第8話 星室庁から来た男

 ユリア婆をベッドから起こし、とりあえずテーブルに就いてもらった。

 丸イスに腰掛けたユリア婆と、ルゥ。

 リナは壁にもたれかかって、落ち着かな気にビンボーゆすりをしている。


「それで、こりゃなんの騒ぎなんだい」


 口を開いたユリア婆に、ルゥはゆっくりと一部始終を語った。


 ラストフがいなくなったこと。

 ふたりから記憶が失われたこと。

 それで界嘯かいしょうが起こったであろうこと。


 捜索隊がはなれ山に向かい、禁域である〈不入いらずの森〉を探ったであろうことまで語ると、ユリア婆は「なっとらんねえ」と首を振ったのだった。


「あれほど〝入るな〟と言ったのに……若い連中、みんな行ったというんかえ」

「あ、いえ。その辺のことはボクたちにはよくわからないんです。それに──」

「それに?」

「ボクたちも、結果的に〈不入の森〉に入っちゃったんです」

「…………」

「お母さんのお墓参りをしたときに、闇蜘蛛オドラデクを見つけて、それを追いかけているうちに、その……」

「いいよ。しょうじきに話しな」


 それで、ルゥは洗いざらいぜんぶ話した。

 古井戸の底。

 謎めいた石の回廊。

 そして碑のある森の聖域。


 また。


 黒竜に遭ったことも。

 聴いた言葉も。

 剣を手に魔獣と戦ったことも。

 その剣が消えたことも。何もかも。

 リナは止めなかった。

 だがユリア婆の目の色を見る限り、そこには避難するそぶりがなかった。


「……以上が、すべてです」

「ふうん」


 ユリア婆は、両手で顔を覆った。まるでいままで眠っていたぶんの目やにをすべて拭い去ってしまうかのように、ゆっくりと上から下へ、顔をなでていた。

 ふうーッ、とため息をつく。長い長い息だった。風を吹かせているかのような。


「時が、来たんだあね」


 その意味が一瞬素通りした。


「……時?」

「ああ。これは予言されていたことだったのさあ」

「だれに?」

「エスタさ」

「エス……ッて、お母さん?!」

「ほかにだれがいるんだあね」


 ユリア婆は意地悪げに笑った。


「ルゥ。お前さん、よく物事を考えるけれども肝心なところは詰めが甘いね。黒竜が言ってたんだろ。〝騎士と魔女の娘〟って? あんたはどうだい。さしづめ騎士と魔女の息子ってところじゃないかい」

「え、でも、お母さんが、魔女?」

「そうさね。べつに驚くようなことじゃあないねえ」

「いやさすがにそれは驚くようなことだろ」


 リナが思わず壁から身を乗り出していた。


「じゃあ、父さんが騎士ってこともほんとうなのか?」

「そうだあよ」

「はあ?!」

「ま、これはいまのいままで話されてなかったことだからねえ」


 ユリア婆はふたごの反応が面白くて仕方ないと言った様子だ。


「こりゃ話すと長くなる。だから細かいところはもっと詳しい人に訊きなあね」

「えっ、だれ?」

「まあそいつはいま御使いに出てるから、わたしがの部分だけ教えたろう」


 あれは雨の激しい夜のことだった──


 ユリア婆の語りは、まるでその口から別の現実が飛び出してきたかのように、ありありと、ふたごのまぶたの裏へと、その光景を浮かびあがらせた。


「わたしゃね、この村の起こりからずっと。ずっとここで、暮らしてきたんだ。雲海山脈を見晴かすこのメリッサ村は、叙事詩圏ではそりゃあ辺境のド田舎さ。だからね、こんな村にやってくるなんて人はめったにいない。ましてや用なんてあるわきゃない──」


 ただ、その夜は違った。


 家屋の門戸を叩く女の叫び声──当時まだ足腰も動いたユリア婆が、黒い濡れ髪のその女を迎え入れることになった、その夜は。


「夫のケガがひどいってんで看たんだがね、そりゃひどいもんだったよ。なにせ片腕失くなってんだ。ずっと包帯でキツく締めてたんだろう。癒しの術も使ってた。しばらくは塞いでたんだろうけど、また開いたって言うんだからたまげたもんさ。わたしはこりゃア呪いの一種かな? て訊いた。その通りだったさあね」

「それが、お父さんとお母さん──ラストフとエスタルーレの物語なんですか」

「ああ」

「でも、なんで……」

「マ。わたしが知ってるのはね、あんたの父親がラストフって名前で、いまは鍛冶屋なんかやってるけど、もとは聖櫃せいひつ城に仕えた騎士だってことだあよ」

「聖櫃城……ッ!」


 リナは目を輝かせた。

 ユリア婆は眉をしかめた。


「だけどねえ、何やら訳アリで身元を隠したがった。城市まちに住んで市民になるならともかく、こんな辺境の村落じゃア、いちいち身元なんて調べやしない。村長も二つ返事で了承したさ。で、鍛冶屋ラストフの出来上がりってわけだあね」

「じゃあ、お母さんは? 魔女って言うけど、なんでそんな、敵対してるはずの聖櫃城の騎士と……」

「ルゥ、ルゥ。いまだからあえて言っておくけどね、魔女は決してこの世界の敵ではないんだよ。ただ草花と薬の記憶に触れて、知恵に長けているというだけなんだ。なぜってわたしもその魔女のひとりだからねえ」

「ッ?!」


 ふたごの表情を見て、ユリア婆はクツクツと笑う。


「まッたく、あんたたち見てると飽きないったらないよ。でも、時間があんまりないからさっさと話を続けるよ」


 チラッと窓の外を見やってから、


「ふたりはある事件のせいで、こんなド田舎に逃げるしかなかった。エスタがすでに身籠っていたから、へたに動けなかったのもあっただろうね。とにかくそこに暮らしてまもなく、ふたりは子供を産んだ。それがお前さんたちだ。だがふたりが巻き込まれたっていう事件はまだ終わっちゃいなかったのさ」


 〈エル・シエラの惨劇さんげき〉──と。


 ひと言。

 たったひと言。


 それだけが、場の空気を制圧した。


 この辺境の村落ですら。

 ふたごですら。その名は知っていた。


 なぜ魔女が叙事詩圏の敵であるか──

 それを端的に物語る。まさに惨劇。


「お前さんたちの親はね、その生き残りなんだよ」

「父さんと母さんが……?」

「そうさ。十四年前、かの聖域エル・シエラにおいて行われた黒魔術──その現場を取り押さえるため聖櫃城の騎士たちが魔女を鏖殺みなごろしにした、あの事件だあね。あれ以来、魔女ってのは組織的に黒魔術を使い、あまつさえ界嘯かいしょうを意図的に起こすと言われるようになっちまった。でも魔女ってのはそういう存在じゃないんだ。なあ、若造?」


 急に肩越しに話しかける。

 その声を追いかけて、見た先は。


「……ガーランドさん」

「え? なんで?」


 単眼鏡モノクルを付けた金髪碧眼。小洒落た青年は、今となっては泥と汗にまみれた外套をまとって、立っていた。


「やあ」あっけらかんと、あいさつする。


「遅いよ、若造。おかげでしなくて良い話を山ほどするハメになった」

「おやおや。かまどを傍らに聞かせる昔語りは、なによりもお身体には薬だったのではありませんか?」

「はン。よく言うわい」


 ポカーンと呆けた顔のまま、ふたごは青年と老婆のやりとりを見つめている。


「どうも、われわれは子供たちを置き去りにしているようですよ」とガーランド。

「そうかい。じゃあ喋り疲れたし、あんたに説明を代わってもらうとするかえ」

「はいはい」


 降参するかのように両手を挙げる。

 それから、リナとルゥ、ふたりの顔を見て、ほほえんだ。


「改めて自己紹介しよう。わたしはガーランド。いちおう医師ギルドに所属している。ただ、わたしにはこれとは別にもうひとつ、顔を持っていてね」


 だしぬけに嵌めた白手袋の、その甲には。

 七つ角の星と、一本の線。

 〈聖なる乙女〉が志した希望の星を、指し示す装飾杖を模すそれは象徴だった。


「〈七芒星しちぼうせい王笏おうしゃく〉──ってことは」

「そう。わたしは星室庁所属だ」


 つまり、異端審問官を意味する。


「黒魔術の取り締まりと、異端結社の摘発てきはつなど、任務はもっぱらそっちだね」

「え、え、え?」「はあ?」


 左見とみ右見こうみ、右往左往のふたごである。


「先に疑問に答えておくと、そこのご老嬢が魔女であることは知っている。知っていて、ある調査に協力してもらっていた」

「ある調査って?」

「結社〈イドラの魔女〉の捜索だ」


 ここ十数年間でもっとも勢力を伸ばしつつある黒魔術結社の名前がこぼれたとき、ふたごはもうなにが起きても驚くまいと、心のどこかであきらめるようになっていた。


「で、外の調べはどうだったんだい」とユリア婆がしびれを切らした。


「ありましたよ、五芒星の魔法陣。どうも種蒔きに合わせて仕込んだらしい。タケダカソウの草むらに隠れてました」

「術者は?」

「おそらく、まだ遠くないはずです」

「そうかえ」


 ルゥは好奇心を堪えきれなかった。


「あ、あの。ガーランドさんは何を」

界嘯かいしょうの原因をつかんだ」

「えっ?!」

「どうも意図的に引き起こされてる。〝奴ら〟が動いたと見て間違いないだろう」

「エル・シエラと同じ手口かい」


 ユリア婆が割り込んだ。


「そのようです」

「ふうん」

「野良の魔女としては、やはり許せないことなんでしょうかね」

「不名誉なことだあね。黒魔術は良識ある魔女なら手を出さない」

「なるほど」


 ガーランドはそれから、ふたごのほうを見やった。


「結社〈イドラの魔女〉は、エル・シエラで黒魔術を働いたかどで星室庁の監視対象に入ってる。でも、わたし自身は魔女狩りとは縁が薄いなほうでね。魔女だからという理由でむやみやたらに取り締まるのは、あまり良いとは思っていないんだ」


 ただ、と。

 付け加えた。


「きみたちのご両親については、少し訳が違う。ラストフという名で呼ばれているきみたちの父親は、かつてはノエリク・ガルドという名の騎士だった。かれは魔女に寝返って黒魔術を助けたことの罪がある。

 そしてきみたちの母親エスタルーレは、よりタチが悪い。なぜなら、結社〈イドラの魔女〉の幹部のひとりでもあったからさ」


 すでに驚き疲れていた。

 だが決して驚いてなかったわけではない。


「…………」


 ふたりはガーランドを見た。


「信じられない、て顔だね。だがこれがきみたちの知らなかったご両親の秘密だ。そしておそらく、きみたちの父ラストフがいなくなったのには、この事件と無縁ではないはずだ。でなければ、〈イドラの魔女〉がこの辺境にわざわざ来る理由がないからね」

「あらそう? わたくしはエスタのほうに用があったのだけれども」


 唐突に、背後から掛けられた言葉。

 それはこの場にいる、だれのものでもなかった。


 まさか、と振り返る。

 今度はガーランドが驚く番だった。

 戸口に立って一行を見つめるは、たったひとりの少女である。


「なぜ、こんなところに……」

「ふふふ。さあてね。うわさされると気になっちゃう性分なのよ」


 不敵にほほえむその目には、五芒星の呪印が浮かび上がっていたのだった。

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