魔女と騎士篇

第1話 白か黒か

 夜明け前が一番暗い。そう教えてくれたのは、いったいだれだったのか。

 暁の空──青紫が赤紫に移り変わり、地平線の彼方から支度する日の出が、逆にこの世に影を落とすそんな時間のことである。


「寒ッ」


 ボロの外套を重ね着してうずくまるのは、ひとりの少女。しかし髪は短く、ところどころにほつれたような丸みを帯び、少年のような面影を残している。


 ここは城市タリム──その市壁前。

 壁外区。

 門。

 巨大な鉄格子の出入り口。

 それが彼女を含む、群集の待望しているものの正体だった。


「なあガーランドさん。いつになったら市壁の門が開く……」


 言いかけて、やめた。


 見上げた先には、単眼鏡モノクルの青年が同様の身なりで座っていた。

 だがリナが黙ったのは、そのたたずまいがどこかひとを非難するような険しい目つきをともなっていたからである。


 そうだった、と少女アデリナは思い出す。


 彼女はいまこの男ガーランドから然るべき処置をもたらされる、その待機時間のまっただなかにいるのだった。

 罪状は、聖遺物の不正利用。

 および禁忌の黒魔術の行使。

 だからなのか、傍らにいるふたごの弟ルートもそわそわと落ち着きなくふたりの様子を見つめている。


(でもあれは仕方なかったよな)


 アデリナは思う。

 昨夜の襲撃──魔獣と魔女による絶え間ない混乱のなかで、がむしゃらに振った剣一振りがどこまで罪なのか、と。


 そもそも。


 いまはこの手にない剣が、指定聖遺物であることも、言われて初めて知ったのだ。

 あえて不正を犯した、それならわかる。

 だが知らずに手をつけた罪ということにアデリナは内心納得していない。


(べつにいいじゃんか。減るモンじゃないし)


 彼女のこの考え方は、のちに誤っていたことが思い知らされる。


「開門だ」


 突如、ガーランドが口を開いた。


 鉄格子のなかで、城市所属の衛士たちが、動き回っている。そのうち鎖の軋んだ音が響いて持ち上がるそぶりを見せた。


 ごおん、ごおん、ごおん──

 あとを追うように〈時の鐘〉が朝三課を告げた。


 その残響がとどろくなか。

 朝日はついに顔を出した。


「さあ、行こう」ガーランドは言った。


 硬い声色が、これから始まる無数の旅路の困難を予感させたのだった。



     †



 ところが予感はあくまで予感でしかなく、それはちっともあてにならなかった。


「ベッド寄越せ! アタシゃ眠いんだよ!」

「うるさい! リナのほうが体力あるんだから譲ってくれたっていいじゃんか!」

「弟のくせに生意気だ!」

「ふたごだから姉も弟もあるか!」


 ガーランドはさっそくどうでも良いことで頭を抱える羽目になったのだった。


 ──まずは落ち着いて話せる場所を。


 城市タリムに入った旅路の先導者が最初に探し求めたのは、旅籠屋だった。

 石畳の街路を進み、朝の清掃にはげむ〈ルリツバメの泊まり木〉亭に入った。丁稚でっち奉公の少年に声をかけ、なじみの客だと伝えるなり足早に亭主に話を通してきた。それほどのお得意様、というわけだった。


 二階の奥まった個室部屋に、ベッドがふたつ。ひとつ足りないな、といったとたんにこの騒動なのだった。


「ふたりとも……しずかにしてくれ」


 枕が飛び交う。


 ガーランドもさすがに礼儀正しく、というわけにはいかなかった。

 たまたま空中を通りがかった枕を片手でつかまえると、すかさずアデリナに投げ返す。「ぶッ」勢い余って床に倒れる少女を尻目に、ルートとの間合いを詰めた。


 少年は、あんぐりと口を開けていた。


「とりあえず落ち着いてくれないか」

「……はい」


 ルートはベッドに、アデリナは床に、そしてガーランドは手頃な椅子を捕まえて、それぞれ腰掛ける。


「さて」と咳ばらいをする。「これまでのことと、これからのことを、もう一度おさらいしようか」


 彼ら三人は、まず黒魔術結社〈イドラの魔女〉の手から逃れてきたばかりだった。


 馬車道を抜けて、さらに辺境の街道に合流してからさらに進んだその先。

 まさにここ、城市タリムまで、ガーランドはふたごを連れて急いできた。


 その道すがら、少女アデリナが手にした剣のことやふたごがしでかしたことが黒魔術の一種である旨も告げた。

 しかし一方でそれがなぜそうなのか、いったいどういうことなのかの説明は省いた。


 それをこれから始めようとしている。


「きみたちは、まず魔術を白と黒に分けている教導会の教理をどこまで理解しているんだろうか」

「ええと、あれ?」とアデリナ。

「白魔術は通称で、〝自然魔術〟とも呼ばれます。自然の真理・法則・本質を知り、これを扱うことを指します」


 ルートはすらすらと答える。


「他方、黒魔術の正式な呼び名は〝降霊魔術〟であり、その名の通り霊を扱います。女神が作りたもうた自然の摂理せつりから離れたもの──特に死んだものの精霊やたましいを扱うため、原理が魔法として説明しがたく、危険を引き起こすことから邪法とされています」

「聖典から引き写してきたようなすばらしい回答だ、ルゥ」

「…………」

「だが、リナがわかってなさそうだからもう少しわたしから説明を加えるよ」


 見ると、アデリナの両目の焦点が合っていない。


「リナ。きみの言葉で、いま知っていること、わかっていることを話してくれ」

「うーん、ええと」


 アデリナは目を細めて左右に言葉を探している。


「白魔術が安全で、黒魔術が危険ってことぐらいかな」


「まあ、それでいいさ」と、ルートの顔がしかめ面になるのを見て、「神聖神学の学科を勉強していない、いわゆるふつうの人々にとって魔術とはこの程度のことなのさ」

「でもそれは正しくないですよ」

「そうだな。だからその話をしよう」


 ガーランドはいったん部屋を出た。しばらくすると、窓ほどの大きさの黒い書字板とチョークを持って戻ってきた。


 書き込む。


「例えば、高いところのモノが、支えを失うと、低いところに落ちようとする。これはだれも詳しく説明しないが、〝当然〟だと思われていることだ。リナもそのことは不思議に思わないだろう?」

「うん」

「そういう〝当然〟な物事の移り変わりのことを魔術の用語で『法則』と呼ぶ。また──」


 球体が落下する絵に加えて、ガーランドは器用に果物の絵を描いた。


「アケツヅ、という果物くだものがある。北方で産する甘い木の実で、朝焼けに露を受けて輝くことからいにしえの詩人が〈朱星アケツヅ〉と呼んだ。いまはこう呼ぶことが〝ふつう〟になっていて、。『アケツヅ』という呼び名は、われわれでは甘くてみずみずしい赤い果物と全く同じ意味を持つ。こういうことを、魔術の用語では『真理』や『本質』と呼ぶ」

「…………」

「わかるかい?」

「まあ、なんとか」


 アデリナとしては、まだ腑に落ちてないようだった。


「白魔術はね、こういう〝ふつう〟だとか〝当然〟なものを組み合わせて、物事をうまく使いこなそうとすることだ。だから、すごく理屈っぽくなる。だが原理は説明可能なものによって作られている。正しい知識と正しい使い方が備わって、初めて魔術──魔法技術は意味を持つんだよ」


 例えば、風車。水車。帆船。

 歯車じかけの機構も。

 城市に架かる水道橋の設備も。

 城を建てる工具器械類も。

 白魔術の研究がもたらす鉱物、四大元素の知識がそれを可能にしている。


 しかのみならず。


 医術師ギルドがもっぱら扱う生薬きぐすりや人体の知識、関連する動植物の生態や生息地。

 工匠ギルドが加工する毛皮や石、木材などの素材に対する本質の知識。

 そして、星室庁お抱えの白魔術師──彼らは星読みの術をもって、神々のまします天球のことわりを読み解く。天地の調べを知り、日々の、月の、そして年単位の実りを予見する。


 言うなれば、知識。

 それこそが白魔術の根源なのだ。


「だが黒魔術は、この真逆なんだ」

「逆ってことは間違ったことから始まるっていうのか?」

「そうだ。もう少しちゃんと言い換えるなら、〝そうかもしれない〟と思ったり感じたりしたことが、そのままホンモノのように振る舞い続ける──そのような術のことを、秘密の〝黒〟と掛けて黒魔術と呼ぶようにしている」

「……?」

「例えば、落ちている縄を、〝蛇〟だと勘違いしたことがあるかい?」

「んー、ないわけじゃ、ない」

「じゃあ、悪い夢を見て〝幸先が悪いな〟とか、嫌な感じがしたことは?」

「……ある」

「黒魔術のきっかけは、そういう個人的なことやうっかり信じ込んだ感覚から生まれる。誤りというには、あまりに身近なもので、でも周りからはわかりにくいモノによって、それは生み出されるんだ。しかしだからと言ってまったく法則性がないわけじゃない」


 さて、とガーランドは書字板に刻んだチョークの粉をボロ布でぬぐって落とした。


「炎は、何色をしていると思う?」

「えっ?」

「答えて」

「……えっと、赤色かな」

「うん。では、このコートの色も赤だ。きみはこのコートを炎だと思うかね?」

「いや」

「では、これを揺らしてみよう」


 ガーランドが脱いだコートが、左右に振り子のように揺れる。


「どうだい? 炎に見えるかい?」

「いや、ただのコートだよ」

「これでもどうかね?」


 青年は揺らし方を変えた。横ではなく、縦に、ゆらゆらと波打つように。

 アデリナの目には、それは風に揺れ動く炎のイメージに映った。


「うーん、言われると、そうかも、と思うぐらいかな」

「ありがとう。黒魔術というのはまさにこうした手口の積み重ねによって作り出される、一種の詐術だ」

「手品ってこと?」

「いや、そうじゃない。これを可能にする〝力〟は明確に存在する──それが『霊』と呼ばれるものだ」


 ガーランドの説明は、『霊』をかんたんに『真理』や『本質』を直接感覚するものだと定義していた。

 喩えるなら、自分の身体をまとうヴェールのようにそれは常に自身を包んでいる。


 手で触れるより前に。

 肌で感じるより前に。

 自らの霊は、だれかの霊を──熱いとか冷たいとか、硬いとか柔らかいとか、どんな属性で、どんな性質なのかを、知覚している。


 そう説明した。


「この『霊』に働きかけて、法則に反すること、真理ではないこと、本質とはかけ離れたことを実現するのが黒魔術なんだ」

「てことは、すげーじゃん」

「リナ」

「はい。でもそれは異端ナンデスヨネ」

「そうだよ。だがなぜ異端なのか、それはわかるかな?」

「うんと、人を騙したり、白魔術で言うところの法則を破ったりするから、かな」

「いい線をいっているね」


 ヘルマン司祭だったら、きっとこれだけでアデリナを褒め称えたことだろう。

 しかしガーランドは余裕のある笑みで、付け加えた。


「でも、そうじゃない。教導会がなぜ黒魔術を禁忌とし、ひとびとにうかつに使用を禁じるのか──それは」


 言いかけたとたん、アデリナの目の前が真っ白になった。

 がくん、と膝をつく。

 そのまま頭を床に叩きつける直前に、ガーランドがそれを助け起こした。


 意識を失っている。

 だがガーランドは呆然とするルートに対して、言い聞かせるつもりで続けた。


「──代わりに何を失うことになるか、わからないからなんだよ」

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