対火人戦闘小隊
「アレクセイ中尉にイサベラ少尉、話は聞いているよ」
エントランスロビーでは、がっしりとした体つきの初老の男性が出迎えてくれた。アレクセイ中尉と私は敬礼の姿勢をとる。
「イリヤ大尉。本日はお忙しい中ありがとうございます」
アレクセイ中尉とイリヤ大尉が並ぶと、その場の空間が狭くなる。白髪交じりの角刈り頭をなでながら、右手で敬礼を行いつつイリヤ大尉は目を細めて笑う。
「まあまあ、アレクセイ君。本日はそんなにかしこまらなくてもよい。別に私が呼んだわけでもないから」
「はっ」
「もっとも君のそのまじめな態度は評価に値するがね。さあ、ついてきなさい」
大理石の床を歩き、私たちは小さな部屋へ通された。部屋は五人も入ればいっぱいになってしまうほどの広さで、小さな窓が一つあり、日がそそがれていた。イリヤ大尉は私たちを席につかせると、書類の束を取り出して私たちの前に置いた。
『火人の出現範囲の変化と対火人戦闘部隊の運用について』
「このレポートは興味深く読ませてもらった。少尉がデータを取り、執筆は中尉が主に行ったそうだな。よくできている」
私は頭を下げる。
「ありがとうございます。大尉」
春が来て夏が来て秋が来て
生まれ成長し老いて死ぬ一連の流れを季節と重ねたのだ。いや、動物はともかく植物を見ていたらそのような結論に至るのも当然の理か。
ともかく、彁は死の季節なのだ。
「そこで、だ。さらに上の参謀本部にこのレポートを送り、君たちの処遇について決定が出た」
来た。隣に座るアレクセイ中尉の緊張が少しだけ高まったのを感じる。
彁の始まりと終わりにどこからともなくその姿をあらわす『火人』が、この国の首都を蝕んでいるのではないかという仮説。これだけ聞くと突飛な仮説だ。首都は浮島に建設されているのだから、大地より染み出る火人など出現するはずがないのに。
しかし私たちはある程度の確信を得ていた。それを実証するために、私は任務の合間にケイルゴッドを飛び回った。
私は士官学校を卒業したのち、第二航空救助隊に配属された。任務は『火人』を狩ること。
勇猛果敢に空を舞い、人類に仇なす敵を片づけていくのが主な任務であった。学校上がりの私は少尉とは言え新入りと同じである。肉体も魂も徹底的に酷使され、救難信号を受けては現地に飛び込んで敵を倒す。
唯一の幸運は、火人の戦闘能力はそこまで高くないことだ。貫通力のある銃か、よく研がれた刃があれば、さほど労せず倒せる。さらに私を含め先天的に体内をめぐる熱いうねり――即ち魔力を持つ人間であれば、魔力を推進力に変えて空を飛び、魔導技術を用いて大地を砕くことも容易……もっともこれが先の世界大戦を総力戦へ変えた悪魔の技術であることに目を瞑れば、戦闘に関して言えば魔導士一人いれば十分すぎるのだ。
しかし、相手は通常の生命体とは異なる異質な化け物だ。わかっていることはまだ多くはないが、奴らの主食は人類の肉ではない。
では何を食べているのか? それは情報だ。奴らは情報を食べている。名前、年齢、性別、どこで生まれどのように育ってきたのか。そういった人の生きてきた証を奴らは丸ごと食べてしまう。
ある日私は子供を救うことができなかった。間に合わなかった。
私は火人を狩った。その日の夜私は一軒の家を尋ねた。
「もしもし、こちらイワノフさんのお家ですか」
ドアをノックして二歩下がる。家の中から足音がして、一人の男性――先の子供の父親がドアを開いた。私は軽く会釈をする。
「これはこれは、軍人さん。いつもお勤めごくろうです」
「こちらこそ団らんの時を邪魔して申し訳ない」
「それはかまいませんが……」
私は子供の靴を片方見せる。
「こちらの靴、家の前に落ちていたのでもしかしたらと思い」
父親は怪訝な顔をして、奥にいる女性を呼んだ。
「おい、この靴知ってるか?」
「いいえ……知らない、と思うわ」
出てきた女性は頬がこけていた。彼女は私に礼をすると、
「申し訳ないのですが、私たちは子供がいないのです」
と言った。
「そうですか……いえ、私もたまたま拾っただけなので。それでは失礼」
部屋の奥を見てしまい、私は堪えきれず帽子を目深にかぶりなおした。
「いつも守ってくれてありがとうございます」
去り際、私の背にかけられた暖かい言葉が傷口にしみた。人の記憶というのはこうもいい加減なものなのか。
「……」
私は何も言わずに片腕を上げ、そのまま静かに離陸した。
「くそ、くそ、くそ、くそ!」
汚言が止まらない。感情に任せて私は高度を上げる。五百、千、千五百、二千、三千、四千五百……。わかっている、遺品なんてさっさと燃やせばよかった。私は軍規に従ったまでだ。好き好んで届けに行く馬鹿がいるものか!
「お前ら全員いかれてるよ! なんでおぼえていないんだよ! そのテーブルの空席は誰なんだよ! あいしてるんじゃなかったのかよぉおおおおおお!」
あらん限りの大声を上げながらの自傷的飛行。喉が締り、痛みを訴える。一度に魔力を放出しすぎて胸が痛くなる。でもこの時だけは、どうなってもいいと思った。私は高度八千フィートに達したとき、推進機構に魔力を送るのをやめた。
八千フィートからの自由落下。あの家の夕食の席には三人分の用意があった。
最初からすべて分かっていたことだった。もうあの子を覚えているのはこれで私だけだ。
私は……忘れることができない。『人は忘れるようにできている』と言ったのはどこの国の科学者だったろう。説得力のある一般原則も私の前では無力だ。一度読んだ本を忘れないのが特異なことだと知ったのは十歳のころだった。そして私のこの能力は『火人』に対しても有効らしい。だから……。
「私だけはずっと覚えているからね、名も知らない少年」
私は空気抵抗のマットレスに仰向けに寝転がり、輝く星々にキスをした。
「新たに第三航空救助隊に、対火人戦闘小隊を創設することとなった」
「はっ、対火人戦闘小隊……でありますか」
私は二人のやり取りに記憶世界から引き戻される。
「そうだ。小隊長にアレクセイ君を、その副官としてイサベラ君をそれぞれ充てたいと思う」
悪い話ではなかった。むしろ……。
「なぜそこまで、と聞くのは失礼でしょうか」
私が考えていたことをアレクセイ中尉が自分のメガネの位置を直しながら言ってくれた。
気のいい大尉は笑いながら答える。
「もちろん私だってそこまで深く事情を知るわけではないが、上も事態を重く見たんだろう。なにしろ、『火人』の存在はその特性ゆえに秘匿……といっても、耐性のない人間が『火人』のことなんて三日も覚えてられないからではあるが……。我が国、そして私自身もこの国からひっそりと市民が消えていくのを恐れているのだ。オレみたいな年寄りが消えるのはまだよいが、未来ある若者が犠牲となるのは感情抜きにしてもこの国の損失となる」
それに、と言いかけて大尉は煙草を取り出してマッチで火をつける。立ち迷う煙草の煙を大尉はぼんやりと眺め、結局口に咥えるでもなく灰皿へと。私はじっと大尉を見据える。自然と口が開く。
「イリーナ研究員の事でしょうか」
アレクセイはぎょっとしたように私を見る。
「大尉どのは、イリーナのことを気にされているのでしょうか」
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