幸福を望む、それぞれの形

「イリーナ研究員の事でしょうか」

 アレクセイはぎょっとしたように私を見る。


「大尉どのは、イリーナのことを気にされているのでしょうか」

「あれは不幸な事故だった。あれがあったからといって、隊の扱いが変わることはないさ」


 大尉は口ではそういうものの、どこか悲しげな目をしていた。アレクセイ中尉は黙って頭を下げる。大尉はやわらかなため息をつく。


「私がイリーナを士官学校に入れたのは、結局己の満足のためだったのではないかと思っている所だ。あいつはどう考えても軍人向きではない……生来の気質だけは、親でも直せぬもんだ」


「……」


 私も中尉も黙って話を聞く。大尉は窓から差し込む日を眩しそうに見つめる。目じりにしわのある横顔は、誰が見ても父親の顔だった。大尉は重い口を開く。


「一生涯を……ダメにしてしまった」


 穏やかにそう呟く彼を見て、誰が責められようか。現にアレクセイ中尉は膝の上でこぶしを握ったり開いたりしている。


 しかし私はというと、ふつふつと腹の底から怒りが湧いてきていた。自分でも驚きの感情だった。私はすっかり静まり返った部屋をひっくり返すような声で、

「撤回してください」

 そう言い放ったのだった。


「イサベラ!」

 すぐさま横の中尉が手を振って制止してくるが私はそれを無視して立ち上がり、驚きで目のしわが吹き飛んだ大尉へ再度言った。


「先ほどの発言を、撤回申し願います」


「……」


 大尉は黙り、中尉は顔を青くした。私は無言で見つめ、大尉も立ち上がる。


「君は娘の足が奪われた親の気持ちが、俺の誇りが奪われた気持ちが! 分かるというのかね。撤回しなさいとは、つまりはそういうことだぞ……!」


「ええ、はい。その通りです」


 声色を変えず、返す。大尉は先ほどの優し気なしゃべり方は鳴りを潜め、ベテランの軍人らしい発声で私と対峙する。中尉は急いで間に入ろうとするが、私がそれをつま先で食い止める。


「上官に対してその態度、真意はなんだ」


「はっ、ご不快に思われたなら申し訳ないですが……」


「不快に思わないやつなどいないだろうこの馬鹿者! 愚弄しているのか!」


「ご息女を愚弄なされているのは大尉のほうです! なぜそれに気が付かないのですか!」


 部屋の中が彁の季節になったかのようだった。耳が痛くなるくらいの静寂だ。大尉は目を閉じると椅子にどっかりと座りなおした。私も一礼して着席する。アレクセイは死にそうな顔をしていた。笑える。


「……お言葉が過ぎたことを謝罪いたします。大尉のことは本当に尊敬しているのです。ゆえに許せなかったのです」


 先に話したのは私だった。


「イリーナは、尊敬に値する人物です。士官学校に最年少で入り、学問と実技は優秀で決して驕ることの無い精神性の持ち主です。そして私は大尉のことも……数々の戦場を必ず生きて帰ってきたと、聞いています」


「世辞は良い、さっさと真意を話せ」


「私は……士官として身を立てるだけが幸せだとは思いません。イリーナだって」


 私の言葉はそこで終わった。


 大尉が拳で机を叩いた重い音に、灰皿が跳ねた硬い音が重なって空気を震わせた。


「今日は君たちに新しい小隊について話をした。以上だ。いいね? アレクセイ君」

「はっ!」


 中尉は立ち上がり敬礼した。彼が私の足を蹴ったので、私も立ち上がりそのようにした。


「大尉、一度イリーナの仕事ぶりを見て頂きたいです」

 私は最後にそう言い残し、アレクセイ中尉に強引に部屋の外に放り投げられた。


「失礼致しました」

 中尉は会議室の扉を閉める。



 私は何かを伝えるべく一歩中尉の元へ踏み出したが、結局何も言えないまま伸ばしかけた手を下ろした。しかし、それでも中尉は私のほうをじっと見て口を開く。


「イサベラ、お前は、俺達はなんだ」


 私はバツが悪くて目を逸らした。


「俺たちは軍人だ。そして、軍人には軍人のやることがある。それは決して軍規を乱さず、上官の命令に従い、任務を確実にこなすことだ。士官学校でそれを散々叩き込まれてきただろう、それを忘れたのか」


 それはもちろん分かっている、しかし私にとってはそれとこれとは別の問題であった。だが、そんな私の反抗的な態度を察したのか、中尉はそのまま私に畳み掛けるように、

「お前の望みは! お前が軍人になってまで成し遂げたいものは、なんだ!」


「火人から……皆を守ること。


「そうだ!」


 アレクセイ中尉の生真面目な顔に興奮の朱が差す。


「であれば……」

「あ……れ?」


 視界が歪む。私の目に映るすべての色が色でなくなり、その色が赤青緑に変換されてぐるぐると私の目の前を回る回り続けるそれは私のプシュケー……?


『であれば、上に飛べ!』


 中尉の声で他でもない私の肉体に命じる。


 頭が痛くなるぐらいの浮上感。


 そうだ、現実性ショックを受けた私は、またに引きずり込まれていたのだ。


 上へ上へ飛ぶ私に重力が最後の抵抗をしてくる。


 しかして私の真下を火人が通り過ぎる。


 任務はまだ、始まったばかりだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る