第9話

マサルの父の担当医は確かにイズモだったが、いつも母が相手していた。

マサルは仕入れついでの見舞いにしか行っていない。

だからマサルは病院の中でイズモと直接会ったことがない。

表向きは医療ミスは隠ぺいできていたから葬式に来るようなことも無かった。

とすればマサルとイズモは今この時でも面識がないはずだ。


実際マサルがイズモの名を知ったのはカオルからだ。

他にどこかでイズモの名を見ていないだろうか。

カオルの口からイズモの名前を聞いたという事だけは伝えてはならない。

その理由を聞かれたら医療ミスの事を話さなくてはならない。

マサルの父の死の理由にイズモやカオルが関わっていることが露見したら、

マサルは一気に動機を持った殺人犯の第一候補だ。


一度飲み込んだ不信は今後とも飲み込んでいかなくてはならない。

今ではマサルも彼らの隠ぺいに協力しているのだ。

迂闊なカオルを始末しておいたのは間違いではなかった。

母を悲しませるようなことはこれからも退けていかねば。


「うーんどうだったか、おふくろを慰めてた時に聞いたかな。」

マサルはすっとぼけた。

父が死んだ後の母にはしばらく付き添ったからおかしな事ではない。


「それならおふくろさんをここに呼ばなきゃダメじゃねえか。」

刑事の言う事は最もだ。

世話になった医者に礼をするならマサルだけってのはおかしい。


「おふくろは大層悲しんでたから、お医者の顔見たら悪くなると思ってな。」

少し苦しいが今思いついたにしては妙手だ。

実際に母は悲しみで衰えたし、わざわざ鎌倉から目黒まで呼んだ理由にもなる。


「それならなんだってそんな急いでやったんだい。」

確かにもっと落ち着いてからでも出来る事だ。

しかしマサルの都合だからどうこう言われる筋合いはない。


「思い立ったが吉日って言うだろ。それだよ。」

そうなんだよ。

事実それで今までなし崩しでやってきた。


「そうかい、わかったよ。ありがとうな。」

マサルに礼を言って店を出ていった。

刑事は納得したようだった。


マサルは一息ついた。

急にくるもんだから焦ってしまった。

多分それを感づかれて余計なことまで聞いてきた。

マサルも馬鹿正直に答えなくとも良かったと今になって反省した。

だが知られてはいけない事は守り通した。

自分の口からは絶対に言ってはいけないこと、

マサルはカオルからは何も聞いていないというていだ。


マサルは直前に隠した皿から布巾を取り払った。

そして肉寿司を全部まとめて掴んで口に放り込んだ。

酢飯の酸味と肉の油、その香りがよく合う。

思い切りよく噛んでからしっかりと腹の奥まで飲み込んだ。

喉に多少引っかかりながら通って行くのが気持ちいい。

マサルは冷めた茶を口に流し込んだ。


マサルは明日の分の仕込みに取り組むことにした。

その間ぼんやりホウヤと刑事の事を考えた。

本当はすぐにでもホウヤに仕置きしてやりたい。

マサルの中の感情や欲望が快楽を求めている。

しかし頻繁に刑事が来るものだからしり込みしてしまう。

この中途半端な理性がなかなか曲者だ。


マサルは仕込みを終えた。

片付けをして帰り支度をする。

店を出て鍵をしめたところで、ふと思った。

博打というものをしてみようか。

直接ホウヤに会って店に来るよう仕向けるのだ。


今までのマサルであればこのような事は考えもしなかった。

だが今のマサルは貪欲に生きている。


元々手紙をホウヤの家に持って行こうと考えていたが、

カオルの記憶ではオートロックの高級マンションだったから難しいだろう。

それよりも病院で接触を試みるほうがいい。

失敗したらしたで別の手を考えればいい。


翌日の営業をこなしたマサルは定休日を利用して病院へと行くことにした。

その定休日は明日だ。


マサルは翌日寝坊した。

考え事をしていて夜更かしをした。

寝坊といっても休日なので問題はない。

しかし今まで培ってきた生活のリズムが崩れているのがわかった。


マサルは落ち込みつつも病院が開くまでの間に手紙を用意することにした。

ホウヤに手渡しするものだ。

ところが珍しく客が来た。


「マサルさん、安否確認だ。」

刑事だ。

安否確認とはどういうことだろう。

「これは俺の勘だが、あんた事件に巻き込まれてると思ってな。」

うーん流石はたたき上げの刑事だけある。

加害者であることまでは気づけないだろうが。

「無事でよかった。じゃあな。」

用は済んだと帰って行った。


マサルを心配しているのであれば良い迷惑だが、

そうでないのであれば釘を刺しに来たわけだ。

どちらにせよマサルにとっては嬉しくない。


これから病院へ行こうというのに出鼻をくじかれた。

しかしホウヤの顔を思い出すとやる気がみなぎる。

マサルは冷静さを欠いていた。

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