第7話 『好き』とか『愛してる』って言いたかった
「は……ぁ、ふぅ……ぐ、ぎ……ッ」
喉から絞り出すような思音の声が聞こえた。
あたしはゆっくり目を開く。
「が、あぁ……あき、ちゃん……絶対に……っ、助け、る……ッ!」
傷だらけで、血まみれの思音が、それでも前に進もうとしていた。
お父さんとおばあちゃんの声は聞こえない。
逃げ切れた?
思音が、助けてくれた?
「が、はっ……助ける……天姫ちゃん、たすけ、る……ぐうぅぅぅっ……!」
とっても、苦しそうだ。
誰のせい?
あたしのせい。
それはわかってる。
全部あたしのせいだ。
でもそうじゃなくって、この傷は、誰が付けたもの?
「し、おん……?」
「天姫、ちゃん」
あたしが名前を読んだだけで、思音は嬉しそうな顔をした。
こんなに血だらけで痛そうなのに。
たくさんあたしが傷つけたのに、たったそれだけで。
「はは……目、覚めた、んだ。ああ、よかった。呼び、かけた、かい、あった。もどったんだ……」
思音は苦しそうに笑った。
彼女の体は穴だらけだ。
紫色の、腕ぐらいの太さがある触手が絡みついて、その先端がふくらはぎや太もも、腹部、腕、首などを貫いている。
右腕なんて、内側に入りこまれて原型を留めていない。
もはや千切れているというべきだろう。
なおも触手は脈動していて、“生きた何か”であることが見て取れた。
それでも思音の体は温かい。
たくさん血を流しても、生きているんだ。
心臓だって動いている。
体内を血液が循環している。
あたしはそれを、全身で感じていた。
……ところで。
右腕が無いのに、どうやって思音はあたしを抱えているの?
その疑問の答えを探すべく、自分の体を確かめる。
「なにこれ」
素直な感想が口からこぼれ落ちた。
あたしの体は、肩から下が完全に
うねうねと、宇宙人みたいに動く触手になって、それが思音の肉体を貫通しているのだ。
その影響か、思音の肉体は半分ほどが人間ではない色や形をしていた。
そして顔は左頬が思音の左肩に癒着していて、まるで根を張っているような状態である。
「ねえ思音っ、これ、何っ!? どうなってるのぉおっ!」
「あは、げんきだねえ、あきちゃ」
笑ってる場合じゃない。
誰が傷を付けたかって、あたしだ。
これはもうお父さんのせいとかお祖母ちゃんのせいにできない。
あたしが悪い。何もかもあたしが!
「あたしあのとき、名前を呼ばれて。確か――プレナ」
一文字目を告げた瞬間、あたしの人格は剥がれ落ちた。
必死に虚腕を伸ばして拾い集め、顔に貼り付ける。
強引なやり方だから突き刺されて、あたしの中身から血が噴き出した。
それは頭痛となりあたしの肉体に影響を及ぼす。
「あ、ぐうぅぅっ! 頭が、割れる……っ!」
「呼んじゃ駄目だよ、天姫ちゃん。真い名は、神の国に……至るために、用意されたもの、らしいから」
「じゃあ、やっぱりあたしが。あたしが思音のこと……っ」
「この状態を見て、私の心配だけするの……? ふふっ、天姫ちゃんも、結構、ボロボロだけど」
「あたしは痛くないもんっ!」
ちょっと消えそうになっただけで。
それすら、思音が引き戻してくれた。
痛いのは思音だけだ。
「ごめん。ぜんぶ、あたしのせいだ。ごめん。瑠璃垣、ごめん……」
「んー……暴力振るわれるのは、嬉しいけど……謝られると、ひたすら、悲しいかな……」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「それにねぇ、天姫、ちゃんが……そうなった、おかげで、神様パワー、みたいなの? 使って、ちょっと戦えた、し」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「あと、わたし、さ……天姫ちゃんのために、命賭けると……生きてる、って感じするんだよね」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「きっと、わたしの、唯一の、存在を証明する、方法なんだって……」
「だって、それもあたしのせいじゃない!」
「天姫ちゃんのおかげだねぇ」
背負わないで、思音。
あたしにも、苦しませてよ。
「もっと……責めてよぉ。思音のそれ、罵られるより、ずっと辛いんだから」
「天姫ちゃんが謝るのといっしょだよ」
ああ、それ言われると、何も言えないや。
「私たち……おそろいだねえ……」
にへらと笑う思音。
かわいい。
そういう気の抜けた顔も、好きだったんだよね。
何やってたんだろあたし、この6年間。
こんなに一途で素直な子を傷つけてきたなんて。
「あーあ。もう足が、動かないか」
ふらふらとよろめくように、壁に体を預ける思音。
そのまま地面に座り込むと、浅い呼吸を繰り返す。
出血量が多すぎる。
もう、長くはもたないと思う。
「命も、遠ざかってる」
「わかるの?」
「だって、一つになってるんだもん。嫌でも見えるわ……色んなもの」
「でも、私、すっごくハッピーだから、いいかなぁ」
この期に及んでハッピーなんてありえる?
強がり以外で?
でも思音の表情は、迷いなんて一つもない。
「気づいてる? さっきから、思音って呼んでくれてるの」
……あれ、ほんとだ。
瑠璃垣って呼んでたはずなのに。
でも、あたしが思音ことを思音って呼ぶのは、当たり前のことだよね。
赤ちゃんの頃からお隣さん同士で、ずーっと一緒だったんだから。
「思い出して、くれたんだよね」
覚えてる。
あたし、思音のこと。
いざ思い出してみると、忘れてたことが馬鹿馬鹿しくなるぐらい、その存在は心にすっぽりと収まった。
むしろそれがなかった今までが、空虚すぎたぐらいだ。
そして同時に、この6年間の出来事が、吐き気を催す汚物へと変貌する。
「あたしと思音、一つになってるから……流れ込んできたのかもしれないわ」
「夢みたい。また天姫ちゃんが、私のことを思音って呼んでくれる、なんて」
たったそれだけのことを夢だと言えてしまうことが、悲しい。
「あたし、思音のことが大好きだった」
けどそうしてしまったのはあたしだ。
「誰よりも、大好きだった、のに……」
思い出せば、その反動として強烈な自己嫌悪感がこみ上げてくる。
ただでさえあたしはあたしを殺したかったのに。
今は、その比じゃない。
「最悪だ。最悪だ。あたしは、何もかも、最悪だ。あたしのせいで。あたしがいたから。あたしなんかが、思音の近くに生まれてきてしまったから……ッ!」
「天姫ちゃんがいたから、わたしは……幸せだったんだよ」
「幸せなわけないじゃないッ! こんなわけわかんないことに巻き込まれて、わけわかんない場所で死んでッ!」
思音はそんな人生を送るべき人間じゃない。
あたしよりもっと出来た人間と出会うはずだったし、あたしと出会ってしまったのなら、あたしが努力して、彼女の人生を彩らなければならなかった。
「本当の幸せっていうのはっ! 好きな人と、何事もなく、いっしょに過ごすことなのっ! 役に立つとか、立たないとか、命を賭けるとか、そんなの必要ないのよぉっ!」
当たり前の日常。
当たり前の毎日。
ありふれた朝を、あなたと迎えられたなら。
それが、一番の幸せだから。
「あき、ちゃんは、いっしょに、いたい?」
「いたいに決まってるじゃないッ!」
「ん、ありがとぉ」
「思音は、あたしみたいなクズには勿体ない人間なの。そんな人があたしのことを愛してくれた。命まで捧げてくれたっ! だったら、あたしだって人生を捧げたいって思うのは当然でしょう!?」
どうして今になって、そんな当然の事実に気づいたんだろう。
あたしにとってそれは、生まれたその瞬間から理解していなければおかしいほど、魂に刻まれるぐらい常識的な、何より優先すべき使命なのに!
「一緒に帰ろうよぉ、思音。やっと思い出せた。取り戻せた。やり直せるんだよ、これで! お願い、償わせて。思音のこと幸せにさせてぇ!」
思音はずっとニコニコしてあたしの叫びを聞いていた。
たったそれだけで幸せなんて言わないで。
あたしはまだ何もしてない。何もできてない。何も与えられていない。
思音から奪って、奪って、奪って、ただそれだけの寄生虫みたいな存在だった。
そう、この世界にあんな蟲みたいな化物が溢れているのは、きっとあたしがそういう存在だってことを示してるんだよ。
だってここはあたしを中心に生まれた世界。
醜さも、汚さも、全部あたしから溢れ出したもの!
「あきちゃん。つぐなわなくていい。じぶんを、せめないで」
「いいや、天姫には責任がある」
思音の優しすぎる言葉を上書きして汚したのは、男の声だった。
「このっ、ゴミクズが……ッ!」
肉親への情などない、純粋に憎しみだけを込めてそう呼ぶ。
「さあ、
「血が繋がってる方が癒着しやすいからねえ。そんな女より馴染むだろうさ」
「クソババアもいる……揃いも揃って、クズばっかだ。はは、あはは、柱家の血は呪われてるのぉ? 人間をクズにする成分でも入ってるのぉ!? お母さんはあんなにいい人だったのにっ、柱家なんかに嫁ぐから! あたしなんかを産むからぁっ!」
二人とも何も感じてないって顔してる。
ああそっか、あたしなんて娘じゃないもんねぇ。
二人が望んだのは真い名の方だもんねぇ。
クソ、クソ、クソ、なんでこんな家で生まれたの、あたしはッ!
「あんたたちと同じ場所に逝くぐらいならここで死ぬわ! 死んで、思音と、お母さんと同じ場所に逝きたいッ!」
「そんな下劣な欲求も、じきなくなるんよ。だから怖がらんで――」
クソババアの戯言を、
「バカだなぁ」
思音の一言が遮った。
彼女は虚ろな瞳を二人に向けて、挑発するように言い放つ。
不思議だった。
思音にそんな余裕がないことを、あたしは全身で感じていたから。
「きづかなかった?」
「はったりは無駄だ」
「陽動」
ひくりと、わずかにお祖母ちゃんの頬が引きつった。
「おとり。罠。餌」
お父さんの表情も険しくなる。
そんな二人を見て気分がよくなったのか、思音は調子に乗った顔をしていた。
「いまごろ、祭壇はがら空きだね。
正直言って、あたしにもそれは強がりにしか思えなかった。
けど――見上げた空に、異変が起きる。
パリンという音がして、わずかだがヒビが入ったのだ。
「ああ……あれは、いかん。いかんよお!」
「何なの、母さん」
それに答えたのはお祖母ちゃんではなく、思音だった。
「光乃宮の神殺し」
あたしはよくわからなかったけど、お父さんは知っていたらしい。
さっと顔が青ざめる。
顔が大きいからわかりやすい。
「戻るよ尋祈ぃ!」
お祖母ちゃんが慌てて家の方へと向かう。
お父さんもそれを追って、走り出した。
「もう遅いよ……ふふっ……」
「あれ、何?」
「真恋さん。たぶん」
「思音の師匠って人? 空とか割って入ってこれるものなの?」
「まりんさんすごいから。神様と戦ったことあるんだよ? 異界の位置さえ分かれば、壁をこわして、はいれると思う」
「タイミングも合わせたんだ」
「ひめなさん、に案内されてるとき……れんらく、きてて。本当は、たよらない、つもりだったんだけど」
空に生じたヒビから、豆粒みたいな大きさの人間が降ってきた。
その真下にはあたしの家がある。
着弾――って言うのは正しくないかもしれないけど、その人が地面まで到達すると、ずしんと大きめの地響きがした。
一撃で家ごと祭壇を壊してしまったのか、途端に空が剥がれて、落ちてくる。
剥がれた欠片は空中で霧散して光の粒へと代わり、あたしたちの元に降り注いだ。
「空が壊れてる」
「うん」
「真恋さんって人、やったんだ」
「そうみたい」
異界が消えれば、怪物と化した部位も消える。
あたしたちも例外ではない。
あたしは肩から上だけ残って地面に放り出された。
不思議と痛くはない。
ただ、断面から大量の血がどろりと溢れ出している感覚はある。
心臓は残ってるんだろうか。
残っているとしたら、いまごろ血管に繋がった状態で地面に転がっているに違いない。
何十秒、命を繋げられるだろう。
思音も似たような状態だった。
肉体の大半を失い、残った部分も穴だらけ。
子供が雑に引きちぎった布みたいな体になってて、まともに残ってるのは、顔と片腕ぐらい。
ごろんと転がって、意識が遠ざかっていく中、あたしたちは見つめあう。
「ごめんね、あきちゃん」
「ごめん、しおん」
残された時間は短いのに、どうして謝ってるんだろう。
「もっと……うまく、たすけられたら……」
「あたしみたいなくずに、ちかづかなければ……」
あたしたちはバカだ。
(ああ、もっと、言いたいことあったはずなのに)
でもひょっとすると、思音も同じことを考えてるのかもしれない。
(もっと、伝えたい言葉があったはずなのに)
こんなはずじゃなかった。
あたしたちは、本当は、ずっと仲良しで。
ずっと二人でいられたはずなのに。
誰が間違ったわけでもないのに、最悪よりも最悪な未来をたどってここに来てしまったから。
「ごめん、ね」
「ごめん、しおん」
今際の際に、それしか言えないんだ。
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