◇1929/9/14・首都シグザール東大通り
◇1929/9/14・首都シグザール東大通り
ブヨブヨとした黒い表皮。きっと影法師が体を得たのだと想像する。顔はなく、球状の頭部があるだけだ、あるだけなのだが、不可思議なことにソレはこちらをじっと見つめているようだ。
ああ、コイツは子供だ。そう思ったのはきっと背が低かったからだ。何しろ初めて見た存在だった。しかし心の底から恐ろしい存在だった。
夕方の空中浮遊都市シグザールを警備する二人組の憲兵はソレを見て石像のように固まってしまった。片方はまだ若い憲兵で、もう片方は壮年のベテランだった。
「ひっひひひひっひ」
若い憲兵は満足に動かすことができない口を必死に動かして何かを伝えようとしている。壮年の憲兵はそもそも口すら動かすことができなかった。
ふわりと
そしてその瞬間人が燃えるようなにおいと、パチパチという音と共に若い憲兵は焼失した。
「レフ……!」
人がイノシシを狩るように、コレは人を狩る。
「繝ャ繝……! ああ!」
親しかった部下を失った憲兵は、同時に失われていく記憶の流れをせき止めるように、ナイフで自分の手の甲を切る。鋭い痛みが走ったが、おかげでコイツの呪縛から解き放たれることができた。
しかし部下を葬った怨敵は、一歩も動かずに両腕を伸ばして遊んでいた。そのしぐさはまるで愛する妻が料理に使う包丁を選んでいるような、そんなしぐさだった。
「ああくそ! 食べるなあ! 俺を!」
壮年の憲兵は胸元から報銃を取り出して空に引き金を引く。ポン、という音と共に信号弾が射出された。この銃は最近憲兵らに支給されたものだった。無線機を使わずに狩人たちに助けを求めるためのものだ。
「はは……」
ソレは憲兵が仲間を呼んだのを察したのだろう。漆黒の体に火がともる――魔力放出の類だ。憲兵は手の甲を抑えながら石畳に膝をつく。
「こんなことなら、最初から一人で警備なんてしなければよかったなぁ」
壮年の憲兵は炎とともに消えた。
◇同日・シグザール上空 第三航空救助隊・イサベラ・エラストヴナ・ソコロワ少尉
「あれは」
空を飛ぶ私の視界に信号弾のフレアが飛び込んできた。夕暮れの首都の上空。高度は中央広場から数えて千フィートほど。足と胸に着けている魔導技術のカタマリに魔力を多めに注ぐ。私は無線機のスイッチをひねる。
「シグザールコントロールへ、こちらルナ04。東大通り上空に信号フレアを視認。現地に急行する」
何があったのだろうか。それが一番はじめに思ったことだった。私に与えられた任務は首都の治安維持だ。体一つで空を飛び、双眼鏡を片手に石造りの街並みをのんびり眺めていた所だった。
考える事といえば、双眼鏡を通して見える帝国の市民たちがどのような生活をしているのかという事。
そして、新兵たちの訓練について
さらに再来週に控えている自分自身の昇進のテストについてなど、ありきたりな事ばかりだった。つまるところ今時期の救助隊は比較的余裕があり、新兵の飛行訓練もかねて長時間上空に留まっている次第だ。
「ルナ04。こちらシグザールコントロール。了解した。付近を飛行中のルナ05とルナ09へ、至急応援を求む」
管制塔からノイズ交じりの指示が届く。しかし……。私は再度スイッチをひねる。
「こちらルナ04、応援はいらない。繰り返す。応援は不要だ、私一人で十分だ」
いらだちを込めて送る。今現在この空域で巡回をしているのは、私の他はまだ経験の浅い新兵ばかりだ。
しかし愚かな管制官はどうしても私に子守をさせたいようだった。教科書通りの回答がラジオされる。私はため息をつき、託児業務をも受け入れることにした。これもよい訓練になるだろうか。
日が傾き、街を歩いているだけでも寒さを感じるようになってきた今日この頃。上空の寒さはいわずもがな。私は夕日に照らされキラキラと輝く薄い金髪をかきあげるようにして整え、寒さで赤く染まった白い頬を両手で叩いて気合を入れると、魔力を爆発させて鷹よりも勇猛に東大通りへと向かう。
「コントロールへ、ルナ04。上空より発信源を捜索するも、誰もいない」
私は双眼鏡で上空から信号弾の撃たれたであろう地点を見ている。
しかしやはりというべきか、案の定誰もそこにいなかった。これは悪い予感が的中した証だった。
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