MMEI-0009 シルバーストーク

アルハン湖沼こしょうの探査には、多くの苦労があったと記録されている。湖沼には、浅く溜まった水が広がっていて、その底から植物が生えている。中には、人を襲う食人植物とでも言うような、モンスターがいるし、植物ではなくとも、底の泥に潜む水棲モンスターがいる。


まともに歩くのが難しいほどに、ぬかるんだ地面をしている。その地面には、棘や粘着する汁を出すような低木が、まばらに生えていて、それらを生物に引っかけて移動することで、生息地を広げる。この組み合わせは最悪で、人間は移動するだけで命を落とす。


冬季のアルハン湖沼は、一面の銀世界だ。降雪は決して多くないが、元々あった水分が、真っ白に凍り付く。凍り付いた土地は、湖沼であることを忘れるほど乾燥している。


ほとんど全ての植物は、種を残して枯れるし、厚く張った氷が、かすかな水と共に、水棲生物を閉じ込めている。そこに泥があるなど思えないほど、しっかり固まって何も動かない。


外からやってくる生物を除いて。




伊達清重だてきよしげは人間だ。反復実験班の主任研究員の一人であり、班を率いてやってきた。その目的は、シルバーストークへの実験である。


「ダンボーグの故障は、それ即ち死と思ってくれ。カイロはお守りのようなものだから、くれぐれも丁寧に扱いなさい。」


危険な生物が一掃された世界でも、人間にとっては脅威がある。それは、氷点下の環境そのものであり、対策なしでは生きられない。暖かい格好をして、初めて足を踏み入れられるようになるのだ。


そのような環境であるが、人間のテクノロジーというものは強力で、動きやすく暖かな装甲を身に着けて、楽に到達できるようになった。加えて、建築物によって更なる安全まで手にした。


「対象が現れるまで、観測拠点で待つ。」


空輸によってまかなわれる補給がある限り、人間はこの場所で、生活をすることができるのだ。


生活をすることができるのと、それが楽しいことなのかは別問題で、少なからず、この環境を良く思わぬ者がいる。特に、橘春たちばなしゅんは顕著だ。


「アキラ、俺は暇で死にそうなんだけど。何か、バッテリーを使わない遊びを考えてくれないか。」


手段を問わなければ、娯楽はいくらでもあるものだが、その中で、最も価値のある娯楽と言えば、大抵電気を使うものだ。しかし、電気は生活をするために使われていて、無駄遣いはできない。


電気を使わない娯楽とは、これも様々にあるのだが、その中で、道具を使うものに関しては、ここでは難しい。なぜなら、限られた補給物資の中に、娯楽のための物品は入らないからだ。


では、どのようにして娯楽を得るのか。その答えは、日々の生活の中にのみ存在していた。だから橘は、何の気なしに会話を始めたのだ。ただ暇を潰すための手段として、会話をすることを選択しただけだ。


そこに、明確に求めるものなど存在しなかったが、それを良しとしない者がいた。藤原彰ふじわらあきらである。


「外に出れば、スリルがあって楽しいと思いますよ。」


橘としては、暇を潰せれば良かっただけなので、藤原がどう答えても良かったし、別の話に変えても良かった。


しかし、藤原のこの答えには、明確な目的がある。橘が始めた、この会話の意図に気づいた藤原は、橘に、具体的な娯楽の手段を与える事で、炊きつけようとしたのだ。


橘が、自分の娯楽のための手段として、藤原を利用することが、気に入らないと思ったから、逆に、藤原が橘を利用しようと画策した。幼稚である。


言わば、一瞬の、それも無意味な、本人にしか分からない意地である。藤原自身が納得できれば良い、ただそれだけのために放ったのだ。ところが、橘がそれを気に入ってしまった。


「いいね。でも、ダンボーグを勝手に使うと主任に怒られる。何とかして怒られず、安全に外に出られないかな。」


藤原にとっては、意地を通すところまでは良かった。しかし、その後の事までは考えていなかった。橘の反応がどうなるか、全く考慮ができていない。だが、自分の口から放った言葉なので、引っ込みがつかない。


藤原は、少し考えてから、成り行きにまかせることにした。意地や、橘の思いのためではない。この会話の終着点が、橘の行動で締めくくられれば良いと結論したのだ。

藤原はサイコパスであった。


「ダンボーグはいりませんよ。そのまま外に出ればいいんです。一瞬なら問題ないでしょう。誰にも気づかれないし、危険もないです。」


おそらく、この考えは間違いがない。しかし、一瞬でも上司の命令を破るというスリルは、橘にとって(今の状況だからこそ)、魅力的なものだった。


「それもそうだな。でも、寒いのは嫌だな~。」


橘は、すでに心の中ではやろうと決めていた。にも拘わらず、しぶった様子を見せて、会話を引き延ばした。先ほどまでの一瞬で、藤原の事を気に入ったので、ほんの好意の現れだった。


しかしそれが、藤原の逆鱗に触れた。それもそうだと結論するならば、でもはあり得ない。藤原には、橘の思いの機微など気づけなかった。ただ橘が、藤原の提案を飲んだ上で、それを取りやめたように思えた。だから、やはり橘のくだらない会話に利用されたように感じて、腹が立った。何としても橘に行動を起こさせて、それを主任に報告してやりたい。


「究極サウナで行きましょう。発電機の廃熱で身体を温めてください。その後、外に出て外気浴をすると、気持ちが良いに決まってます。」


藤原は、橘の放った言葉に対して、愚直にそれを打ち消す理由を述べた。あわよくば、橘が氷に触れて、皮膚をくっつけて苦しむさまを想像した。


一方で橘は、更なる期待を持たせてくれた藤原のことが、好きになった。会話をやめて、すぐに立つと、発電機へと向かった。娯楽への期待が高まったので、いてもたってもいられなくなったのだ。

幼稚である。


しばらくして、橘が気合を入れるそぶりを見せたので、藤原は、基地の裏口の扉を開いて手招きをする。お互いが求めるものが、外にあった。


橘が、助走をつけて外に飛び出したので、藤原は扉を閉めた。橘がすぐに戻ると思ったので、すこし悪戯をしてやるつもりだった。ところが、橘はすぐに戻らず、熱された身体が急激に冷えるのを楽しんだ。橘の思っていた以上に、この究極サウナは面白い。藤原には、橘の持つ感想などどうでも良かったので、目的を達成できることに喜びを感じ、この時お互いに快感を得た。




シルバーストークはモンスター娘だ。番いを探しにここへやってきた。すると、臭いを嗅いだことはあるのに、まだ見たことがない生物がいた。人間である。仰向けになっていて、こちらに気づいていない。


氷ばかりで雪の少ない今のここでは、シルバーストークの足音は聞こえない。それを、本人は良く知っているので、近づいてみる事にした。仲間ではないし、腹も減っていないのだが、実在を確認したくなった。


全く気付く様子がないので、死んでいるかとも思ったが、吐き出す息が凍り付くのがわかるので、動けないだけだと判断する。俄然、興味をそそられた。両手をついて、人間の目の前に顔を出してやる。すると、息をしなくなった。


橘は、藤原の助けを待つことにしたのだ。息を止めたのは、ただの悪あがきである。


この時の藤原は、扉に鍵を閉めて、伊達に告げ口をしに行っていた。橘の窮地など知る由も無かったが、意図せず救いの手を差し伸べている。


シルバーストークには、橘が息を止めた理由がわからなかった。こんなことをする生物は、見たことがない。瞬きをしていることが見て分かるので、意味もない。不思議に思って、観察を続けることにした。


橘は、極度の緊張状態にあった。目を離したら、殺されると信じていた。だから、頻繁に瞬きをしてしまっていのだが、それすら気づけないでいたのだ。息を止める限界が来た時、こんなことはしなければ良かったと後悔した。


シルバーストークは、急に激しく呼吸を始めた橘を見て、この生物は、自分の姿を見て死を悟る、弱い生物なのだと確信した。そうなると、少し悪戯をしたくなった。橘の口に右手を当てて、呼吸を妨害する。


橘は、温かい肉球の独特な感触と、鋭い爪が見せる自分の末路の間で、シルバーストークの知能が、非常に高いことに気が付いた。お前などすぐに殺せるぞ、という思惑が見て取れる。敵わぬことなどとうに分かっているが、それでも少し、腹が立つ。


シルバーストークは、自分の右手が受ける感触に満足する。腹を立てた橘が、ささやかな抵抗として、舌で舐めているのだが、これは、命乞いをしているのだと思ったのだ。


腹を見せて足を舐める、まさにその通りであろう。寛容になったシルバーストークが、その手を離した。


抵抗が成就した橘は、逆に、覗き込んでくる顔を観察する。どうして手を離したのか?その答えは、シルバーストークの目にあった。橘は、自分が観察されていることに気が付いた。お互いに見返しているのだ。


「あおっ、あおあおお、あおーわお。」


橘の口から思わず軽口が飛びだした。しかしこれは、実際に喋ろうとした内容とは別である。実際には橘は、「可愛い子に見られるのは悪くない気分だな。」と言った。すぐにこれが、シルバーストークの特異能力であることに気が付いた。


シルバーストークは、橘が喋ったことに驚いた。正確には、喋ったことではなく、その意味に驚いた。この小さくてか弱い生物は、自分と番いになりたいのだ、と思った。悪い気分ではない。


「あおああお。」


橘には、シルバーストークの鳴き声の、意味がわからない。先ほどの軽口に対する返答である、と推測するほかない。


「あおっあおっあお、あおおおあおーっ。」

(お互い敵意はないし、まずは友達から始めませんか?)


「ぉん。」


はいかいいえか、どちらであろうか。どちらにしても、このまま横になっていては、命を落とすだけである。


橘は、ゆっくりと身体を起こして、シルバーストークに向き直る。お互いに、膝をついて座りながら、両手をついていて、顔をじっと見ている物だから、まるでお見合いのようである。


橘は、シルバーストークを見れば見るほど、可愛いと思った。自分より、少し大きい生物なのだが、ある程度意思疎通できるのである。橘にとっては、少し大きい女の子が、自分に興味を持っているという状態だ。


「あおおっ、あおーんあお。」

(君の姿を絵に残したい。)


「ぉん。」


シルバーストークにとって、友達というものは初めての存在であった。彼女達には、家族かそれ以外しか存在しない。それ以外とは、別の家族であり、番いとは、新たな家族である。友達の意味するところは理解できないが、敵意は感じない。


お互いに、得体の知れない好意があった。




伊達は呆れていた。

怒りも湧かないほどである。くだらない理由で命令違反をするとは、どうしたものか。とにかく、会ってみないことには始まらない。


伊達は、藤原に連れられて裏口を開けた。そこには、橘とシルバーストークがいた。職員が、モンスター娘に襲われているように見える。どうして発見できなかったのか、そのような事を考えながら、被害を出さないように、最善の行動をしなければならない。


橘は、伊達と藤原の顔を見て、誤解されていることに気が付いた。そこで、すぐに口を開いた。


「主任、大丈夫です。彼女とは友達になりました。」


橘は、普通に喋ることが出来たので、安心した。そして、それを確認できたので、今度はシルバーストークに話しかけた。実際に、友達であることを見せてやるべきだと思ったのだ。


「あおおーあお、あおあお。」

(俺の仲間だから大丈夫。)


シルバーストークは、それを聞いて理解した。仲間という事は、つまり家族なのだろう。しかし、橘とは違って、まだ警戒していることがわかる。先ほどまでとは違って、今は数で負けている。きっと、あの巣の中には、もっと仲間がいるのだろう。


「あお、あおーん。」


橘は、シルバーストークの言った事が、なんとなくわかった。そして、どうしてそう言ったのかも、わかった。橘は、そのまま走り去っていく彼女を見送った。


「主任、シルバーストークはかなり友好的ですよ!」


橘は、今までの感想を述べた。しかし伊達は、橘を強く殴る。一歩間違えれば、人的被害となっていたからだ。橘も、瞬時にそれを理解できたので、謝った。遠目にそれを見ていたシルバーストークは、伊達がリーダーだと確信する。


一方で藤原は、橘の事が好きになった。ついさっきまでは、気に入らないヤツであったのだが、この男の起こした行動が、とても面白い結果を招いていた。きっと、橘について行けば、もっと面白い事があるに違いない。だから、普通の人とは違う意味で、橘の事を好きになった。




反復実験班はこの後、並々ならぬ成果をあげた。橘の得た情報通り、シルバーストークとの友好的な出会いを果たせたのだ。しかし伊達は、橘を更に責め立てた。今度は別の理由である。


橘が撮影したシルバーストークの写真を、無許可で拡散したのだ。この事は、すぐに他の者の耳にも届くことになった。当然、橘は深く反省し、落ち込むこととなったのだが、藤原はそれを前向きに捉えると、橘を慰めたのであった。


───────────────────

応用実験部 反復実験班 伊達清重


  実験結果報告書


識別名       : 聞く耳を持たざれば喰らう口

生息地       : アイスランドとその周囲


サイズクラス    : 大型

ウェイトクラス   : 重量

スピードクラス   : 俊足

ムーブメントクラス : 歩く


フェロシティレベル : 普通

フレンドレベル   : 友好

フィーンドレベル  : 無害


───────────────────

特異能力 : 一方的な通訳

単独の対象に相対して喋りかけると、対象が理解できる鳴き声となる。距離は関係なく、お互いに話しているという意識があれば効果がある。


───────────────────

特徴 : 

対象は、体長180~220cmの大柄な人型のモンスター娘である。イヌ科動物の特徴を有しており、耳と鼻の形状は特にオオカミに酷似する。頭部から頸部にかけて白色のたてがみを生やしており、雪上での擬態効果がある。また、太いマズルと大きな口があり、鋭く太い牙を生やしている。体長と比較して細身だが、筋肉が発達していて重量は90kg前後。特に脚部の作りが強靭で、瞬発力と持久力のある二足歩行が可能。四肢と背中側には長い灰色の毛を生やしていて、長い尻尾の先まで覆われる。胸部と腹部の毛は短く、過度に冷える時は尻尾を使って温める。手足には肉球があり、鋭い爪を持っている。


生態 : 

対象は、群れを形成できる高度な社会性と極めて高い知能を持っており、子の間は家族で行動し、成熟すると番いを見つけるために単独となる。番いを見つけると新たな群れとなって共同生活を行う。単独では主に小型の動物を狩猟し、その際、外敵となりうる生物を避けるが、これは威嚇行動を受けた時に、特異能力によって、その意味を知れるため。群れでは協調して狩猟を行い、開始からすぐに食料を確保することができる。一方で、失敗した場合の諦めがはやく、特に中型以上の獲物を逃がした場合、深追いせずに別の獲物を探す事が多い。これは群れでいる場合は特異能力が発動しないためである。特異能力によって、人間とも意思疎通が出来る稀有な存在であるが、空腹時や群れの場合等では聞く耳を持たないため、危険性が跳ね上がる。

───────────────────

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る