おわりに

読書少年は、音楽へのあこがれと諦めという必要な過程を経て、社会人になった。

生きていくなかで色々と大きく変化していったが、コミュ障と内側にあるふわっとしたものをなんとか形にしようとすることだけは、第二次性徴期以降変われなかった。


今でも意味もなく音楽制作ソフトを立ち上げてしまうし、DTM関連のニュースが流れてくれば読み、たいして使いもしないのに買ったペンタブを取り出したりもする。

今もロクに書いてこなかった文章を唐突に書いてみたりしている。


子供が絵を描いたり粘土をこねたりするのと同じように、なにかを出力したいというのは人間の本能に近いところにあるのではないか。


だからこそ「なんか作ってみたいな」と思うならやるべきだと断言できるし、多少なり楽しめるのであれば、それは義務的にではなくやりたいときにやるくらいのハードルの低さで継続すればよいと思う。


生活がかかってないなら無理に走り続ける理由もない。

疲れてしまったら休めば良いし、やりたくなったらまたやればいい。

こういうのは、長く楽しく付き合っていけるのが一番良い。


あとは、実際に自分でやってみると「絵とか文章、音楽作るのって大変だー」とか色々、ほんとに色々と、世にあるものに対して思うようになる。


そういう経験で、少しだけ人に優しくなれるかもしれない。

それだけでも、十分やる価値はあると思う。

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表現者になることを諦めた人間の話 ゆるふわ @tetu_fs

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