第3話 対魔獣防衛戦線

 夢は、少女アデリナをまだ幼い子供のままとらえていた。

 やんちゃに切ったくせ毛の短髪も、背丈に似合わずちぐはぐな印象をもたらしている。まだ大人になりたくて、でもなれないままもがき続けるかのような──


 風が、ぴしゃりと頬を打った。


 夢。まだ、夢のなかである。彼女が見たのは大きな樹。塔のように堅牢けんろうで、天と地を結ぶ柱のように壮大な、巨木だった。

 あたり一面の白い花。草原を吹き抜ける風の、そのただなかに立って、あどけない少女はひとりの女と向かい合う。黒い髪の女。青い瞳がルートのそれを連想する。


〝母さん〟と、アデリナは口を開いた。


 話した言葉はあぶくとなって天空に昇った。


〝リナ〟


 女は泡を立てずに言葉を伝えた。


〝まだ《扉》は開かれていません〟

〝──何?〟

〝あなたは《鍵》を見つけた。でもそれで何を開くべきかをまだ見つけられていない〟

〝なんだって?〟

〝正しい問いを見つけなさい。答えを探すのではなく、問いかけを探すのですよ〟

〝だから、何?〟


 少女の疑問はただただ、泡になるばかり。

 ボコボコと、口から虚しくこぼれ出す空気の塊を顔面に浴びながら、アデリナはただ謎かけような母の言葉を耳にとらえる──


〝答えはもう、あなたのなかにあるのだから──〟


 そして。


「あっ……」目醒めた。


 ほとんど無意識に上体を起こしていた。そのあまりに急な起き方に、あっけにとられていたのは、ガーランドとルートである。アデリナはふたりの呆然とした顔に、驚きを込めつつしばらく見入っていた。


「……おはよう?」

「あー、うん。まあ。そうだけども」


 ふと、窓を見る。日差しはまだある。しかし何かおかしい。

 顔に触れる。目鼻立ちに違和感はない。おでこに手を当てる。熱はない。髪はいつだってボサボサだったし、耳も手足もピンピンしている。とりあえず立って歩いてみたが、まるでふたりは幽霊でも見てるかのような、神妙な面持ちのままだった。アデリナは次第にイライラしてきた。


 ルートに訊く。


「……なんだよ」

「んー。ようやく、起きてきたって感じかなあって」

「ようやく?」

「いま何時だと思う?」

「えっ? 昼過ぎかなって思ってるけど」


 念のため、木窓を開けて、外を見た。

 別に夕方というほどでもない。確かに日は傾いているが。


「そりゃ、夜明けに街に入ってきてすぐ寝ちゃったからさ、ずいぶん経ったかなあとは思うけども、そんなに驚くことは──」

「三日だ」


 ガーランドが割り込んだ。

 アデリナは自分の耳を疑った。


「……えっ?」

「いまはね、暦の上では〈祝祭月はふりのつき〉の第三周期の末日にあたる。われわれがタリムに入場したのがこの第四日だったから、ゆうに三日間寝ていたことになるわけだ」

「──そんなに?」

「もう目を覚まさないのかとヒヤヒヤしたよ」


 ルートがすっかり呆れ顔だった。


「に、しては、ずいぶん落ち着いてるな」

「ガーランドさんがね、大丈夫だって言ってたからね」

「ああ。黒魔術がいくら危険とはいえ、あのとき行使したものは、一度使って二度と起きられなくなるほどの代償を払わせるような規模ではないからね」


 ガーランドが軽く触れたところに拠ると、アデリナが剣を手にした術式は、おおむね具現化する力に近いとのこと。もしその規模で命や寝たきりになるような代償を伴うならば、もっと途方もないものを具現化しなければ釣り合いが取れないというのだ。


 例えば、城郭のような複雑で重量のある構造物だったり、未知の生き物だったり──あるいは死者その人を霊的に甦らせようとすることが、それに当たるという。


「ただ、今回のは黒魔術そのものに慣れていないことから来る激しい疲れか、黒魔術自体が気力や体力を代償にするかのどちらかだろうと思った。さいわい脈も正常だった。あとはまあ、回復を待つしかなくてね」

「それにしても三日か……」


 思えば、ちょっと自分でも自分がイヤになるくらいには臭う。


「少し湯浴みをしてくるといい。亭主にはお湯を持って来させる。わたしとルゥは席をはずすから、さっぱりしてきなさい」


 こうして男二人が部屋を後にすると、〈ルリツバメの泊まり木亭〉の女亭主が湯を張った木のたらいを持って上がってきた。

 亭主は名をシャラ・エヴァンズと言い、タリムの近隣を仕切ってるエヴァンズ商会の類縁の人間だった。ガーランドとは縁あって、用があるたびに部屋を都合すると取り決めているらしい。本人は〝腐れ縁〟と呼んでいたが、どこか親しげな響きも伴っていた。


 彼女はアデリナにも同様の距離感で親しげに語りかけ、問わず語りにさまざまなことを喋った。とにかくお喋りだというのが、アデリナがシャラに抱いた印象だった。


「いやあさ、ほんとにずーっと寝てたから一時期どうなるかと思ったんだよォ」


 ちなみにアデリナは、現在進行形で石鹸せっけんの泡だらけになっていた。髪の毛もすっかり洗われて、牧童に世話される野良の仔犬のような有り様だったのだ。

 ひとに身繕いを任せるというのは気が進まない。ときおり抵抗をしてはみるものの、三日寝たのはほんとうらしく、力がちっとも出てこない。あれほど木剣を素振りし、実物の剣すら振るったはずの腕は一回り細くなったようにすら見えた。おかげで少女はシャラの人形遊びのおもちゃにされてしまった。


 垢をすっかり落とされた身に、乾いたリネンのチュニックが着せられた。しょうじきぶかぶかで、靴を履いたら余計に丈が長い。普段からズボンを好んで履いていたアデリナにとって、この服装は屈辱的と言っていい。ところがシャラは、「いちおう女の子なんだから、そうしておきなさいよ。見た目も悪かないんだし」と一方的だった。

 結果アデリナは、髪が短く少年風であることを除いては、いっぱしの街の少女の身なりになっていた。


「ついでにこれもつけてきなよ」


 小さな玻璃瓶はりびょうを片手に、とん、とん、と数滴垂らした液から、ほのかに優しい薫りが漂った。鼻先をかすめるだけで、なんとなく気をかれるような、そんな匂いだ。

 それをアデリナに向かって、上着でも被せるみたいにそっと付ける──


「ほらよ。いっちょあがり」


 あとから呼ばれてきたガーランドは、ルートともに、アデリナを知らない子供のようにしげしげと見つめていた。


「これは?」

「ん。身ぎれいにしてやれって言われたから目いっぱい世話してやったよ」

「ここまでしろとは言ってないが──」

「何言ッてんだよ。年頃の娘をさ、郊外で泥んこ遊びしてるような身なりにしてほっといて良いもんか」

「…………」


 ガーランドは、アデリナのいまいち納得のいってない面持ちを見て、いろんなことを察していた。


「だいたい、いきなりやってくるのはいつものことだけど、今度という今度はなんだよ。子供二人連れてきてさ、何をしようって言うんだい?」

「それは秘密だ」

「へッ、どうせろくでもないことなんだろ」

「──いちおう、言っておくが」

「わかってるよ。言いたいことはこの部屋でしか言ってないから」

「ならいい」


 シャラはその栗色の束ね髪で空を切って、部屋を後にしたのだった。

 ガーランドとルートは、互いに顔を見合わせてから、ようやくアデリナに近づいた。


「……具合はどうだい」とガーランド。

「サイアク」

「そうか」


 即答だった。

 ルートがそっと割り込む。


「気にしないでよ、リナ。あの人ボクのこと女の子と見間違えて、最初はもう、すごかったんだからさ」

「フン」

「リナ……」


 気まずい沈黙が降りてきた。

 まるで雨が降る直前の、曇天のように。


「少し、出かけよう」出し抜けにガーランドが言った。「お詫びというのもへんだが、リナに面白いものを見せてあげようか」

「……?」

「来なさい。ルゥも」

「へ? あ、はい!」


 こうして〈ルリツバメの泊まり木〉亭をいったん出たガーランドとふたごは、昼下がりの倦怠感あふれる雑踏に足を踏み入れる。

 さながら石で出来た森に立ち入るようなものだった。違うのは、樹々のこずえの代わりに人垣がところどころに立ち、鳥の鳴き声の代わりに集合住宅の軒下にならぶ屋台の呼び声がさんざんにかしましいことくらいだろう。


 青物の市はとうに終わっていた。斜向かいの川沿いにあるうお河岸がし通りも、その生臭さを除いてはひと気もなく閑散としている。

 ガーランドはその通りを「近道だ」と言って小走りに進むと、石橋の下をくぐって、空き地に躍り出た。その先には石段が高く続いており、ふたごはえっちらおっちらと登って、ガーランドが立ち止まったその場所にようやくの思いでたどり着く。


「ご覧──」


 ふたごが目の当たりにしたのは、第三市壁のその外側に位置する荘館跡、そこを起点に展開する無数の天幕と野営地だった。

 甲冑をまとった男たちが多数行き来し、そこかしこで工匠たちが獣除けの柵を立てている。狼煙を上げるための見張り台も建造中のようだった。武器や防具を引いた荷車も引かれていて、緊張感が漂っている。


「辺境伯は三日前から急拵えで対魔獣の防衛戦線を張ることを決定した。今見ているものが、まさにそれだよ」

「す、すげえ」

「リナも騎士になるなら、いずれあのなかのひとりに立つわけだ。よく見ておくといい」


 言われなくても、アデリナは目を輝かせてそれを見ていた。


「この三日間で、タリムもかなりてこ入れされた──」おもむろに、ガーランドが言う。「メリッサ村には早々に騎士が派遣され、被害状況の報告があった。数名行方知れずとは言われてるが、わたしたちが見た通り村は壊滅したと言っていい。もう付近では瘴気しょうきが漂っていて、はなれ山を中心に竜の棲処すみかが出来上がっているという話を聞いている」

「でも、それをこれから退治するんだろ?」

「いいや、特に相手が竜なら、それはむりな相談だ」


 ガーランドいわく、竜一体が一個の領国に匹敵するほどの経済規模がないと太刀打ちできないしろものらしい。それ自身強大な力を持つ個体と、それに群がる無数の魔獣たちの生態系。おまけに竜が通るほどの界嘯かいしょうであれば、当然大型の魔獣も三、四体はいっしょになっている。

 つまり、ほとんど領主ひとり分の反乱にも似た、巨大な内戦状態──これが、竜退治の実態なのだ。しかのみならず、今回の対象は古代種の竜である。知能を持ち、よく企みを働かせるであろうこの存在は、なみの黒魔術使いを追うどころの騒ぎではない。


「王族が神々と交わした〈白紙タブラ・ラサの誓約〉のもと、叙事詩圏では人と人との争いは禁じられたはずだった。それでもなおこの世界が騎士を、戦う人間を必要とし続けたのは、このような時のためなんだよ」


 ガーランドはそう結論を述べた。

 ふたごはそれぞれ、黙ったまま、感心したり、考えごとをしながら、聴いていた。


「ところで、ガーランドさん──」とルートが口を開いた。「ボクたちをここに呼んだのって、そんなことを親切に教えてくれるためじゃあないよね?」

「あまり勘繰ったことを言わないでくれ。でないと、自分でも自分のことが嫌いになるかもしれない」


 と、振り向きながら、答える。


「でも、ルゥの言った通りだよ。いまからわたしたちはあそこに向かう」

「えっ、なんで?」とアデリナ。


 ガーランドは単眼鏡モノクル越しに、笑った。


「そりゃあもちろん、フェール辺境伯に会うためだよ」

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