第25話

 日曜日。まだ塾の授業までは時間があるため、勤はアモーへ行くことを決心し席を立つ。 

 そこに裕介が脂肪を揺らしながら近づいて来た。

「どこ行くんだ」

「カフェにでも行こうかと」

「カフェ?お前、そんな所行くような奴だったか」

 裕介が思いっきり眉を顰めて、わざとらしく疑い深い目を向けてくる。

「最近良さに気づいたんだ」

「そうか。そんなことより、ちょっと話があるんだけどいいか?」

 裕介は疑問形を使いつつも勤の肩に腕を回し、ぐいぐい廊下へと引っ張っていく。どうやら拒否権はないようだった。

「お前、この間木村先生の住所聞いて来たよな?あれって、先生が辞めさせられたことと関係あるのか?」

 学校側から正式な発表があった訳ではないが、木村先生が免職になったことは生徒たちの間で噂になっていた。裕介にはLINEでもすでに説明したのだが、まだ疑っているようである。

「いや、特に関係はない。本当にどうしても分からない問題があって聞きに行きたかっただけだ。俺も直後にこんなことになって驚いている」

 そう言うと、裕介は肩に回していた腕を解いてくれた。しかしまだ納得していないのか微妙な顔を浮かべている。

「そういえば、お前遥香ちゃんとは今でも連絡取っているのか?」

 突然遥香の名前が出てきて、勤の体が引き締まる。思い出すまでもなく、数日前遥香と電話をした時の感覚が残っていた。

「あぁ連絡は取っているけど、どうかしたか?」

「それなら………、いやなんでもない。今のは気にしないでくれ」

 裕介は歯切れ悪くそう言うと、教室へと戻って行った。勤も不思議に思いつつ、昇降口へと歩き始める。

 裕介との会話で遥香の名前が出たことにより、アモーへの足が早まった。


 木製のドアを潜ると、いつもの洋風な店内に包まれる。相変わらず、午後のこの時間帯は閑古鳥が鳴いていた。微かに甘いクリーム系の匂いが店内に漂っている。

 勤が店に姿を現すと、暇そうにカウンター席で肘を着いていた冬美がこちらを振り向く。勤の顔を見た瞬間に、大きな瞳が丸まった。

「あれ、いらっしゃい」

 するとカウンターの内側で冬美と喋っていたと思われる愛も、こちらを向く。

「いらっしゃい」

 勤は二人に応じて、カウンター席へと歩いて行った。冬美の隣に腰かける。冬美と愛は何やら身を寄せ合って、スマホの画面を眺めているようだった。

「何してるんですか?」

 勤が聞くと、冬美が突如自身の耳に手を伸ばす。どうやらワイヤレスのイヤホンを付けていたらしかった。

「すごいよ。最近のイヤホンって、遠隔で音声の録音が出来るみたいなの。それでちょっと愛ちゃんと遊んでた」

 そう言いつつ、冬美を挟んで反対側に座っていた愛がスツールから降りた。愛はすでにイヤホンを外したようである。

「何か飲む?」

 愛が勤に聞く。

「爽健美茶を一つ」

「はーい」

 勤が注文すると、愛がせっせとグラスを用意してお茶を注いでいく。その様子を横で見守っていた冬美が口を開いた。

「うちにはしばらく来れないんじゃなかったの」

 どうやら愛は冬美に何があったのか説明していないようだった。

「あぁそのことなら………」

 勤は言いながら愛に目配せする。愛はわざとらしく、ウインクを返してきた。

「まぁ、色々あったんです」

「なになに、そんな言われ方したら気になるじゃん」

「端的に言うと、愛に助けられました」

「愛ちゃん?」

 冬美の視線が爽健美茶を注ぎ終えた愛に向けられる。愛はニヤニヤ笑いながら、勤の前に店名の入ったコースターを置きその上にグラスを乗せてくれた。

「あの事件があった日、私急に起き上がって店を飛び出したじゃないですか」

 愛が冬美の方を向く。

「うん、確かにそうだったね。いきなりのことでびっくりしたよ」

「そのまま、勤の家に行ったんです。それで勤のお父さんと話をして、またこの店に来ることを許してもらいました」

「えっ」

 冬美はすぐには理解の追いつかないと言った様子で頭を抱えた。

「ごめん、私もお茶貰っていい?」

 そう言って愛からもらったお茶を一気に半分ほど飲み干したところで、ようやく落ち着いたのかいつもの調子に戻った。

「なるほどね。まぁとにかく、君がまたうちに来られるようになったことは良いことだよ」

「俺もそう思います」

「それで今日はどうしてうちに?」

 冬美が聞きながら、サラサラの金髪を後ろへ流した。それから、肘を着いた手に顔を乗せ、頬を歪ませながら勤の顔を覗き込んで来る。

 勤は爽健美茶を一口飲んだ。爽やかな口当たりに、その冷たさが絶妙に喉へと染みた。

「今日は、お客さんとしてこの店に来ようと思って」

「お客さん?」

「はい。今までは先輩に何から何まで奢って貰ってましたけど、今日は全部自分で出します」

「なんで急に?」

「どうやら聞き上手なメイドがいると聞いたので」

 勤はそう言って、愛の方を見た。

 愛はツインテールにした紺髪を揺らしながら、恥ずかしそうに俯いている。

 冬美もしばらく不思議そうな目で勤を眺めていたが、やがてスツールから降りた。

「いらっしゃいませ」

 冬美が恭しく一礼する。突然の行動に今度は勤が戸惑っていると、顔を上げた冬美が言う。

「だって今日はお客さんなんでしょ」

 そのまま冬美は面白いものを見たと言うような笑みを浮かべてカウンターの内側へと入っていく。

 直後に愛も、冬美に倣って恭しく頭を下げた。

 冬美がメニュー表を勤の前に置く。

 勤は愛の分のキャストドリンクとして、アップルジュースを注文する。なんだかお客さんとしての手順を踏んでいくたびに、緊張感が増していた。

 やがてドリンクが揃うと、愛が勤の正面に来て口を開く。勤ももう引き返せないと、覚悟を決めた。

「今日は来てくれて、ありがとうございます」

 冬美は少し離れたところから、勤と愛のやり取りを面白そうに見守っている。

「あぁ、ちょっと話したいことがあったんだ」

「何ですか?」

 愛が真っすぐな視線を勤に向ける。

 勤が言葉に詰まったことにより、僅かな静寂が店内を包んだ。愛と冬美の視線が自分の顔に集まっているのを感じて、勤はやっぱり口にするのを止めたいという衝動に駆られる。

 しかし、このままでは何も変えることは出来ない。

 なんとなく胸がざわついていた。

 二人の視線を避けるように横を見ると、先ほどまで冬美が飲んでいたお茶が置かれている。透明なコップに半分ほど残ったお茶の表面が、微かに揺れていた。

「それで、話って言うのは?」

 愛はなかなか話し出さない勤を気遣ったのか、接客モードから普段の姿に戻り、話を聞いて来る。その態度とメイド服のミスマッチさが少し面白かった。

 やがて遠くからこちらを見ていた冬美も愛の横に並んで、勤の顔を伺う。

 勤は咳ばらいを一つして眼鏡の位置を直した。

「実は………」

 愛は仕事モードではなかったが、真摯に勤の話を聞いてくれた。愛のサポートのおかげで勤の舌はいつもより滑らかに回る。

 勤は遥香のことを説明した。好きになったきっかけ、思い出深い出来事、引っ越してしまい会えていなかったが先日電話をしたことで再び想いが燃え上がって来たこと。

 そして最後に、あの日の跨線橋での出来事を思い出し勤は言った。

「俺は………、遥香に告白出来なかった」

 あの日、跨線橋の上で勤は遥香に想いを伝えようと決意を固めた。胸の中が昂っていて、何もかもが上手くいく気がしていた。

 しかし言葉が喉まで出かかった所で、最後の勇気を絞り出すことが出来なかったのである。言い訳をした。裕介と遥香の姿を思い出して、遥香は自分のことが好きじゃないんだと思い込もうとしたのだ。

 それが間違いだとどこかで気付いていた。

 勤は傷つくことを恐れて、挑戦することを避けただけなのである。いやあるいは、もしかしたら、遥香は裕介に好意を寄せていたのかもしれない。

 それでも、想いを口にするべきだったという結論は揺るがなかった。

「それは、ずいぶんと勿体ないことをしたね」

 冬美が言う。

「私もそう思う」

 それに愛が、大きく頷く。

「だって遥香は、『私の事どう思ってる』って聞いて来たんでしょ。それって、もう好きってことなんじゃないの」

 愛が半分呆れるようにしながら、勤に説明した。冬美も当たり前だと目力で訴えてくる。

「私だったら、告白して欲しいな」

 冬美は言った。

「そうですよね………。でも俺はやっぱり怖かったです」

「それはフラれるのが?」

 冬美の問いかけに対して、勤は素直に頷いた。

「勇気ってどうやって出せばいいんですかね」

「出す必要ないんじゃない?」

 冬美はあっさりと言う。

「きっと勇気を出せないという弱点も含めて君の良さなんだよ。だから弱いありのままの自分を受け入れることの方が大事な気がする。そうすれば勇気も勝手に出てくるよ」

 そこで黙ったまま二人の会話を聞いていた愛が口を開いた。

「私もそう思います。話を聞いていて、勤って意外と可愛い所あるんだなって思いました」

「なんだ、いきなり」

「だって超真面目そうで、なんでも合理的に考えて行動するようなお堅い人だと思ってたけど、ちゃんと人間してるんだもん」

「人間してる?」

 勤は顔を顰める。

「勤もちゃんと思い悩んでるんだなって思っただけ」

「人はね、見かけによらないんだよ」

 冬美が楽しそうに愛へと言った。愛も自然と笑い声を上げる。

「ふっ」

 そんな様子を見ていると、勤も何だか笑いが込み上げてきたのだった。

 それからは雑談をして過ごした。勤の中にはやっぱり遥香を想う心が彷徨っていて、何か解決策が浮かんだわけではない。やっぱりまだまだ勇気を出せそうな気はしないけれど、話したおかげで肩が軽くなったような気がする。

 隣の席で忘れ去られたまま佇んでいたコップの中で、氷がコロンと音を立てながら溶けて崩れた。

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