考え始めて、勤は首を横に振る。落ち込んでいる暇は無かった。

「よぉ、勤、出来はどうだった?」

 解答用紙が回収された後、裕介が近づいて来た。

「まぁまぁだ」

「お前のまぁまぁってことは、めちゃくちゃ良かったってことか」

「そんなことはない」

 勤は謙遜しつつも、自分の実力が着実に向上している感覚を掴んでいた。

 あれからは冬美や愛と連絡は取っているもののアモーには足を運んでいない。代わりに学校と塾を往復するような生活を一か月維持していた。そんな中、今日は久しぶりにアモーへと赴くことになっている。用事は特にないが、二人に誘われ、ちょうど模試終わりが空いていたので息抜きをしようと承諾したのだった。

「そっちはどうなんだ?」

 それほど興味はなかったが、一応裕介の出来栄えも尋ねておく。

「俺はさっぱりだ。二学期始まってから右肩下がりだよ」

 裕介は特に落ち込むような気配も見せず、いつもと同じトーンで言ってみせた。

「そんなことで大丈夫なのか?」

「まぁな、俺はどこでも大学に行ければ良いんだ。それよりも今はランク上げの方が大事だぜ」

 ランク上げと言うのは裕介がハマっているシューティングゲームでの位を上げることである。どうやら少し前から参考書をほっぽりだしてゲーム三昧らしく、この間専用のPCを自分で組み立てたという話を聞かされたことを思い出した。

「お前も、日常生活のストレスをゲームで発散しないか?」

 裕介がニヤニヤしながら、手でライフルを構えるジェスチャーをする。

「遠慮しておく」

 勤がきっぱりと断るも、裕介はまったく気にしていないようだった。

「一緒に帰ろうぜ、勤」

 裕介がニヤニヤしながら勤を誘う。

 しかし、勤は言った。

「悪いな、先約がある」

 すると裕介が目を丸める。どうやら驚いたようだ。

「女か?」

 裕介が再び顔を近づけて聞いて来た。

「違う」

 生物学的に言えば女に分類されるのだろうが、裕介の言っている意味には合わないため勤は即座に否定した。

 久しぶりにアモーに行くことになったため、愛が学校の近くまで迎えに来てくれることになっているのだ。とはいえ、学校が見える範囲までは近づくことは出来ないらしく、集合場所は跨線橋の付近だった。

「そう言う訳だ、すまない」

「まぁ、受験生にもデートは大切だよな」

 はっきり否定したつもりだが、裕介は聞き受けなかったらしい。いちいち訂正するのもめんどうなので、勤はさっさと荷物をまとめると教室を後にした。

 学校を出ると、外は完全に暗かった。十二月手前ともなると、六時とはいえかなり冷え込む。勤は制服の上から羽織っているジャンパーのポケットに手を突っ込んだ。

 そのまま歩いていくと、跨線橋へと繋がる線路沿いの細い路地に愛の姿を見つける。フェンスに寄りかかりながら、スマホをいじっているようだった。暗闇の中、画面の明かりに照らされた愛の顔が浮かび上がっている。

 勤が近づくと愛はすぐに気が付いて、顔を上げた。

「お疲れ」

 愛は黒いコートを羽織っているものの、チャックは開いていて下はショートパンツから素足の太ももを晒している。寒くないのだろうか。

 勤の視線に気づくと、愛は言った。

「この、コートお気に入りなの。可愛いでしょ?」

「そうだな」

 勤は人と合うのに手をポケットに入れていては失礼だろうと思い、ジャンパーから両手を抜いた。

「いいのか?こんな時間にわざわざ迎えに来てもらって」

「うん、大丈夫。本当は私、今日シフト入ってないから」

 そう言いつつ、二人は歩き始めた。

「なんか、久しぶりに会うけど久しぶりの感じしないね」

「まぁ、LINEは頻繁にしていたしな」

「邪魔じゃなかった?もし鬱陶しく思ったら、無理に返さなくても良いんだよ」

「特に問題はない。どうせ休憩時間は他にやることもないからな」

 そんなことを話しつつ歩いていると、跨線橋が見えてくる。

 階段を上り、踊り場で回転して、また階段を上った。そうして橋の上まで出ると、愛が歓声を上げる。

「すごーい、ここめちゃくちゃ景色いいね」

 愛が駅の方に伸びる線路を指差して言った。

 線路はビルの間を縫うように真っすぐ伸びている。そこそこに高いビルが並ぶ中、線路の上だけは開けていて開放的な気分が沸き起こって来た。

 勤や遥香にとっては見慣れた景色だったが電車で通学していた愛にとっては珍しい光景のようである。

 愛はしばらく欄干に寄りかかって街を見下ろしていた。勤も横に並んで、ぼんやりと視線を彷徨わせる。

「ねぇ、寒くない?」

「確かに、寒いな」

 やっぱり寒かったようだ。

 跨線橋の上は駆け抜けるような風が吹きつけていて、とても冷たい。特に肌が露出している手は、凍えてしまいそうだった。素足を晒している愛はきっと、この冷たさを体全体で味わっているはずである。

「そろそろ行くか」

 勤は一刻も早くアモーへ向かうべきだと思い、歩き始めた。

 しかし………。

「あっ、待って」

 勤の左手に冷たい何かが当たる。それは愛の手だった。その手は勤の手を包み込むかのように握られる。

「ごめん、なんでもない。行こう」

 愛はそう言うと、勤の横に並んで歩き始めた。しかし、今度は勤の方が立ち止まってしまう。視線を、繋がれた自身と愛の手に向けた。

「寒いから、このままが良い」

 愛が言う。

 勤は言葉を失ったまま、彫刻のように固まっていた。

 次第に冷たかったはずの愛の手が、温もりを生み始める。

 いきなりのことに脳が高速で回転し始めていた。なぜか、体温が上昇し始めて、冬にも関わらず薄っすらと汗をかき始めている。

 そんな勤に愛がぎこちない笑顔で言う。どうやらいつもの満点の笑みを作ることに失敗したようだった。

「だめ?」

 勤が言葉を失い黙り込んでいると、愛は手をつないだまま歩き出す。

 勤も引っ張られるような形で、ようやく足を進めた。しかし、慣れない感覚が胸の中を満たしている。

 この手を繋ぐという行為には、いったいどれほどの意味があるのだろうか。体の中が痙攣したように、ピクピクとしている。それが何に対する反応なのか分からない。

 お互い何かを胸の中に抱えたまま、口を開くことなく跨線橋を降りた。最後の一段を踏むと、コンクリートの感触が靴底から体へと響き渡って来る。

「ねぇ、聞いてる?」

 考え事をしていたせいで、愛の話が入って来ていなかった。

「すまない、なんだ」

「私ちょっとコンビニ寄りたい」

 勤が頷くと、愛が精一杯の笑顔を見せた。早まった足に勤も歩幅を合わせざるを得ない。コンビニに入っても、愛は手を離そうとはしなかった。

 二人が入ったのは跨線橋のすぐ側にあるコンビニだ。七夕の日、遥香と一緒に訪れた場所でもある。

 愛は迷うことなく、雑誌のコーナーに勤を連れて行った。窓ガラスの向こう側で踏切が鳴り始めるのが見えて、そこに車が列を作っている。

「えっとね、タイトル何だったかな」

 愛が何やら小声でつぶやきつつ、雑誌を物色していく。しかし勤にはそれが遠い世界の事のように感じていた。雑誌を取っては、戻す。全体を見ようと一歩後ろに下がる。今度は顔を近づけて一つ一つのタイトルを確認していく。そして繋がれている手。愛の動作の一つ一つがスクリーンに映る映像のようだった。

 胸がざわついていた。でもこれはトキメキではない。嬉しさと罪悪感と未知なるものへの恐怖。そんなものがぐちゃぐちゃに混ざっていた。

 勤はまた愛の手を振り払う勇気も、持ち合わせてはいない。

 愛が一冊の本を手に取った。

「あっなんだ、こんな目立つところに置いてあるじゃん」

 勤はその言葉で意識を現実世界に戻すと、愛が手に取った本に視線を向ける。どうやらそれはアイドルの写真集のようだった。勤でも名前は聞いたことがあるため、人気なのだろう。

「ごめんね、待たせちゃって」

「別に構わない」

「勤は何も買わないの?」

「あぁ、特に必要なものは思い当たらないな」

「そう、分かった」

 すると愛も他には何も買うつもりは無いらしく、そのままレジへと向かう。必然的に勤も後に続く。お菓子の棚の間を抜ける時、黒に交じった紺色の長髪がサラサラと揺れているのを後ろから眺めた。

「そのアイドルが好きなのか?」

 レジに並んでいる間、黙っているのも変な気がして勤は声をかける。

「そう。この人が私の憧れ」

 愛が空いた方の手で持っている写真集を大事そうに抱き寄せる。それと同時に、勤と温もりを共有していた方の手にも力が入った。

 勤は結局考えることも自分から何か行動を起こすことも諦めて、ただ場の空気に流されるようにする。それが逃げであることは分かっていた。でも意識は常に微睡の中にいて、もう何も考えることは出来なかったのである。

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