MMEI-0009 シルバーストーク
俺がこの配信活動を始める事になった大きな理由。それがシルバーストークだ。もちろん、シルバーストークが悪いということではなくて、自分がシルバーストークを使って起こした行動が発端となったということだ。なつかしいな、かわいかったな。
「主任、信号の発信源が近いです。」
あの時出会った個体に、もうすぐ出会える。特別仲良くなれたので、発信機を付ける事ができたのだ。あまり大きなものや、邪魔になるものは拒否されてしまったが、首輪をつけることは嬉しいようだった。
「あおおあお、あおおあ。」
向こうからやってきた。最初に声をかけてくれている。
針葉樹の下で、木に手をかけて、二足で立っている。こちらが姿を確認できたことに気づくと、ゆっくり歩いて近づいて来る。
臭いを辿って会いに来てくれたのだろう。覚えてくれたこと、好意を忘れないでいてくれたこと、嬉しいなあ。そして、相変わらず近くで見ると大きいが、威圧感はない。多分、そう見えないようにシルバーストークが気を使ってくれている。
「あおおあお、あおんあお。」
(久しぶり、元気してた?)
「ぉん。」
やり取りはまだできる。単独でいてくれてよかった。それを喜ぶのは、こちらのわがままというものだが。
今回の実験からは、彼女らとの会話で便利なものを利用できる。シルバーストークの鳴き声の翻訳機だ。
鳴き声には言語性があって、解析することで意味が分かるようになったのだ。そのテストを兼ねつつ、モンスター娘調査団の活動を配信で見せていきたい。本番の前に、まずは使えるかのテストからだ。
『俺たちは、どれくらい一緒にいられる?』
『さむいのあいだ。』
多分、冬季の間はここにいて、その間一緒にいられるという意味だ。すごい! これは使えるじゃないか。
「アキラ、お前のほうの翻訳結果はどうだった?」
「はい。同じです。」
問題はなさそうだ。頭に付けたアームへとスマホを取り付ける。これも新兵器。
配信開始。
「皆さん、お久しぶりです。氷点下の大地からお届けしまーす。」
<おひさー>
<よっハメられ屋!>
<温度計表示たすかる>
気温はマイナス2度と低いが、これでも日中の温かい時間だ。夜になればもっと冷え込むから、吐いた息が瞬時に凍るくらいになる。
「今日のゲストは、シルバーストークです。人間よりも大きくて強いモンスター娘ですが、とても友好的です。」
じゃじゃんと手を広げて、シルバーストークを紹介する。簡単に言えば、狼の頭と手足を持っている大きな女の子だ。白と灰色の毛が、体中尻尾まで生えそろっていて、雪や氷に紛れている。
なんのことだか理解できていないシルバーストークは、首をかしげた。
<モフモフヤッター>
<ケモ巨女とか最高なんだが>
<ウチの犬が怯えてる>
<顔凛々しすぎか?>
<服着せなくてええんか 俺はええで>
そう、今回から服は必要ではなくなった。なぜなら、他の一般的な動物同様の扱いとなったからだ。広報部から配信サイトに問い合わせていたのだが、その返答をもらえたのだ。
おせーのよ!
ペタアンブレラの時の苦労はなんだったのやら。気を取り直して、シルバーストークと向かい合って、会話をはじめよう。
『この板の中に、小さな俺の友達がいる。挨拶して?』
『いないのなかま、あいさつ、ほうほう、おしえる。』
実際にはシルバーストークの鳴き声で行われた会話であるが、翻訳の結果を配信画面にテロップで表示している。
「皆、見えてるか? 今俺は、この子と会話しているんだ。モンスター娘生態調査団で開発した、シルバー・トークで翻訳してる。」
<急に犬になったから何事かと>
<こんにちは!>
<やっぱ口の形それだと吠えるしかないか>
<本当にそう言ってるのか?>
どうやら表示は問題ないようだな。今度は何をすれば挨拶となるか、教えてあげればいいだろう。
『こんにちは、って言うだけだよ。』
『こんにちは。』
シルバーストークがスマホに、鼻を押し付けながら挨拶してくれた。言葉が通じていることが、完璧に証明できたな。
<めっちゃフンフン言っとるw>
<ハグとキスか?アメリカなのか?>
<アッ(絶命)>
言葉と言えば、人間同士だって完璧な疎通は難しい。だから、この翻訳機が毎回正しい意味を教えてくれるかはわからない。ただ、大体何を言わんとしているかがわかれば問題ない。なにも言葉だけがコミュニケーションではないからな。
シルバーストークが鼻を押し付けたのも、臭いを嗅ぐためだろう。スマホの中の、俺以外の人間の臭いを確かめたかったのだと思う。こういった、言葉以外のコミュニケーションを試してみよう。
『頭を撫でたい。』
『はい。』
シルバーストークが、俺の頭を撫でてくれた。違う! 俺が頭を撫でたいから許可を取りたかっただけなのに!でも、不思議と心地が良い…。他人に頭を撫でられることなんて、まずないからな。
<逆で草>
<うらやましす!>
<こうしてみると手デカいな>
さて、いつまでもこうしてはいられない。何も言わずにシルバーストークの手を、優しく叩いてみる。すると、シルバーストークは頭を撫でていた手を引っ込めた。
「今みたいに、言葉以外でもコミュニケーションがとれるんだ。シルバーストークは、知能が高くて高度な社会性を持っているんだよ。」
その社会性は家族を作ることで発揮されるのだが、こうして実験をしていくうちに、別の種族にも通用することが分かってきた。もちろん人間の社会のことだ。
シルバーストークは、観察と思考を繰り返す事で学習できる。そうして、人間とは仲良くできると理解してくれたのだ。
『撫でろ。』
『お前も撫でて欲しいのか?』
シルバーストークが頷いた。ジェスチャーを理解しているのだ。そして、自分がやったことを自分にもしてもらうことで、それがどういうものなのか、学習しようとしている。
シルバーストークの頭が、俺の頭の上にくる。ちょっとやりづらいが、できないこともない。腕を伸ばして頭を撫でてやる。
<首結構太いんだな>
<デッカ!>
<ええもん拝ませてもろた>
『そろそろ疲れてきたんだが。』
『もっと。』
シルバーストークが、両手を地面について首を伸ばす。どうやら頭を撫でられるのが気に入ったらしい。この態勢ならまあ、肩が痛くなることはないか。
両手を使って、たてがみを掻き分けながら、頭をしっかり撫でてやる。シルバーストークは、フン、と大きく鼻息を上げて目を閉じた。気持ちよさそうな顔をしていると思う。
そうやって同じところを撫でていると、その内、少し首を動かして、撫でて欲しい所を教えてくる。そこを撫でてやると、大きく口を開いてあくびする。次第に姿勢が低くなっていった。
橘は胡坐をかいて座っていたので、シルバーストークの頭は、やがてその中にすっぽり収まるところまで下がって来た。お互いに、とても楽な恰好となった。
ほとんど頭の全てを撫で終わる頃、シルバーストークは不意に目を開き、瞳の動きだけで橘の顔を見上げてきたので、橘も優しい眼差しを送る。すると、シルバーストークは身体をピンと伸ばしながら、うつ伏せだった姿勢をひっくり返して、腹を見せる。
橘は、顎の下あたりから首までゆっくり順に撫でていく。シルバーストークは、もっと撫でてくれと身体を押し付けてくるので、胡坐の中に納まっていた頭が、だんだん上へ上へとずり上がってきて、ほとんど肩を、橘に預けた状態になった。シルバーストークの落ち着いた呼吸の音が、間近に聞こえるようになった。
橘が腹を撫でていると、腹の短い毛とは別の感触を見つけた。肌より少し柔らかいふくらみが、八つほどある。なるべく避けて撫でようとしたが、不意にシルバーストークが動いたので、驚いて少し手を引いてしまい、胸の最も立派なふくらみに触れてしまった。ずっしりとしていた。
シルバーストークが、不思議そうに橘の顔を眺めるが、橘は少し、恥ずかしく思ってしまって、目を合わせられなかった。すると、シルバーストークは大きくあくびをして、立ち上がった。終りだと思ったのだろう。
<かわいいいいいい!>
<こんな慣れるの?>
<今対抗してウチの犬なでてるわ>
<大きい犬みたいだな>
<尻尾全然振らないのな>
「えー、このようにコミュニケーションがとれて、とても友好的です。ただし、単独でいる個体のみで、群れている奴はダメ。」
もともと接触していた個体が群れたので、試そうとはしたものの、全く特異能力が発動せず、威嚇されてしまったので、諦めたことがある。きっと、大切な家族を見つけたことで、必要がなくなったのだと思う。シルバーストークの特異能力は、単独で生き残るためのものなのだろう。
「ちなみに、がうがう言うのはシルバーストークに話しかけた時だけなんだ。今みたいに皆に話してる時は、普通に喋られてるだろ?」
『おなかすいた。』
「主任、鶏頭です。」
おお、不意に話を逸らされて混乱するじゃないか。
「ありがとう、アキラ。助かるぜ。」
『ごはん分けるよ。』
缶を開けて、大皿に鶏頭を盛る。それを、シルバーストークが手に取って食べ始める。シルバーストークの手は、ちゃんと手としての機能を持っている。人間と比べればそこまで器用ではないが、食事は文化的に取るのだ。
『おいしい。』
「空腹までなら大丈夫だが、飢餓状態になると狂暴化するんだ。だから接触している最中には、こうやって食事を与えてる。」
<自由かよ>
<カリカリは?>
<俺よりいいもん食ってる>
<どうせならステーキくわせたれ>
「人間の食べ物は塩分が多いから、与えないようにしてるんだ。」
普段は狩った獲物を食べているわけだから、そこまで塩分をとらないだろう。だから多分、塩分過多はシルバーストークにも良くない。
「さて、知能が高いとか、社会性があるとか、色々説明したけども。今回の配信でやっていきたいことは、文化的な事に対する受容の実験だ。」
『もっと。』
難しい言い方をしてしまったかな?簡単に言ってしまえば、音楽や絵画といったものを気に入るか試す。人工物だから、見たり感じたりしたことがないもののはずだ。そういったものにどういう反応をするか、受け入れられるのか、確認したい。
『なに。』
「臭いや音には敏感だから、まずは目で見るものから試そう。アキラ、用意してたものをこっちにくれ。」
「はい。三枚ともここに。」
三枚の絵である。
<なんかド下手なのあって笑った>
<絵具が匂うんじゃないか?>
<そもそも色見てるんかね>
皆いい疑問を持ってくれてる。でも、俺のは下手じゃない、味があるんだ。
「俺と、後二人が描いた絵をコピーしたものだ。インクの臭いを防ぐために、
俺含めて大体の研究員は、シルバーストークは色を見てないと思ってる。イヌ科の動物の視覚と、同じなんじゃないかってことだ。
『この三つ、どれが好き?』
絵のコピーを差し出して、問いかけてみる。しかし、シルバーストークはちらっと見た後、すぐに興味を失った。食事をしていた大皿の隣に、腹ばいになってしまった。
『絵には興味ない?』
『ない。』
<即答www>
<若干食い気味で草>
<鶏頭少なくてスネたんじゃ>
まさかここまで興味を持たれないとは。しかし、嫌いではないと思うから良しとしよう。
「あっけなかったが、次は音楽を流してみようか。」
『人間が好きな音を流す。音楽って言う。』
『たのしいのおと。』
まずはシティポップから。明るくて軽快なリズムで、電子楽器が旋律を奏でる。シルバーストークはそのままの態勢で、耳をピンと立てた。そして、リズムに合わせて首を上下する。
<音楽好きなのか>
<ノリッノリwww>
<俺もこの曲好き>
気に入ったのかと思ったので、感想を聞こうとするが、丁度その時、シルバーストークがかすかに牙をむいて見せた。
「アキラ! 止めてくれ!」
『どうだった?』
『えもののこえ。』
なるほど、小動物の鳴き声という意味だろうか。高音がそう聞こえるのだとしたら、牙をむいた理由はそれか。流し続けると、本能のようなもので狂暴になるかも知れない。高音のものは避けるべきだな。
『たくさんのしんでる。』
<急に物騒>
<文化より本能か>
<襲われたらと思うとおっかない>
「多分、音を聞き分けてるんだと思うんだが、続けるのは危険そうだ。普段狩っている小動物の声に聞こえたんじゃないか。」
『おなかすいた。』
やれやれ、狩ったつもりにでもなったんだな。
『持ってくるよ。』
『はやく。』
「アキラ、悪いがおかわりを頼む。」
食べながらでもいいから、次の音楽を試してみよう。低音のみの丁度良いものがある。和太鼓だ。腹の奥にまで響く、特徴的な重低音。
シルバーストークは、口にくわえた鶏頭をそのままに、尻を振って和太鼓と同じリズムをとり始めた。
『かゆい。』
かゆいとは?意味がわからないし、よくわからない反応だな…。
<カンペーで草>
<食わせるか聞かせるかどちらかにしてやれよw>
<つられて体動いちゃうわ>
次第に慣れてきたのか、尻を振りながら食事を続けるようになった。これは、音楽を聴きながら優雅な食事をしているのだろうか。
『この音楽、気に入った?』
『かゆい。』
かゆいである。うーん、かゆみって要は痛みの手前というか、刺激だよな?今回は持ってこなかったが、和太鼓以外のものだとどうなるのだろう。
和太鼓の激しい締めに合わせて、シルバーストークの尻は、激しく痙攣するかのように上下した。和太鼓が終わると、元通りに大人しくなった。
『かゆい以外で、どうだった?』
『つよい。』
つよいな。確かに強いと思う。すごい感覚的な部分だが…。強くて痒いとは、どういうことなのか。
<かゆ…つよ…>
<尻尾めっちゃ振ってるみたいでニヤけちゃったわ>
<何度でも見たいから切り抜くか>
<実用性高いわ>
ありがたいことに、コメントは沢山あるのだが、その中にもしっくりくるものはなく…これについては謎が残ったな。今度また、別の楽器のものを用意して実験しなくては。
「他に用意したCDは、大体高音部があるんでやめにします。次はいよいよ臭いについて実験してみようか。」
『かゆい、強い。』
臭いに関する文化的なものについて、アキラと一緒に色々と考えたが、最終的に何でもよいと結論した。なぜかというと、極寒の環境では臭いの強い物が少ないからだ。それこそ、死んだばかりの動物の体の中くらいだと思う。
「人間でもキツい臭いは、シルバーストークにとって更にキツいと思う。だから、一般的に嗜好品として親しまれている物を用意してきた。」
「お線香を炊きますね。」
素早い判断、さすがアキラだぜ!
『もえる。』
『色んな臭いを出すよ。』
『におい。』
線香に火が付いた。
煙が上がる。
<ニオイ ツヨイ>
<線香キツくね?>
<結果次第でばあちゃんとは会えなくなるな…>
最初は火のついた線香を眺めていたシルバーストークだったが、ちょっとしたら立ち上る煙に関心を移して、その後鼻を動かし始めた。
『くさい。』
『くさいのもえる。』
うーん、臭いが強すぎたようだ。シルバーストークは四足で素早く離れて行ってしまった。ちょっとした雪の塊に隠れて、顔を覗かせている。
「キツかったみたいだな。この臭いは俺もあんまり好きじゃないわ。」
線香に雪を被せて消化する。風があるから、しばらくすれば臭いは無くなるだろう。
『臭くてごめん。嫌だった?』
『くさいのいや。』
耳を伏せて不機嫌そうに見えるな。悪い事をしてしまった。
<くさい>
<虐待やめな?>
<マジでかわいい>
「次は燃えるようなものじゃなくて、マイルドな物にする。多分、大体の人が飲んだことがあるものだぜ。」
「挽いてきました。」
本格的だな、アキラ!そう、コーヒーである。これから淹れようとしている。臭いは強いが、熱の強さで言えば火よりは弱いはず。
ドリップしようとフィルターに粉を入れた。すると、シルバーストークがゆっくり近づいてきた。
『つよい。』
つよいのか。香りが強いということだろうか。でも、その場合だと線香のほうが強いよな?近づいて来るという事は、嫌いではないのだと思えるが。
「翻訳はできてますけど、その真意までは分からないですね。」
「アキラはどういう風に捉えた?」
『つよい!』
「和太鼓でも”つよい”と言っていました。良い意味だと思います。」
<つよい>
<つ よ い>
<っょぃ>
良い意味で強い、音や香りが力強いということなのだろうか。シルバーストークは、興奮状態では無いものの、コーヒーの香りに強く惹かれているようだ。
「ドリップしてくれ。」
アキラが、コーヒーの粉を入れたフィルターに、湯を注ぐ。すると、湧き上がる水蒸気にかぶりつくように、シルバーストークが身を乗り出した。机が傾いちまう!
シルバーストークは、その態勢のまま止まった。口と目を大きく開いて、驚いたような顔をしていると思う。とにかく、その状態で凍り付いたように動かなくなったのだ。
<なんかのコラみたいじゃん>
<どんだけ~>
<フレーメン現象か?>
「これまたよくわからない反応をしたな…。確かに臭いの分析を行っていそうだけど、動きを止めるかな?」
「主任、触れて反応がなければ爪や皮膚細胞の採取ができるかも知れません。」
アキラ…時々お前が怖くなるよ…。冷静で的確な実験への判断である。俺たちは、今のこのシルバーストークとの関係を壊してしまう事を恐れていて、過度な肉体への干渉を避けてきていたのだが、機会が訪れたのかも知れない。
「アキラは機材を持ってきてくれ。すばやく準備ができるものだけでいい。その間に俺が、反応を確かめてみる。」
顔の前に手をかざしても、反応は無し。まわりで多少物音がしているが、その方向に耳を向けることもない。
頭をそっと撫でてみるが、それにも反応がない。呼吸はしている。硬直しているのであれば、筋肉に触れればわかるだろうか。腹のあたりに手を当てて、徐々に力を込めてみる。
「うん、撫でていた頃よりずっと硬いな。感覚が遮断されたまま、身体全体が硬直してるっぽいぜ。」
<時間停止かな?>
<動かなくなる犬はじめて見た>
<まーたハメか>
ハメで結構。言われるのにも、もう慣れてきた。
橘は、身体に触れた時の特徴については、すでにある程度知っていた。撫でることで、すぐに分かることだからだ。ここはひとつ、普段は見られない部分を観察したい。橘は机の上に立って、シルバーストークの口の中を覗き込んだ。
シルバーストークの大きく開いた口の中には、鋭い牙が並んでいる。犬歯は、人の親指ほどの太さがあるが、極端に長いわけではない。歯茎に触れてみると、思いの外硬いが、表面だけは弾力がある。指を離すと、シルバーストークの唾液が糸を引いた。それは、分厚い下唇に垂れていって、そのまま顎の毛に吸われて消えた。
シルバーストークの口腔には
いつもは、舌を出す時には長く伸ばしているのだが、今は畳まれていて、小さく収まった舌全体の形は、正面から見てみるとハートのようである。舌の付け根が縮んで丸まっているせいだろう。
舌に隠れた咽頭を見てみたい。橘は、シルバーストークの舌の先っぽを持って引っ張ろうとする。しかし、ぬるりと滑って逃げていく。今度は両手を、口の奥まで突っ込んで、舌の付け根を持ってみる。
橘の親指が、舌の肉の中に
舌の裏側は、表側よりももっとつるつるしていて掴みづらい。なんとか引っかける部分を探そうとするが、感触が見つからないので、指が無意味に
咽頭の入り口は狭い穴となっているが、左右の粘膜のヒダが柔らかく、そのヒダに人差し指をかけて横に引っ張っても、わずかな抵抗しか感じない。そのままゆっくり広げていくと、やがてぱっくりと穴が開いた。綺麗な粘膜がぴくぴくと胎動している。
橘が人差し指を引っ込めると、すぐにヒダが穴を
橘がふと違和感に気づくと、足はシルバーストークの涎で凍っていた。いつの間にか近づきすぎていたのだ。
「主任、道具持ってきました!」
「あ、ありがとうアキラ。」
<もっと見たかった!>
<人一人丸飲みできそうだったな>
<ハメ撮り探検隊!>
<口内フェチにはたまりませんですわ>
<鶏頭引っかかってないかビクビクしてた>
<ウチの犬が口開けて俺をみてくるんだが!?>
<これがハメ撮りか…>
俺が夢中になってる間に、リスナーがとんでもなく増えてる!
「ウチのワンコさんは相変わらずイヌの感想ばっかだな!言っとくけど、シルバーストークに犬なんて言ったら八つ裂きだぜ?」
実際にやってみる度胸はないし、ただの憶測だが、俺だってサルって言われたら嫌だし、多分シルバーストークも嫌だろう。それくらいの感受性というか、悪口を理解することができるはずだ。
「ちょっと皮とか爪とかもらうよ。」
シルバーストークに話しかけたが、特異能力は発動しない。意識の外なのは間違いない。今なら気づかれないだろう。
「アキラは皮膚の表面と、あと肉球部分を少し削り取ってくれ。俺は爪を少しヤスって削り取る。痛みが残らないようにな。」
飽くまで軽めの採取のみだ。今の状態から回復した時、どうなるかを確認したい。今回は初の事だったから、大した準備もできていなかったが、これが常に使えるのであれば、また次に活かす事が出来る。
コーヒーが完全に冷めて凍る頃、シルバーストークは動き始めた。すぐに口を閉じて、しゃがみ、そして転がって仰向けになった。尻尾を腹に抱えて、身体を丸める。体温が下がりすぎたんだ。
<毛玉になった>
<お前がいじめたからだぞ>
違うわ! いや、違わないか…?
『お湯を飲む?』
『はい。』
電気ケトルの残り湯をコップに注ぐ。凍るまでには飲めるだろう。
『コーヒーの臭い、どうだった?』
『つよい、たくさんのいしき。』
沢山の意識?臭いが意識というのは、コミュニケーションとして使うという事だろうか。てっきり俺は、コーヒーのピラジン類が麻酔のように働いたと思っていたが、もっと別の原因があるのだろうか。湯気を吸引しての、カフェインによる中毒症状には思えないが。
『その意識は、どうだった?』
『なかった。』
意識があると言ったのに、なかったとはどういうことだろう。あるけど無いというのは、感知できたけどわからなかった、ということ?
「主任、コーヒーの香り成分は1000種を超えるらしいですよ。」
<そりゃ強いわ>
<泥水だからな>
<いろんな臭いがしてフリーズしたか>
ああ! 臭いで感情を察知したものの、数が多くて思考しきれなかった。そう考えるとありえなくもないだろうか。この推論を後でまとめておいて、資料として提出することにしよう。
「ポルンガさんの言う通り、臭いを嗅ぎ分けられるから、そのせいで全ての臭いに対して思考しきれなくなったのかもな!」
『やすむのかえる。』
『会えてうれしかった。ありがとう。』
『はい。』
相当な負担だったのか、疲れてしまったようだな。今日はこれで終わりにしよう。
「シルバーストークが帰るみたいだから、今日はここで終わります。」
<寝床があるのか>
<今日もいいハメだった>
<さようなら>
<名前つけないの?>
「名前は付けない。愛着が湧きすぎちまうからな。」
配信終了。
「主任、採取物はまとめておきました。分析から何か成果が得られるといいですね。」
「そうだな、今日も助かったよ。」
シルバーストークにとって、人間の文化は受け入れられないかもしれない。この短期間の実験で、本人の意志とは別に、身体の作りの違いによって、過度な影響を受けてしまうことがわかった。そもそも気温の高いところにも住めないしな。
実際の所、俺はあのシルバーストークのことをすごい好きになってる。だから、ひょっとしたら一緒に住めるかもと思っていたんだ。生態からして人間とは一緒にならないって、分かり切ってたはずなのにな。
俺とアキラは、今回の実験の成果から、お偉いさんにすごい褒められた。コーヒーへの反応を発見したことが、特に気に入ったらしい。後はもっと専門的な実験をすると言うので、俺たちはシルバーストークからは離された。なんか、失恋した時みたいな感じがしてきた。
だが、すぐに別の実験への思いで復帰したぜ。実験配信班の稼ぎが良くて、予算が増えたからな。ドローン撮影を混ぜた今回の映像作品が、すごい好調な売れ行きらしい。ユーザの間では通称「
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応用実験部 実験配信班 橘春
実験結果報告書
識別名 : 聞く耳を持たざれば喰らう口
生息地 : アイスランドとその周囲
サイズクラス : 大型
ウェイトクラス : 重量
スピードクラス : 俊足
ムーブメントクラス : 歩く
フェロシティレベル : 普通
フレンドレベル : 友好
フィーンドレベル : 無害
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特異能力 : 一方的な通訳
単独の対象に相対して喋りかけると、対象が理解できる鳴き声となる。距離は関係なく、お互いに話しているという意識があれば効果がある。現在では、この鳴き声の翻訳が可能。鳴き声の録音を使えば、単独ではない群れの個体との会話も可能である。
人的被害レベル:無
───────────────────
特徴 :
対象は、体長180~220cmの大柄な人型のモンスター娘である。イヌ科動物の特徴を有しており、耳と鼻の形状は特にオオカミに酷似する。頭部から頸部にかけて白色のたてがみを生やしており、雪上での擬態効果がある。また、太いマズルと大きな口があり、鋭く太い牙を生やしている。体長と比較して細身だが、筋肉が発達していて重量は90kg前後。特に脚部の作りが強靭で、瞬発力と持久力のある二足歩行が可能。四肢と背中側には長い灰色の毛を生やしていて、長い尻尾の先まで覆われる。胸部と腹部の毛は短く、過度に冷える時は尻尾を使って温める。手足には肉球があり、鋭い爪を持っている。
生態 :
対象は、群れを形成できる高度な社会性と極めて高い知能を持っており、子の間は家族で行動し、成熟すると番いを見つけるために単独となる。番いを見つけると新たな群れとなって共同生活を行う。単独では主に小型の動物を狩猟し、その際、外敵となりうる生物を避けるが、これは威嚇行動を受けた時に、特異能力によって、その意味を知れるため。群れでは協調して狩猟を行い、開始からすぐに食料を確保することができる。一方で、失敗した場合の諦めがはやく、特に中型以上の獲物を逃がした場合、深追いせずに別の獲物を探す事が多い。これは群れでいる場合は特異能力が発動しないためである。特異能力によって、人間とも意思疎通が出来る稀有な存在であるが、空腹時や群れの場合等では聞く耳を持たないため、危険性が跳ね上がる。
その他:
色覚はほとんどなく、視覚は光の強さのみである。聴覚が鋭いため、遠くの生物がどの方角にいるかを感知できる。嗅覚は過敏であり、かすかな残り香から追跡が可能。獲物の死角から襲撃を行えるように、思考しながら追跡できる。
特記事項:
高音に敏感で狩猟本能を呼び覚ますことに注意。コーヒーの香りを好むが、嗅ぐと意識と感覚を失うため安全になる。群れの捕獲も可能になることがわかった。
───────────────────
広報部から
とても友好的なシルバーストークでした♪
今回から、ドローンによる多角的な撮影を試験しています。定点観測班の観測映像とあわせて、モンスター娘の映像作品を販売する予定です!今後のハメ撮り配信探検隊の活躍にも、ご期待下さい★
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