本題
まずそもそも、僕は創作に向いている人間なのだろうかという疑問が浮かんだ。
表現したいことがないわけではない。
だが、具体的ではない。
人の依頼というものは、少なくともその依頼者にはなにかしらの答えがある。
そこがゴールとしてある程度汲み取ることができれば、作り切ることができる。
だからかろうじて、仕事としての音楽や依頼を受けてのオリジナルはこなせていたのかもしれない。
自主的な創作の場合は、内外から与えられた刺激によって、自分の中から出てくるものを形にする作業になる。
わたあめのようなものを、なんとかわたあめのまま形状を作っていくような、そんなイメージ。
僕は自分の中にあるふわっとしたものや、モヤッとしたものを具体化するという、創作において非常に必要な工程が本当に不得意なのだと感じた。
次に、僕自身が何かを発信するということが得意ではないのでは?と思い考えてみた。
なにかのために、という自分の外にある理由では可能だが、理由が自分にある時、誰かを巻き込むこと全てに抵抗がある。
SNSでくだらないことを言ったり、現在進行系で同じゲームを遊んでいる友人に声をかける、誰かとシェアする外食で自分が食べたいものを決める、20年以上の付き合いがある友人に自分から声をかけるなど、全て。
おそらく、変に考えすぎなだけで誰も気にしてはいないんだろうし、むしろ考えてないくらいの方が喜ばれる可能性すらある。
創作に話を戻すと、その時の感情や思いのまま勢いに任せて出力するもののほうが、完成率も完成度も高い傾向にあることを踏まえると、僕は『考えてはいけないタイプの人間』だったのだと、今になって思う。
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