第6話 祈り捧ぐ
お母さんに連れられ、あたしたちはついに目的地にたどり着く。
「あたしの家だ……」
見慣れない土地に、見慣れた家が建っている。
とてつもない違和感だった。
「祭壇は家のどのあたりにあるの、地下室とかじゃないよね」
「一階にあるわよ。仏壇が置いてある家があるでしょう、あれと同じ」
そう答えると、瑠璃垣はスマホを取り出し何かを確認している。
間取り図でも見てるんだろうか。
でも祭壇は家の中に入れば、すぐに行ける場所にある。
まあ、中に入れれば――の話だけど。
家の門の前には、立ちふさがるように男性と老婆が立っていた。
「お父さんに……おばあちゃん」
意外にも、今のところまだ人の形をしていた。
けど、それが人とは異なる存在であることが、肌で感じられた。
あたしは二人を睨みつけ、お腹に力を込めて大声を出す。
「……何で。ねえ、何で?」
あたしの意図はそれだけで伝わるはずだ。
けど二人は黙ってたから、さらにあたしは問いただす。
「二人とも、どうしてこんな馬鹿げたことをしたのっ!」
怒りに対して、父は恐ろしく冷たい軽蔑を返してくる。
「馬鹿げたことをしたのはお前だろう、天姫」
続いておばあちゃんも、孫に向ける目とは思えない冷徹な眼差しを向けてきた。
「
「あたしはそんなもの望んだ覚えない!」
「天姫も儀式に参加していたはずだ」
「祭壇に飾るぐらいならいいけど、ここまで巻き込まないでよ。お母さんもこんな目に合わせて……友達だって奪って……!」
「それはママが悪いんだ」
「こんな姿にしておいて責任を押し付けるの!?」
するとおばあちゃんが吐き捨てるように言った。
「その女はなあ、祭壇を壊そうとしたんよ。そしたら半端に至ってのう、そんなみっともない姿になってしもうたんよ」
「許されないだろう。せっかく天姫が生まれたのに、それを台無しにするなんて。儀式の完成は柱家の悲願だ」
言葉が――まるで通じない。
この二人は、このきさらぎ市という空間を生み出したことも、お母さんを苦しめたことも悪いと思ってないんだ。
お母さんはたぶん、とっくにそれを理解していたんだと思う。
だからあたしにこう言った。
「あき……こわして。おわらせて」
「お母さん……」
そしてぬるりと前に出て、お父さんに近づく。
「あなた……こんなこと、もう、おわりに」
「するはずがない」
途端にお父さんの形が変わる。
妖怪みたいに首が伸びて、そして頭が一気に膨張し、お母さんに食らいつく。
「目障りだ、死んでくれ姫奈」
かつて愛し合った妻に向けるものとは思えない、あまりに残酷な一言だった。
噛みちぎられ、大量の血を撒き散らしながらお母さんが苦しむ。
「あ、あぎっ……あ、あぁ……」
「お母さんッ!」
瑠璃垣は何してるの――そう思って彼女に目を向ける。
彼女はお父さん同様、変異したお祖母ちゃんの口を刀で受け止めていた。
「考えが甘いんよ。中身も空っぽなら刀も空っぽ。こんなもんで受け止められるわけない」
「く……ぐぅ……っ」
瑠璃垣が押されてる。
かかとが地面を削るように後退して、歯を受け止めてる刀も変形しはじめていた。
あれじゃあもう保たない。
だったら、今のうちにあたしが――
一直線に玄関に向かって、扉に手をかける。
すると背後から誰かがあたしの肩に触れた。
振り返ると、巨大なお父さんの顔があった。
口元には、お母さんの成れの果てを咥えて。
「天姫。ママはうまいぞ、お前も食え」
「っ――クソ親父いぃぃぃぃいッ!」
あまりに下衆なその言葉に、あたしは思わずお父さんの顔面を殴った。
けど、ぺちっと音がするだけ。
動じない。変わらない。このクズは、お母さんを殺したって何も感じてない!
それとほぼ同時に、向こうからガキンッ! と金属音がした。
刀が折れたんだ。
「ぐ、がああぁぁあっ!」
さらに叫び声が聞こえてくる。
「瑠璃垣っ!?」
思わず名前を呼びながら、そちらへ足を踏み出す。
しかしお父さんがその邪魔をする。
「どこへ行くんだ、ここが天姫の家だぞ」
「邪魔しないでよぉおおおッ!」
あたしが怒りに任せて声を張り上げていると、人影が素早く家のフェンスを乗り越えて、あたしの真横に着地した。
そして瑠璃垣はあたしを両手で抱えて、敷地内から脱出する。
「ちょっ、瑠璃垣。逃げてどうすんのよ、祭壇を壊さないと!」
「思ったより二人が強かった、分が悪い」
「だからって離れたところで――」
瑠璃垣の顔は苦しげだ。
体の方を見ると、脇腹に血が滲んでいた。
「瑠璃垣、あんた怪我をっ!」
「噛みつかれた、けど……走れるから」
そんな大怪我をしたら、普通は絶対に走れない。
おかしいよ瑠璃垣。
そんなにあたしが大事なの?
あたしは忘れてるのに、そこまでして――
「待ちなさい天姫ぃ」
「あきちゃぁぁぁん、至ろうやないか。ばあちゃんといっしょに、なあ!」
背後からお父さんとお祖母ちゃんが追いかけてくる。
二人は体の大きさとは明らかに不釣り合いな長さの首を、大きさの頭を左右に揺らしながら、人間離れしたスピードで走っていた。
まるでおもちゃのようにも見える、滑稽な姿。
けれどリアルな人間でそれをやると、不気味なことこの上ない。
「てっきり、もっと形が変わってると思ってた」
瑠璃垣が言う。
「儀式の主体。自分たちで形を選べる立場だから、人の形を保とうとしてるのかな」
「他の人たちは、そんなの……」
「うん、許されなかったのにね」
自分たちで始めたくせに、自分たちだけは別扱い。
何が神の国に至る、よ。
結局、自分にとって都合の良い世界を作りたいだけじゃない。
「あたしさ、ずっと、瑠璃垣が間違ってるのがいけないとか言って苦しめてきたじゃん? でも、あれ逆だったんだね」
そんなの最初からわかってたこと。
どれだけ正当化したところで、いじめはいじめだ。
クズの行いだ。
けど今、“血”っていう明確な理由が見つかった。
「あたし、最初からどうかしてたんだよ。あんな人間の血を引いて、頭がおかしくないわけがない!」
「そんなことないよ。天姫ちゃんは優しい」
「そんなのフォローになってないっての」
「だって、みんなが完全に忘れる中で、少しでも私の存在を記憶に残してくれてたんだから」
だから、それは全然プラスじゃないっていうのに。
そのせいで、瑠璃垣は苦しんできたんでしょう。
「私はずっと本気で言ってるよ。天姫ちゃんは優しいんだって知ってるから」
ひょっとすると、友達だった頃のあたしはそう見えてたのかもしれない。
でも、それすら間違ってる。
瑠璃垣があたしに優しくしてくれたから、あたしも優しさを返せてただけだ。
きっと、あたしの本性は――
「ぐぅぅ……ッ!」
突如、瑠璃垣が右足から出血する。
バランスを崩しかけるが、歯を食いしばり、どうにか持ち直したみたいだった。
「見えなかった」
「虚腕……」
「何、それ」
「えっと、たぶんああいう怪物に付いてる、見えない腕みたいなやつ? 急に頭に浮かんできたの!」
一回ああなったから覚えてるってことなのかな。
無意識に出てきた言葉だから、自分でもわからない。
「天姫ちゃんにも、見えない?」
「今のあたしじゃ……ごめん、何の役にも立てなくて」
「いい。だったら、耐えればいいだけ、だからっ」
全然良くない。
顔には汗が浮かんで、表情も辛そうで、絶対に痛いじゃん。無理してるじゃん!
「もういいよ、瑠璃垣。あたしなんか見捨てて逃げちゃってよぉ!」
「天姫ちゃんを見捨てたところで、私が生きれるわけじゃ……ないんだよっ」
「でも、でもぉっ」
「それに、一人で助かったとしても――天姫ちゃんがいなくなるのは、死ぬより辛いッ!」
あたしにそんな愛情、向けないでよ。
何も返せないのに。
そんな価値無いのに!
「だから、絶対に離さない……! 何があっても、どんなに痛くてもッ!」
こんなにも頑張ってる人が、あたしなんかのために傷つくのは間違ってる。
お願い、本物の神様。
いるなら助けて。
あたしはどうなってもいいから、瑠璃垣だけでも、どうか、お願い――
「往生際が悪いねえ」
お祖母ちゃんの声が聞こえてくるたびに、腸が煮えくり返る。
「天姫……天姫、よく聞きなさい。お前はただの女の子じゃない、神の国に至るための巫女なんだ。そのために産ませた。そのために育ててきた」
お父さんの声が聞こえてくるたびに脳が煮えたぎる。
なんで反省しないの。
目の前に、こんなに苦しんでる人がいるのに。
お前らのせいで、血を流してる女の子がいるのにっ!
「うるさい、黙ってよぉっ!」
「だから、神としての名前があるんだよ。天姫とは別に、もう一つ」
「聞きたくない、どうでいい、そんな名前いらないっ!」
「天姫、よく聞きなさい。お前の名前は――」
そして父と祖母は、合図もしていないのに声を合わせて“私”を呼んだ。
『
――。
“偽物へ”。
“さようなら”。
「あ――」
剥がれる。
あたしが、剥がれていく。
中から何が出てくるの?
わからない。
あたしは、まがいもの。
“私が、本物”。
違う。
“さようなら”。
やだ。
“さようなら”。
いやだ!
「天姫ちゃん!?」
遠くで瑠璃垣の声が聞こえる。
あたしはほどけていく。
とろけて、砕けて、落ちていく。
絡みついて必死でしがみつこうとするけれど、仮に人に四十四本の腕が生えていたとして、それを瞬時に操れる人はいない。
だからごめん。
ごめん、あたし。
最初から、使い捨ての、偽物だったんだ。
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