火人との遭遇・トリフェン山の事件(前)
「――、ルナ――」
「ん? すまないコントロール。ノイズがひどくて聞き取れない」
できるだけ上空からつぶさに観察する。正直非効率的ではあるが、安全が第一である。背に腹は代えられないと、掃き清められたように綺麗な石畳が続く大通りの街並みを観察しながら、通信を試みる。
「コントロールへ、こちらルナ04。上空からは人が一人も見えない。これはやはり……」
「――ナ!」
通信がつながったかと思えば、ブツリと途切れる。機器の故障だろうか? まさか! それはないだろう……と、そこまで考えが及んだ瞬間にぶるぶるとした寒気が全身を襲った。
「では何故、上空からの偵察を第一としなくてはならないのか、答えなさい。イサベラ君」
「はっ、それは通信妨害や不意打ちに備えるためです」
「さすが、よく復習していますね。いいですか? 君たちは単独、若しくは三、四名での行動が多くなる。すると必然的に不意打ちを受けた時のリカバーが遅くなる。空を飛ぶ機動力は、それは強い鷹をもしのぐが、同時に猟銃に撃ち落されるリスクも負う。不意打ちを受けたら、そこに待っているのは『死』です」
ふと、私は士官学校時代の記憶と現在の状況に自然な整合性を見出した。
理性に従い後ろを振り返る。私は声も出なかった。
ブヨブヨとした漆黒の表皮。目鼻のない真球の頭部。『火人ひと』だ……。不気味にも大口を開けた火人が私を喰らおうと両手を伸ばしているところだった。
「う…あ…」
世界が裏返る感覚。これをなんと表現したらいいものだろうか。
火人を視認したときに私たち人間の脳は深刻な混乱状態に陥る。一説には、火人の持つ現実度と周囲の現実度の落差が激しい刺激となるとかなんとか。
〈なぜ空を飛んでいる? フレアの主は食べられたか。 どうやって私の後ろを取った? 死にたくない死にたくない死にたくない〉
思考が錯綜する。まとまらない。
火人との距離は腕三本分。至近距離で火人を発見した私は、重度の現実性ショックをその身に受けてしまった。
視界が暗転する……。
◇1929/8/15・シグザール・軍総本部 イサベラ・エラストヴナ少尉
「でっか……」
晴天の中、私は荘厳なケイルゴッド軍総本部の建物を見上げていた。建築の勉強をしたことがない私には何のためにあるのかわからない、白く巨大な柱が何本も建物の前面にあり、これまた巨大な緑・白・青の三色国旗がいくつも掲げられている。この国にある石造りの建物としては最大級の大きさだ。
古く千年の歴史を持つ帝国であるケイルゴッド。強大な軍事力を持つ我が国は大陸の東半分を領土とし、十年前の世界大戦を経て現在は西半分の国々とも友好的な関係を築いている。まあ、表向きには。悲しいことに隣人を憎むことはあれど愛することはまれなのだ。
しかしそれも外交努力こそまずするべきなのであって、気に入らないことがあるからといって隣家に殴りこみに行くわけにもいかない。決して、第二次世界大戦など起こしてはいけないのだ。
さてそのような流れがあって、現在我が国は軍縮の時を迎えている。特に帝国軍の主力ともいえる空軍は一度解体され、再編された。軍事力の核となる部隊はそのまま残しつつ、肥大した部分は人道支援のための部隊となった……もちろんこれは西側へのアピールだ。
第一航空救助隊は国境周辺の警備を行うことを主とする。第二航空救助隊は首都以外の都市の警備を行う。そして私の所属する第三航空救助隊は、首都である空中浮遊都市シグザールを警備する。
もちろん救助隊というだけあって、西に火事があればすぐに駆け付けて市民を救助し、東に悪人があれば飛んで手錠をかけに行く。憲兵が地上の目だとするならば、救助隊は空の目だ……表向き外交上は、このような形となっている。
そして私が見上げている建物は、ケイルゴッドの陸軍・空軍の総本部である。
「イサベラ・エラストヴナ少尉、あまりはしゃぐものではありませんよ」
初めてすぐそばで見ることができた憧れの総本部を、口を開けたまま見上げる私を見かねたアレクセイ中尉が後ろから声をかけた。
「アレクセイ・イワノヴィチ中尉、ご忠告感謝いたします」
私は振り返ってぺこりと頭を下げる。少し大仰に。冗談めかして。というのもそれには理由がある。
アレクセイ中尉はシグザールにある士官学校の級友だった。黒髪で丸眼鏡をかけていて、常に冷静沈着な年上のクラスメイト。背も高く軍人らしいがっしりとした体格で、なかなか優しくて面倒見のいい奴でもあった。いや、軍人としては優しすぎるくらいだ。
あれは四年前の十二月二十四日の事だった。もちろん覚えているとも。北方での飛行訓練と実弾訓練のためにトリフェン山へ行ったときに『火人』の群れに襲われた……ああ、ほんとにクソみたいな事件だった。上層部の安全管理ができていなかったから、装置も薬もまともな武器も無い中で火人とやりあわなくてはならなかったのだから。
《メーデー! メーデー! 火人の群れだ! 助けてくれぇ!》
《くそぉ、ただの訓練じゃなかったのかよ》
《負傷者が出た! さっきまでさっきまで髫」縺ォ縺?◆繧?▽縺後>縺ェ縺?? 喰われ……》
地獄だった。
一週間の雪山でのバカンスの予定が地獄旅行に変わったのは、十二月二十四日の十五時三十五分に、指導教官であった鬼のような顔の曹長が忽然と姿を消した事から始まった。
いや、本当はもっと早くから犠牲者が出ていたのかもしれない。でも私だって中隊規模の人数を全員覚えているわけではなかった。
そして誰かが緊急のベルを鳴らした。私とアレクセイとイリーナ――私の友人で、銀髪の小柄な少女だ――は顔を見合わせた。
「緊急通報? 何が起きている……」
アレクセイは常に冷静だ。イリーナはベルの音にびくりと体を震わせ、その場にいた二人の男子士官候補生は談笑をやめ、私たちと同じようにお互い顔を見合わせた。
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