ノア・ソコロフ
「なぜ空を飛ぶことができるんだ……」
火人はいつもの不気味な姿のまま、空を飛んでいる……いや、宙に浮いている? 細かな制御は効いていないが、子供のおもちゃくらいの機動力はあるみたいだ。ふわりと火人が私の高度まで浮上してくる。
こんなのは今までありえたことなどなかった。戦車は地上を走り、魔導軍人は空を飛ぶのだ。
同様に火人は大地に固定され、我らはそれを絶対的な優位性のもと狩る。この理がたった今ひっくり返された。
私は空中で火人とにらみ合う形となった。間違いない、何かが起こっている。決して油断してはならない……私はライフルを構える。火人はゆらゆら揺れながら私のほうへ近づいてきている。
「遠距離で決着をつける—―魔術拘束の解放を申請」
火人狩りを行う士官には「法珠」という黒い宝石をあしらった装飾品が与えられる。私の法珠はピアスとして右耳にある。
法珠は過ちを犯さないための物。我々はいくつもの法規によって魔術の使用を制限されている。
魔術と科学は似ているようで違うのだ。科学は世界を暴き、魔術は世界、もしくは神と契約する。
ゆえに世界と我々との間には確かに「法」が存在する。もちろんその「法」は慣習法的存在であり、超常の立法機関なんてものはないのだが。
ケイルゴッドを含め、少なくともこの大陸に存在する国家は「法務省」が魔術の行使について絶大な権限を持っている。
そしてこの法珠は法務省の「立会人」とコンタクトを取るための魔術的な道具である。
『魔術拘束の解放を承認』
機械的な男の声が頭の中に響く。その瞬間、私の掌がかあっと熱くなり、魔力がライフルに装填された一発の弾丸に濁流がごとく流れ込んでいくのを感じる。
私は一呼吸おいて、規定に定められた呪文を唱える。
「宣誓する。我は天を駆ける狩人にして、法の天秤を正すもの。これより我が一の矢を番え、ここに悪性を撃たんとす」
『承認・トリフェン条約第三四条の規定により、発砲の許可』
ここで引き金を引けば、魔力の込められた銃弾が火人の胸を貫き、込められた魔術によりその一片に至るまで破壊しつくされることだろう。
私は慎重に狙いを定める。ふらついてはいるが、真っすぐこちらに向かってきている火人は、いい的だった。私は一度深呼吸をしてから、サイトを覗き、引き金を引いた。
重い衝撃が肩に伝わり、その反動を受け私は空中で後退した。
銃口から蒼い光と共に弾丸が発射され、火人を貫いた。慎重を期して魔術を使用したのが馬鹿らしくなるほどに簡単に、火人はその姿をゆがませて鮮やかな青い炎と共に燃え尽きた。
「シグザールコントロールへ、こちらルナ04」
火人によって妨害されていた通信がつながったのを確認し、私は管制塔へ現在の報告をする。
「東大通り上空にて一体の火人を倒した。指示を仰ぐ」
結局応援は来なかったな、と思いながら私はボルトを後方に押し下げて排莢を行う。
「こちらシグザールコントロール。ルナ04、こちらが送った増援はどうなっている」
「増援? 結局来なかったが。東大通りと西大通りを間違えているんじゃないか?」
なにしろ新兵だらけだからな、と心の中で毒づく。
でも分かってる、そいつらを育てるのも私の仕事の一つなのだ。彁が到来し、火人の数が一気に増える前までに対火人戦闘小隊を実戦レベルにまで引き上げる……参謀本部の示した計画だ。
しかし今は教則通りに飛行することがやっとだ。故に皮肉を抜きにしても、私はこの場に増援が来なかったことに違和感は感じなかった。
「それはおかしい。通信の反応が先ほど――ない。即時周囲の――」
ザザ、というノイズが通信に混ざる。私はライフルを握りしめ、魔力を爆発させてさらに真上へ飛ぶ。
これは明らかな通信妨害だ。一度食らった手はもう二度と食らわない。私は高度を上げると、眼下に広がる世界をにらみつけた。最悪のケースを想定して、ライフルを構える。
「おっと、勘が鋭いなぁ」
しかし、火人ではなかった。銃口の先には一人の少年がいた。
「お前は誰だ、どこの所属だ」
白いフードのついた外套に、くすんでぼろぼろの黒の軍服のような服。黒髪を長めに伸ばし、金色の瞳を持つ少年。どこか異国風の恰好をしている彼は、不敵な笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「ボクの名前はノア。ノア・ソコロフ。狩人だ」
「ノア・ソコロフだな。父称は?」
「ミドルネームなんてないよ。エラストヴナ」
ノアと名乗る少年は、私の父称を呼びにやりと笑う。
「私の名を……」
私は内心のいらだちを抑え、この正体不明の不審者に規定通り追加の質問をする。
「ではノア・ソコロフ。君はここで何をしている? 狩人と言ったな、その恰好は他国の軍人崩れか。君の返答によっては、この場で射殺する事態にもなるであろう。正確に答えよ」
感じる。こいつは間違いなく危険人物だ。足には少し無骨な魔導具が装着されている。旧世代の飛行用魔導具だ。それを使いこの場にいるという事は、この少年は間違いなく戦闘能力を持っている。
まさか先の世界大戦で戦ったシュバーベン王国の残党か……。しかしそれには違和感が残る。彼は比較的流暢なケイルゴッドの言葉を話している。若干の田舎訛りがあるが、カクカクしたシュバーベン語話者ではなさそうだった。
それではこの正体不明の危険人物は一体どこの所属か。もしくは、所属などないのか……若干混乱するが、これ以上思考している時間はない。
「いやあ、さすがは軍人。さっき遭遇した彼らと同じ事聞くんだね、そりゃそうか」
彼はニヤリと嫌な笑みを浮かべる。私はこのような笑みを浮かべる人間を一人しか知らない。そう、私だ。
「さっきも遭遇?」
すでに半分答え合わせは済んでいる。私が彼の立場ならどうするか。
「そうそう、新兵が二人。おいしく頂いちゃいました」
「貴様!」
私はためらうことなく引き金を引いた。しかし少年に当たることはなかった。
少年の前に突如火人が現れて、彼の盾となったからだ。私の銃弾を受けた火人は水風船のようにはじける。
「火人の……召喚」
少年は両手を伸ばし、何かを呟く。すると彼の前に二体の火人が現れる。火人を中心に現実のレイヤーが崩れる。
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