第18話

 勤は速足で駅前商店街のメインストリートから焼肉屋の角を曲がり、廃れた路地裏へと入る。

 もう見慣れ始めているビルが視界に入ると、迷うことなく狭い廊下へと足を踏み入れた。もたもたと上がっていくエレベーターに舌打ちをしつつ、三階に着くと一直線にアモーの木製扉へと向かう。

「いらっしゃい」

 扉を開けると、カウンターの中に冬美がいた。冬美は黒いジャージの上下に、開けたチャックから可愛らしいイラストの入ったTシャツを覗かせている。どうやら今日はメイド服ではなく、私服のようだった。

 勤が唾を飲み込む。

「緊急事態って、何があったんですか?」

 勤はカウンターテーブルの傍に立ったまま、冬美に聞いた。

「それが、………、愛ちゃんが行方不明なの」

 冬美の声は震えている。携帯を持つ華奢な腕も同様に震えていた。腕を組んだ状態で、カウンターの中を行ったり来たりしながら、心配そうに眼を泳がせている。

「行方不明?」

「そう。今日だって開店からシフトが入っているはずなのに、全然姿を見せなくて」

 冬美が店内の掛け時計を指差した。つられて勤もそちらに視線を向ける。

 すると時刻はすでに二時半を指していて、確かにアモーの開店時間からはかなり経過していた。

「LINEは?連絡は取れないんですか?」

「うん。さっきから何回もメッセージを送ったけれど、既読が付かない」

 冬美はそう言うと、携帯の画面を勤に見せてきた。

 そこには愛とのトーク画面が映し出されていて、スクロールすると冬美が一方的に二十件近いメッセージを送っているのが確認できる。時間を空けて、定期的にメッセージを送信しているようだが、効果は無いようだった。

「さっきオーナーさんが愛ちゃんの自宅に電話したんだけど、昨日から帰って来てないみたい」

「帰って来てない?」

 そこで勤は語気を強めた。もしそれが本当なら、大問題にもなりかねないではないか。

「うん。私の家に泊まるっていうLINEだけ送られてきたきり、お母さんからのメッセージにも既読が付かないみたいなの」

 冬美が心配そうな声で言う。いつもよりその顔面に力が無い。

「もちろん、私の家に泊まる約束なんてしていない」

 勤は腕を組むと、手を顎に当てて頭を働かせた。

 愛が消えた。居場所も目的も不明。バイトも無断欠勤。学校にはもちろん来ていない。考えれば考えるほど事の重大さが見えてきて、勤の鼓動も早まっていく。

「愛ちゃんは、今まで無断で店を休んだことなんてなかった。それどころか熱があっても無理に出勤してきたくらい。それなのに………。絶対何かあったんだよ」

 冬美が口にする。それは勤に向けられたものと言うより、思ったことがそのまま口に出てしまっただけのようだった。

「誰かに連れていかれた?」

 自然と勤の頭の中で一つの可能性が浮かびあがり、気づけば口に出ていた。

 腕をさすりながら忙しなくカウンターの中を歩き回っていた冬美の動きが、ピタリと止まる。聡明な冬美の事だ。きっとこの可能性に早い段階から気づいていたのだろう。しかし考えないようにしていたようだった。

「誰かについていった、かもしれない」

 冬美は付け足すように言う。

 そこで二人は黙り込む。お互いが腕を組んで、それぞれの可能性に頭を悩ませた。重く緊迫した空気が、カウンターテーブルを挟んで立ち込めている。

「単に家出の可能性は?」

「もちろん、その可能性だって充分にあると思う。オーナーさんとか他のバイト仲間もそう思ったみたいで、今近くのネカフェとかを探しに行ってるみたい。でも………」

 その先は言葉にされずとも分かった。愛の接客している時の笑顔、健気に看板を持つ後ろ姿、そしてチェキを撮った時のあの態度。

 愛は夢のために、ひたむきに走っていたはずである。その愛が無断で突如店を休むとは考えずらい。

「昨日の愛の様子はどうでしたか?」

 勤は聞いた。昨日チェキを撮った後、愛は普通に働いていたはずだ。何か変わった所はなかったか。例えば何か思い詰めたような表情をしていて、今にも家出しそうだったとか。

 しかし冬美は首を静かに左右へ振った。

「特に変わった様子は無かったと思う。普通に最後の十時前まで働いて、帰ってたはず。私は終わった後店の掃除とかしてて、愛ちゃんのことあまり見てなかったけど」

 冬美が悔しそうに言った。普段はさっぱりとした態度を取っているけれど、今日は怯える小動物のように揺れる目線で、上目遣いに勤を見てくる。

 勤は溜息を吐いた。胸に焦燥感のようなものが込み上げてくる。

 目を瞑って、一度深呼吸をした。こんな時に慌てていてはいけない。大切なのは冷静になることだ。

「熱狂的なお客さんに、連れ去られたという可能性は?」

 勤は力強い声で尋ねた。

「以前、先輩も言ってましたよね。駅でお客さんに声をかけられて、お小遣いをもらったことがあるって」

 冬美はこの店で勤と雑談しているときに、びっくりした体験という話でこのエピソードを教えてくれた。

「それと似たようなパターンで、愛もどこかで声を掛けられて連れていかれたということは」

「…………」

 勤が聞いた瞬間、冬美は目を見開いて唇をぎゅっと閉ざした。その目は焦点が定まっていないように見える。

 その反応が、雄弁にも答えを物語っていた。

「誰か、心当たりのあるお客さんはいますか?」

 冬美は首を横に振った。

「私、警察行って来る」

 そう言うと、冬美はそのままカウンターを抜け出し出口へと走っていこうとする。

 その手を勤が掴んだ。

「なに」

「警察に行っても、どうせ大した捜索はしてもらえないでしょう。事件性が低いと判断されれば、パトロールのついでに探してもらうくらいが関の山です」

「事件性?君、自分で言ってたでしょ。連れ去られたかもしれないって」

「それはあくまで可能性です。普通に考えれば、アモーのオーナーさんたちのように家出したと考えるのが妥当でしょう」

「じゃあ君も、ただの家出だと思っているの?」

 冬美が勤を睨みつける。

 勤は首を横に振った。

「あくまで低い可能性ですが、俺もそっちを信じてます。とにかく、今は冷静になりましょう」

 そこで勤は思いのほか強く冬美の手首を掴んでいたことに気が付き、手を離した。お互い気まずくなって下を向く。

 でも冬美も冷静さを欠いていたことを認めたようで、乱れた呼吸を整えるように胸に手を当てていた。

「警察に行く以外に、何かできることがあるの?」

 冬美は落ち着いたようで、芯のある声で聞いて来た。

「分かりません………」

 そう言いつつ、勤は必死に考える。何か愛の居場所を示すようなヒントはないだろうか。だが何も思い浮かばない。思い浮かびそうな気配すらなかった。

 冬美も何も策がないのは同様のようで、二人ともカウンターに腰かけてだんまりしてしまう。

 洋風の小洒落た店内に、重苦しい空気が堆積していた。

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