はじめてのおつかい(後編)

 目的の買い物をだいたい済ませて、あともう一軒かというところのことだった。


 ふたりが気になるものを見たのは。


「いこうぜ。なあ」


 喧騒のなか、たまさかクッキリ耳に届いた言葉に引っ張られたかのように、アデリナは振り向いた。

 そこには人だかりがあった。コダチスモモの樹の下、昼下がりの陰を受けて、涼んでいるようでもあった。


 だがみなが浴びているのは風ではない。もっと匂うような、耳に優しく語りかけてくるような歌声だったのだ。


 いましがたアデリナの注意を惹いた子供たちも、聴衆たちに合流する。


 ひとびとが取り囲んでいたのは、あかがね色の美女である。

 金色にも見えるひとみを潤ませて、歌物語を弾き語る。傍らには竪琴を、爪弾いて、空気のひとつひとつに触れていくように、音はこぼれおちて、聴衆の耳にうるおいの一滴をしたたらせる。


「『勇者アスケイロンの悲歌』だ」


 美しい旋律と、悲しみを奥底に秘めた歌声がつづるのは、アデリナもよく知った話だ。


 かつて叙事詩圏が〝暗黒時代〟と呼ばれた頃──いまからそれは四百年もまえのことだと言われている。聖女アストラフィーネが天からのささやきを耳にし、告示を授かるのと同時に、その乙女を守るための戦士がいた。


 名はアスケイロン。まだ村の青年だった。


 暗黒時代は群雄割拠の時代だった。まだ聖櫃城の恩恵を受けていない封建領土が無数に広がって、領主たちが自分のことしか考えずに戦さを繰り返していたのである。

 その時代にあって、神々の告示を受けた聖なる乙女を守護する誓いを立てた、まさにその人物がアスケイロンその人だった。


 もちろん元から強かったわけではない。

 最初はあくまで旅のお供程度だった。しかし数々の試練を経て、聖なる力を獲得した乙女から祝福されることで、無双の戦士になったという話だった。


 その時に受け答えした宣誓の言葉は、後の世に『勇者問答』として遺されている。


 物語は聖なる乙女アストラフィーネの〈大統一〉を前にして、凶刃に斃れるアスケイロンの一代記を回想形式で綴る。

 数々の試練と戦いの果てに、平和への祈りを唱えて終わる、この物語はひとびとの心を捉えて離さない人気のお話だった。


「やっぱりいいよなあ」

「…………」


 ルートは眉をひそめた。


 ふつうこの物語を聞いた婦女子は、みな聖なる乙女の身空を嘆き、勇者アスケイロンのような騎士を恋焦がれる。

 そういう話として作られ、語られ、人気を博していたのだが。


 アデリナは、これを聞いた感想が──


〝アタシもアスケイロンみたいに強くなりたいな〟


 であったのだ。


 だから。

 ルートはそのひと言が、夢見る乙女のものではなく、むしろ奮い立つ幼き戦士の武者震いにも似た感情だったのだろうと思った。


「アタシさ、やっぱり騎士学校行きたいんだけどな」

「行けたら苦労しないよ。ヘルマン司祭にはまだ反対されてるんでしょ?」

「父さんは手伝ってくれるって言ったぞ」

「ほんとにぃ? 村の鍛冶屋のクセにどこにどういうがあるのさ。アテはやっぱり教導会司祭の推薦状に尽きるよ」

「そんなに言うならルゥがこう、うまいことやってさあ」

「せめて日頃の行いがよければねえ」

「あーもう、ルゥはアタシを助けたいんだか、けなしたいんだか」

「まあ、どっちでもいいけど」

「毒っ! 毒でてる!」

「あー、聖なる乙女よ。いまの言葉を悪口とおとらえいただかないよう、お祈り申し上げます」

「このふとどきもの!」


 そうこうして、ふたりは買い物を終え、ついでに蜜菓子を買って、頬張りながら、帰路についた。


「しッかし、司祭様はこんなに薬草とか買ってなにやるつもりなんだろな。白魔術や医療はガーランドさんがいるのにさ」

「それはボクにはわからないよ。でもまあ、いいんじゃない?」

「まあ、美味しい思いもさせてもらってるしな」


 メリッサ村の木戸が見えたころ、向こうの側に手を振る影がある。

 おーい、と聞く声は、よく耳にした、壮年の男の声である。


(なんだ、父さんか)


 アデリナはそう思った。ふたごの父ラストフが、ヘルマン司祭よりことづけを受けてかれらの帰りを待っていたのだった。

 ふたごは互いに顔を見合わせた。それからどっちが先に村の木戸につくか、競走した。走って、走って、追い抜いて、追い越して──すっかり泥だらけになったふたごを、ラストフは、ヘルマン司祭は、苦笑しながら叱責したのだった。ふたごは、そんなありきたりな日常をうとましくも思い、楽しんですらいたのである。


 そう、これは遠く過去に取り残された、そんなただのなにげない日常──

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