第4話 フェール辺境伯

 フェール辺境伯ことオイリゲン・フェーガスは、〝暗黒期〟よりこの方、東方三領国を統べる大領主のひとりだった。


 聖櫃せいひつ城より年に数度、触れ込みがある賦役ふえきについても条件付きの免除がある。彼は公領主議会ランドスラードにおいても強い発言権を有しており、英雄諸家を除けば、おそらく上から数えたほうが早い家格かかくだった。

 それほどの勢力と地盤を持ちつつも、この辺境伯は〝やり手〟としても知られる。慢心におぼれず、実務を心得ており、かつ人品ともに優れているとの評判なのだった。


 今回の件でも、フェール辺境伯の対応は迅速機敏と言っていい。


 まず報告を受けて一日も経たずに使者を用立てて騎士団を派遣。壁外区に駐屯地を設営して商会などにも話を通した。もっか二周期にわたる期間の糧食と寝台・天幕、煮炊きと洗濯担当の遣い女たちの手配を急がせた。

 しかし辺境伯は、詳細報告を受けて対応・対策が長期化することを懸念した。すかさず星室庁と連携し、聖櫃城上層部に事情を説明する書簡ふみを提出、砦の設営許可を求めるに至った。この申請は百年前から〈女神の平和〉をうたっていたじょけんにおいては一大事件と言ってよいできごとで、当然のごとく公領主議会ランドスラードの権力の均衡を崩しかねないと紛糾している。


 ガーランドは、アデリナが寝ている三日間でこれだけの一部始終を聴いていた。

 もちろんふたごは知らない。だがルートはガーランドの動きが、政治的な駆け引きに関わるものとなんとなく察しをつけていた。


 今回、とうのガーランドがフェール辺境伯のもとにふたごを連れ出す──

 そう話を聞いたルートはようやく本題に近づいたと感じた。


(ガーランドさんは、ボクたちをどうするつもりなんだろう)


 メリッサ村を出る前、かれが明かした自身の身分──星室庁の異端審問官。ルートもその存在は知っているくらいだ。


 星室庁。もともと王室と信仰に関わる裁判を行う特殊専門法廷として設立されたこの機関は、次第に聖典やそれに関連する特定分野の世俗法を取り扱い、異端信仰に対する尋問や捜査をも司るようになった。

 その目的の根幹は、もちろん王室警護と叙事詩圏の秩序の維持である。特に魔術の研究に関する監視の目は広く深く存在していた。好奇心のまま書物に触れる機会の多いルートにとって、星室庁はつねにというかたちで何かしらの接点があった。


 そんな星室庁の主な監視対象は、とりわけ図書館を有する大学都市、主要な城市まちに存在する寺院ないし写本工房だ──あらゆる魔術における不可思議を理解し、〝漂白〟していく過程において、ふとしたことから黒の魔術に染まるものが跡を絶たない。異端は、聖典のから生まれる。そこに善意も悪意も関係ないのだ。だから担当教区を持つ司祭・司教にとって、もっとも大切なのは聖典を読むことだった。

 ルートもまた、村にいたときはヘルマン司祭の教導を強いられてきた。神聖神学における『神聖叙事詩』の正典カノン──たとえば、「聖ビョルンの福音書」の解釈本の選択ひとつをとっても指図を免れなかった。


 やれ、愛のかたちを俗流に解釈してはならない。崇高すうこうなる神々への無償の愛の行動として理解する必要がある、などと。


 おかげでルートの見識は一端の侍祭じさいにも負けないほどだった。だがだからこそ、星室庁という監視の目の背後でうごめく黒々としたものを予測せずにはいられない。

 かれらがそこまでして守り抜きたいものとは、いったいなんなのか──と。


「着いたよ」


 ガーランドのひと言で、ルートは我に返った。


 荘館跡。獣と汗の臭いがうずくまる天幕村の奥地に、それはあった。

 かつては東方の末席領主の居館だったのだが、廃嫡はいちゃくとなり、長らく放置されていた。今回辺境伯が布陣するにあたって目を付けたのだとか。


 その鉄門扉はびていて、ツルマキヅタとブスハムラが群生している。とはいえまだれっきとした門のかたちを為していた。

 開けっぱなしになっているそれをくぐり、下生えを払っただけの小道を進む。屋根を失った居館の壁は、たんに石垣程度の役割しかはたしていない。その内側に、天井代わりに天幕を張った大広間がある。ふたごとガーランドがたどりついたのは、そんな場所だ。


「来たか」


 出迎えもなく、開始ひと言、先手を打つように声を出した当人こそ──

 フェール辺境伯オイリゲン・フェーガス、まさにその人である。


 かれは大広間に巨大なテーブルを置かせ、そこに自身の領地の地図を敷いていた。かねてより部下に入念に調べさせた、精密な地図である。と同時に、聖櫃城にも提出を拒んできた重要機密であった。

 そこに盤上で用いる陶製のコマを配置し、状況を俯瞰するための布石を日夜模索していた。日々警戒行動に遣わせた部下の報告を受けて、より正確に、わずかな誤りも許さないように間合いを見ながら、布陣を整える。


 ガーランドがおもむろに口を開いた。


「参考人を連れて参りました」

「わかった。そこのふたり──」


 辺境伯がふたごのことを言っていると、当人が自覚するまでにしばらく掛かった。


「えっ、アタシ?」「ボク?」


 ガーランドが背中を押すのと、辺境伯が無言で手招きするのは同時だった。

 ふたごは緊張しながらも、辺境伯の前に立った。鼻の下で切りそろえられた口ひげに、亜麻色の美しい長髪──透き通った空色の瞳が、油断なく微笑みを作って、ふたごをとらえた。目だけが、笑っている。


「メリッサ村の鍛冶師ラストフの息子と娘──そう聞いているが、正しいか」

「……はい」


 答えたのはルートだった。


「ラストフの行方が知れないことについては、そこの審問官からの報告で聞かされている。だからありのままを包み隠さず話せばよい。わたしはつくろった言葉は嫌いだからな」

「わかりました」


 またしても、ルートが答える。

 辺境伯はチラッとアデリナのほうを見た。少女は無言でうなずく。


「では、いくつか訊く。竜についてだ」


 かれが手にしたのは、獣皮紙を丸めた報告の書面である。ふたごは知らないが、これはガーランドがしたためたものだった。


 ひもとく。拡げる。左手の指で繰る。


「報告に拠ると──竜は古代種で鱗の色は黒。飛翔するための翼を有し、高さは九ひろ(※十六メートル強に相当)ほどだと言われている。両翼を拡げたときの幅はきっと十六ぐらいはあるだろうかな。尾を含んだ全長は推定十二。使用する魔術の類いは不明。ほかリュウノコケラをはじめ、多数の魔獣生態系を誘引したと目されているが、これ以外でわかる情報をくれないか」


 ルートはめくるめく速度で陳列する、魔獣関連の情報に追いつくのでやっとだった。


「えっと──まず言葉を話しました。話したというより、ボクたちに直接〝響く〟というのが近いですけど」

「何を話した?」

「ボクにはよくわからないことです。騎士と魔女の娘、とか、もう間に合わないだとか」

「娘、」


 無駄なく視線がアデリナを向いた。


「……」

「アデリナ。きみに訊いている」

「……ッ、はい」

「きみは何を知っている?」

「……デォルグ」

「それは?」

「ヤツの名前です」

「ほう」

「それ以外は……思い出したいんですが、アタシもよくわかってなくて……」


 ガーランドがここで割り込んだ。


「いちおう報告書に書いたとおりですが──」

「わかってる。瘴気しょうきの影響を受けて記憶に混乱がある、と。しかしいまわかる範囲で、むりにでも思い出してもらわねばならん」

「…………」

「ラストフの娘アデリナよ。いま言った情報はかなり大切なものだ。それだけでもきみの教えてくれた言葉には価値がある。断片的な物でも構わない。ヤツが魔術を用いるならば、その情報は細部がわかっていればいるほど助かるのだよ」


 アデリナは眉間にシワを寄せていた。ルートにとって、ふたごの姉がここまで苦しげに記憶をまさぐるのを初めて見る。


「そういえば、」と、ようやく、石臼からサトムギだか雑穀だかをすりつぶすかのような地道な作業の末に、言葉は紡がれた。


「あいつの眼──両方紅かったと思うんですが、片方だけ色を失ってました」


 そのひと言を聞いたとき、ルートは自分でも気づいてないことをよく憶えてるなと感心してしまった。


(ヘルマン司祭にはさんざん記憶力のなさを叱られてたのに──)


 もしかすると。いや、ひょっとして。

 リナはボクよりもだいじなことを知っていて、それを思い出したくないのでは──


 そんなことを、思ったが。


「ありがとう。いまのもだいじな情報だ」


 それから二、三、辺境伯のほうから誘導するように質問がなされたが、アデリナの反応は乏しく、ルートも憶えてないとしか言いようがなかった。それで、会話は終わった。


「まだ思い出す余地があるかもしれない。あと、これは星室庁の案件になるからわれわれが深入りすることはないが、そちらも重要なことだろう。ガーランド」

「はい」青年はふたたび口を開いた。

「われわれの部隊から数名、護衛を出す。このふたりはしばらくタリムのエヴァンズ商会傘下の旅籠はたごに留め置き、定期的に面会を要求したいが、いかがだろうか」


 星室庁の異端審問官は、眉をしかめた。


「わたしの一存では、判断しかねます」

「そうだったな。では、これも書簡ふみをしたためよう。おたがい面倒な身分に生まれたものだな」

「ひとつ、われわれの側から条件を付けるとするなら──」

「なんだ」

「かれらふたりをわたしから離す、といった結論になるものは受け入れかねます」

「なるほど」


 これを聞いて、ルートは納得いかなかった。


「ちょっと待ってよ。ボクら、まるまる星室庁の監視対象になったってことなの?」


 その目はガーランドを見ている。


「それについてはわたしからは答えられない。解釈も許されない」

「でも──」

「ルート。きみも教導会で正典カノンを修めた身ならわかるだろう。ただそれは言葉の通りでしかないんだよ」


 ガーランドの目は、ルートにはとても冷ややかで見下すように見えた。

 ぎゅっ、とルートの手がにぎられた。


「そうですか」


 たったひと言、絞り出すのでやっとだった。


 フェール辺境伯はその一部始終を興味津々に眺めていた。だがすぐに手を鳴らすと、周囲から騎士をひとり呼び出して、三人を元に戻すように伝えたのだった。

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