イサベラ・エラストヴナ・ソコロワ

 少年は両手を伸ばし、何かを呟く。すると彼の前に二体の火人が現れる。火人を中心に現実のレイヤーが崩れる。


「四年前、トリフェン山ではうちの子供たちがお世話になったね」


 ……は?


「お前、いまなんて言った」


「イサベラ・エラストヴナ少尉。ボクの計画においては一番邪魔な存在……四年前は仕留めそこなったけど、ここで会えたのだから、殺しあおうじゃないか」


「外道!」



 頭から冷水をかぶせられた気分だった。

 ノアと名乗る少年はその顔を笑顔でゆがませると、右腕を上げ、前に振り下ろす。まるで陸軍士官の指揮のようだ。二体の火人が私めがけて飛んでくる。


「舐めるな、ノア!」


 冷水を浴びせられた頭が一気に熱くなる。


 私はすぐにライフルで片方の火人を狙い撃つ。火人はその胸に穴を開け、焼失する。すぐに私は排莢操作を行い――しかし銃は構えずに私は火人の元へ飛び込む。


「……さすが、一人で二人の火人を倒すだなんてね……」


 魔力を帯びたブレードは、蒼く光り火人を切り裂く。水風船のようにはじけ飛ぶ火人。墨を浴びたような格好になるが、気にせず私はそのままの勢いで飛び込み、数フィート先の少年の腹に刃を突き刺す――しかし少年は体をひねり、刃の到達点を腹の中心部からずらす。


 そしてそのまま私のブレードを握る手をそっと包み込み、

「まるで猪だ。獰猛な獣め」


 腰を使いぐいと手首をひねり上げる。私は攻撃の失敗を悟り、ひねられた方向に正しく体を操作して、ぐるりと空中で一回転した。相手の関節を極めた投げ技も、空中であればいくらでもかわせる。


「はっ! その獣を、いなすのに、精一杯じゃないか!」


 私は相手に隙を見せることなく、空を舞い、ブレードで近接戦闘を仕掛け続ける。正体不明のコイツは、火人を従える正真正銘のヤバいやつだ。それに、単純な戦闘能力も高い。


相手はあくまでも冷静にこちらのアタックをいなし続けている。

「死ね」


 ノアは腰から単純な鉄のナタを抜き、私のこめかみを狙い打つ。


 相手の懐に潜り込んでいる私はそれをかわすすべを持たない。故に私は相手のナタに合わせるようにして体を回転させ、彼の腕を左手で取り、ブレードで脇腹をかく。しかし彼の分厚い外套を引き裂く事しか出来なかった。


 彼と私はくるりと空中で回り、お互いくっついたり離れたりを繰り返している。


 これではまるで招かれざる客とのダンスパーティーだ。いつまでもダンスを続けるわけにはいかない。ここは魔術を使うしかない。


「魔術の限定行使を申請!」

『承認』


 魔術の限定行使。緊急事態に備え設けられた条項の一つ。所謂緊急避難に当たる規定だ。


 これが有効な間は、単純な機構の魔術を無制限に使用することが可能となる。しかし当然対象の魔術はそう多くない。必然的に近距離戦を強いられることとなるが……。


 ノアは私から大きく距離を取ろうとする。当然だ。それが相手にとっての間合いなのだから。しかしだからこそ私は、この刃の間合いから相手を逃がしてはならない!


術式付与セット!  爆裂!」

 一歩踏み込めば届く。そう確信して私はブレードに爆裂の術式を仕込む。


「そんなもの!」


 ノアは左手で懐からリボルバーを取り出す。おおかた私がブレードを振り抜く前に、私を殺すつもりなのだろうが……。


「私の、勝ちだ!」


 引き金が引かれるより早く、私のブレードは相手の右腕を切断する。


 そしてブレードの軌跡をなぞるように、付与された爆裂術式が起動され、無数の爆弾の破裂音と共に彼を爆殺する……。


「かっ……はぁ……」



 


 腕、胸、腹、そして首……体の所々が一気に熱くなり、そこから鮮血が吹き出す。


 斬撃から小爆発の間に、ひるむことなく散弾で撃たれたのだ。予想外の痛みにより体が硬直する。


 ぐい、と伸びてきた片腕により首を掴まれ、頸動脈を締められる。痛みに霞んだ瞳が捉えたのは、魔術による酷い火傷を負いながら、強い思念のこもった金色の瞳でこちらを見つめる、片腕の無い少年だった。


「イサベラ・エラストヴナ……やっと、お前を殺せた……」


 ノアは何か言ってみろ、と言いたげに首を締める手を緩めたが、先程から息をするだけで体内からゴボゴボという音がして、苦しくなり口から血を流してる私は、ただその瞳を見つめ返すだけだった。


 ノアはそんな私を見て、口を歪ませて笑うと、ボロ雑巾をそうするみたいに私を放り投げた。致命傷を負い、空を飛べなくなった私は自由落下を始める。


 数千フィートからの自由落下。私は黄昏時を迎える首都にただ落ちていく。


「……ぐ……じい」


 全てが悔しかった。火人を操り、高度な戦闘能力を持つ怪物ノアとの戦い。不意に遭遇したとはいえ、ここは私が絶対に勝たなくてはいけなかった。


 それに、ノアはイリーナの仇だ。四年前のトリフェン山、アイツはそう言った。その言葉が事実なら、あの事件はアイツが仕組んだことになる。だから……イリーナ、アレクセイ……ごめん、ごめんなさい。


 空気の刺すような冷たさを感じながら、私は静かにその命を終わらせていく。


 ふと、星々に打ち上げられた名も知らない少年のことを思い出した。


「ごめ……なさ……」


 私が死ねば、彼も死ぬ。私は彼が掴んだ首のあたりが燃えているのに気がついた。全てを焼却する炎。痛みという情報すら忘れさせるこの炎が、私の全身に回るのは一瞬の事だった。


 さながら流れ星のように、私は記憶ごとその存在を燃やしていく。



 私はそのまま中央広場に墜落した。噴水のすぐ目の前だ。安全装置が働いて、とんでもない高度からの落下にもかかわらず、生きている。


 広場は多くの人でにぎわっていた。噴水の縁に腰かけたカップルがお互いの近況を話していた。


子供たちが集まって遊んでいた。


絵描きらしい老人が噴水の奥に置かれている初代皇帝ロドリクの石像を描いていた。


憲兵が二人、チェブレクの店に入っていった。


人々は皆沈みゆく夕日を惜しみながら、その日一日を謳歌していた。平和な帝国の日常だ。私が守りたかったものが、私のすぐそばにあった。


仕事から帰る労働者たちは、全身が穏やかに燃える私を踏みつけて歩き、ジュッと軽く焦げた靴底を気にもせずに何か冗談を言ってそのまま帰路に就く。



 私は彼らの意識の外へ落ちてしまったのだ。恐らくもう殆どソーマは残されていないはずだ。それにもかかわらず炎が全身を周っているのは、きっとプシュケーが燃えているからだ。


 ああ、せめて私の墓標には、私が生きた証を刻んでくれないか。たった一言でいい。


 誰か私をこの世界につなぎ止めて欲しい。まさか自分が忘れられる側に回るなんて思ってもいなかった。ひどく恐ろしい気分だ。


 アレクセイ、イリーナ。私が思い出すのはいつも君達との思い出ばかりだ。


 アレクセイ、イリーナ。君たちのどちらかでいい。憶えていてくれる方でいい。私の存在を、この世界に刻みつけてくれ。


 『火人狩りのイザベラ』、そう呼ばれる奴が居たってことを。


「あっ」


 ドンという衝撃と共に子供が私に足を引っかけて転ぶ。目の前で転んだ子供をカップルは手を伸ばして助ける。


 それを見て私はもう、この街のどこにも居場所などないことを実感した。まるで昔に戻ったみたいだ。


 遠い昔、とても寂しい場所にいた……その時のはっきりとした記憶はなく、私が全てを覚えるようになったのは、八歳の頃からだった……。


 私は右腕を動かし、左腕を動かし、何とか這って噴水へ向かう。

「うぁ、あああ」


 とんでもない苦痛が全身をむしばむ。焼却が最終段階に入った。魂の焼ける音が、匂いが、感覚がする。


 唾液をまき散らし、誰にも届かない苦痛の声をあげながら私は無意識に噴水の水を求める。


 右腕を動かし、左腕を動かし、苦痛に吼えながらそれを繰り返す。じりじりと私は噴水の縁へ。


 私は折れた足に動けと命じる。魂だけの状態が功を奏した。すっと足は動き、私は縁を乗り越え、噴水へ落下する。


 ドボンという音と共に、私の全身を清らかな水が包み込む――。

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