トリフェン山の事件(後)
アレクセイは役立たずの私の手からブレードを奪い取ると、イリーナの脚を喰った火人を斬った。
火人は焼失した。代わりに重い沈黙が場を支配した。いや、そう思ったのは私だけか?
「イリーナを連れて飛ぶ。イサベラ、来い」
アレクセイはぐったりとしたイリーナを背負い、装備を整える。
「イリーナ……イリーナ! ああああああ……!」
一方私は落石に押しつぶされたような心地だった。床に崩れ落ち、イリーナの脚だったものをかき集めようとする。人肉が焼ける匂いに吐きそうになりながら、私はどろどろとした物を手に取る。情けない。悔しい。悲しい。ごめん。
「イサベラ!」
私の視界はぐるりと一回転し、倉庫の天井が真正面に来る。そして一瞬遅れて来るほほの痛み。
私に怒ったアレクセイが、ライフルのストック部分で私を殴ったのだ。アレクセイは私を見下ろして言う。
「イリーナを助けるために飛ぶ。お前は、野垂れ死にたいなら、勝手にしろ」
そう言ってアレクセイはずんずんと倉庫の入口へと歩いていく。それは暗い倉庫の室内も相まって、光の門へ歩む勇敢な戦士の姿だった。だが、
「……イリーナはもう助からない」
私の口からこぼれ出たのはひどく弱気で冷たい声だった。
「……」
しかしアレクセイは何も言わず、足も止めず。この時私は何故かそんな彼にむっとして、
「……もうイリーナの姓も覚えていない。喰われたんだ。みんな殺されていくんだ」
倉庫の冷たい床で潰れながら、そう言った。なげやりな気持ちだった。嫌な気持ちだった。
「いや、俺は覚えている。イリーナ・イリイーニシュナ・プーシキナ。だが……これは覚えてなかったな。君がそんなに幼稚だったとは、イサベラ・エラストヴナ・ソコロワ」
彼のその言葉は私の起爆剤となった。イリーナ・イリイーニシュナ・プーシキナ! 私は心の中で彼女の名前を反芻する。もう二度と忘れないために。
「ああ……くそ……」
私は起き上がり、イリーナの運んできた箱から……といっても箱は壊れ、魔導具が散乱しているが、そこから生きているのを選んで装備した。そんな私を見て彼はつぶやくように言った。
「先に飛ぶ……過去は、ここに置いていけ」
この時私は、丸眼鏡のレンズが片方落ちている彼の顔に、確かに軍人としての強さが宿っていると感じたのだ。
そして上空へ……。
《メーデー! メーデー! 火人の群れだ! 助けてくれぇ!》
《くそぉ、ただの訓練じゃなかったのかよ》
《負傷者が出た! さっきまで髫」縺ォ縺?◆繧?▽縺後>縺ェ縺?? 喰われ……》
「来たか。俺は全速力でシグザールへ舞い戻る。そして救援を呼び、火人を全部跡形もなく消し去る。いいか?」
私とアレクセイは眼下に広がる地獄を見ていた。
「私は?」
私の質問にアレクセイは難しい顔をした。
「できる事ならば一体でも多くの火人を狩ってほしい」
眼下に広がる地獄に、私は首を縦に振るしかなかった。
――その後の記憶はない――
後に駆け付けた援軍の話だと、私は魔力切れを起こして雪山に墜落していた所を発見されたとの事だった。しかし、被害をいくらかは減らすことができたらしい。武器庫を解放して死守していたおかげで、私以外の士官候補生も奮闘することが出来たとのことで、私とアレクセイと、奇跡的に一命を取り留めたイリーナはそれぞれ勲章を授与されることとなった。名誉な話だ。
それでも多くの仲間が死んだことは決して忘れることはないが。
そして、結果として私はしばらく入院し、一年の留年を経て卒業。アレクセイ中尉は先に卒業していたため、クラスメイトではあるが、今は上官と部下の関係である。ゆえにアレクセイ中尉にかしこまって頭を下げてみると、彼は途端にいつものあきれ顔になり、
「まったく。君のそういう幼稚な所は変わっていないようだな」
と言い、私の頭に儀礼用の軍帽をのせた。
「う」
軍帽をのせる手が心なしか手荒だった気がするアレクセイ中尉の心情を推し量りながら、私は本部へと歩く彼を追う。
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