第20話

 勤も冬美も、しばらく黙り込んでいた。時折、腕の位置を変えたり意味もなくスツールを回転させたりするような音だけが静かな店内に響き渡る。

 二人して頭を捻らせていたが、何か妙案が浮かぶような気配は全くなかった。

「もし仮に、愛がお客さんに連れていかれたとして、どこが考えられますか?」

「それは、その人の家………とか?」

「そうですよね」

 さっきからこのように、どちらかがポツンと話を投げかけ、ラリーの続かないまま静寂が迎えに来るという事が繰り返されている。

「あっ」

 そのときだった。冬美が突如声を上げる。

「どうして私、忘れてたんだろう」

「どうしたんですか?」

「いや、犯人が分かった訳じゃないんだけど、前に愛ちゃん駅で視線を感じるって言ってたの」

「本当ですか?」

「うん。それからは、私も一緒に帰るようにしていたけど、しばらく何もなかったから気のせいだろうってことになった。それでお互いに乗る電車も違うしシフトの時間も違うからまた別々で帰るようになって………。もしかしたら最近また視線を感じるようなことがあったのかもしれない。最近愛ちゃん、裏でたまに深刻そうな顔をして考え込んでたから」

「そんな………。もしそうだとしたら、家出じゃない可能性がますます高くなってきましたね」

「そうかも………」

「もし仮に犯人をこの店の客だと考えたら、愛を贔屓にしていなかったとは考えにくい。過去に愛にキャストドリンクを入れたことがある人物とか分からないんですか?」

「さぁ、さすがにそこまでは記録してないと思う」

 勤は頭を捻った。そのとき、ふと冬美の肩越しに例の装飾された一角が目に入る。

「チェキ………」

「え?」

「確か、チェキのデータって店のパソコンにも保存されるんでしたよね?」

「そうだけど………、まさか」

「そのまさかです。チェキのデータを見せて貰えませんか?愛とチェキを撮ったことのある人物を洗えば、何か分かるかもしれません」

 勤は冬美の目を見た。

 冬美の瞳は相変わらず、弱々しく泳いでいる。眉間に皺を寄せて何やら考え込んでいるようだった。

 きっと迷っているのだろう。緊急事態とはいえ部外者の勤に、大事なお客さんのデータを見せて良いのか。

 しかし勤は他に出来ることを思いつかなかった。

「お願いします」

 勤が力を込めていった。

 冬美は腕を組み、腕を擦る。勤から目線を逸らして必死に考えを巡らせているようだった。

「分かった」

 やがてたっぷりと時間を使って考えた冬美は、そう言った。

「良いんですか?」

 一度は断られると思っていた勤は、思わず聞き返してしまう。

「愛ちゃんのためだから。責任は私が持つよ」

 冬美はそう言うと、スタッフ専用の部屋へと入っていきパソコンを取って来た。

 勤と冬美はカウンターに並んで画面を見つめる。

「あった」

 パスワードを打ち込んでログインした冬美がチェキのデータが入ったファイルをクリックする。

「結構あるんですね」

 チェキのデータは時系列順に並んでいたが、多い時には一日で数十枚にも及ぶ写真が収められていた。

 冬美はそれを一枚一枚クリックして、拡大していく。愛以外の写真だったらすぐに閉じて、愛の写真だったら立ち止まり何かヒントは無いかとじっくりと観察する。その作業の繰り返しだった。

「先輩の写真、多いですね」

 勤は何げなく思ったことを口にする。よく考えれば、チェキのデータを確認することでメイドさんの人気を測ることが出来た。たくさん写真があるという事はそれだけ人気があるという事である。

 どうやらアモーの中でもダントツの人気を誇るようで、二枚に一枚は冬美の映る写真がパソコンの中央に表示された。

 冬美はそれをどこか遠い世界の出来事のように眺めている。

「良いから、愛ちゃんの写真に集中して」

 勤を諫めると、冬美はさっさと次の写真へと写ってしまう。

「あっ」

 次の写真が映し出された瞬間、勤は思わず声を上げた。そこに写っていたのは二人の男女。一人は当然、メイド服姿で紺色の髪をポニーテールに結んだ愛である。

「どうかしたの?」

 冬美は写真に違和感覚えなかったようで、勤に不思議そうな視線を向けてくる。

「いや、この人は俺たちの教師です」

 勤は向かって右側に移る男性を指差した。ジャージの上からでも盛り上がった腕や胸筋を伺うことが出来る。

 爽やかな笑顔をカメラに向けて、愛とハートを作っているのは勤たちのクラスを担当していた英語教師の木村先生だった。

 勤はそのことを冬美に説明する。

「そういえば、こんな先生いた気がする」

 木村先生はもう何年も勤たちの通う高校に勤務しているようなので、冬美も顔を合わせたことがあっても不思議ではない。

「でも、それがどうかしたの?別に学校の先生だからってアモーに来ていてもおかしくないでしょ?」

「はい。それはそうですけど、木村先生は今日学校を休んでいました。俺の記憶では先生が予告なく学校を休んだのは初めてです」

 勤たちのクラスは木村先生が学校を休んだことによって自習になったのである。勤はどうにも勉強する気が起こらない中、タイミングよく冬美からの連絡が来たので学校を早退してきたのだ。

「でも、それは偶然だってことも十分にあり得るんじゃない?」

「確かに偶然である可能性もあります。でも偶然じゃない可能性も高い。調べてみる価値はあるんじゃないですか」

 電球の白い光が頭上から降り注いでいた。カウンターの中にある水道から、雫が一滴垂れてシンクを鳴らす。

 勤は胸がざわつくのを感じた。直感が叫んでいる。

「でもちょっと待って。もしそうだとしたら、木村先生は愛ちゃんが教え子と分かっていてここに通っていたってこと?」

「いや、木村先生が俺たちのクラスを担当し始めたのは二学期からです。その時愛はすでに学校には来ていませんでした。だから知らなかったということもありえます」

「そうか………。でも、あんまりそういうことしそうな人には見えないけどな」

 冬美がもう一度写真に目を移した。

「確かに、大らかで授業も分かりやすいため生徒から人気のある先生です」

「じゃあどうして」

「ただ一つ、彼はハリーポッターに関して異常なこだわりを持っています。話始めたら、授業の半分以上をハリーポッターの話で埋めてしまうくらいです。そして生徒たちは半ばそのことに呆れています。真面目に話を聞いている人は皆無でしょう。木村先生もその事に気づき始めているはずです」

「それと愛ちゃんの件、何か関係があるの?」

「これはあくまで推測ですが、愛の仕事ぶりを見ている限り彼女はとても聞き上手なように見えました」

「確かに。愛ちゃんはとても聞き上手だよ」

「もし木村先生がハリーポッターの話が生徒にウケない事に不満を持っていたとしたらどうでしょう?」

「自分はハリーポッターが大好きなのに、みんなが分かってくれない」

「そうです。それでその話を愛にしたところ、愛は真摯に話を聞いてくれた。それがきっかけでハリーポッター同様、愛にも執着を持つようになったとすれば?」

「愛ちゃんを独り占めしたくて、連れ去った?」

「一応、筋は通ります」

「確かに」

 冬美は一連の話を聞いて、木村先生が愛を連れ去った可能性があることを理解したようだった。

「それで、どうするの?」

「とりあえず、先生の家に行きます」

 勤はそう言うと、ポケットからスマホを取り出してLINEを開く。そのまま裕介とのトーク画面に向かい、通話をする。

 時間的にすでに放課していたようで、電話はすぐにつながった。

「もしもし裕介。ちょっと頼みがあるんだがいいか?」

「お前から何かを頼んで来るなんて珍しいな」

「緊急の要件だ。すぐにでも、木村先生の住所が知りたい」

「木村先生の住所?なんでそんなこと知りたいんだ?」

「説明は後だ。とりあえず、住所が分かったら連絡してくれ」

 それだけ言うと勤は電話を切った。

 すると冬美が隣でニヤニヤしながら勤の方を眺めていたことに気が付く。

「どうしたんですか?」

「いやー、君、友達いたんだなーと思って」

 そう言いながらも冬美は吹き出しそうになるのを堪えている。

「友達と話すときも仏頂面なんだね」

「今は明るく話せるような状況じゃないでしょう。それにこいつは友達じゃありません」

 脳裏に遥香と歩いていた裕介の後ろ姿が蘇ってきて、勤は唇を噛む。

「ふーん」

 冬美は何か言いたげに勤のことを見ていたが、すぐに視線を外す。

 やがて数分後、裕介から住所が送られてきた。どうやら木村先生と仲の良い先輩に住所を聞いたようだった。

 勤は送られてきた住所を確認すると、冬美と共にアモーを後にする。

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